031 桜サイド 桜VSオルフ②
「雪風?」
雪風から噴き出す凄まじい冷気に、桜は戸惑いながら呼びかけた。
朝雄がくれた鈴が落ちた瞬間、桜の感情も確かに怒りへ染まった。
だが今は、少しずつ冷静さを取り戻しつつある。
目の前に、自分より遥かに怒っている存在がいるせいかもしれない。
昔から朝雄は、雪風の感情をかなりはっきり理解しているようだった。桜の場合はそこまで明確ではなく、何となく喜んでいる、嫌がっている、と感じ取れる程度だった。
それなのに今は違う。
雪風が怒っている。
それも、これまで感じたことがないほど激しく。
その感情が、桜にもはっきり伝わってきていた。
やがて雪風から溢れていた冷気が収束し、刀身を包み込むようにまとわりついていく。
同時に、桜の腕がぐっと前へ引かれた。
「雪風! ちょっと待って!」
まるで雪風自身が、オルフへ斬りかかろうとしているようだった。
桜は一瞬焦ったものの、すぐに考えを切り替える。
「分かったわ」
雪風に引っ張られるのではなく、その動きへ自分から合わせる。
刀を胸元へ引き寄せながら、前にいるオルフを真っ直ぐ見据えた。
「あなたの怒りは分かるわ」
鈴を失った雪風から、もう返事の音は聞こえない。
それでも。
「一緒にあいつを倒しましょう」
確かに、同意するような意思が伝わってきた。
◇ ◇ ◇
桜はそのまま前へ出た。
オルフも警戒し、大剣を構え直す。
間もなくオルフの間合いへ入る。
だが、その直前で雪風に引かれる感覚が弱まった。
「……?」
桜は足を止める。
まだ自分の刀も届かない距離だ。オルフも怪訝そうに眉を寄せている。
その時。
桜が持つ雪風が、ゆっくりと上へ持ち上がっていく。
桜もそれに合わせるように腕を上げ、頭上高く雪風を構えた。
「やれるのね、雪風?」
問いかけた直後。
身体の中から、何かが雪風へ流れ込んでいくのを感じた。
『これ……魔力?』
身体強化を使う時とよく似た感覚。
自分の中にある力が腕を通り、雪風へ流れている。
昨日までは無意識だった。
だが今は違う。
雪風が求めるまま、桜自身の意思で魔力を送り込んでいく。
やがて。
その流れが止まった。
「はああああっ!」
桜は全力で雪風を振り抜いた。
次の瞬間。
刀身から、膨大な白い冷気が一直線に噴き出した。
◇ ◇ ◇
オルフは少し離れた位置にいる桜を、警戒しながら見つめていた。
先ほど魔剣の力を使い、勝負を決めるつもりで攻撃した。
自分の大剣が纏う炎は、単純に武器の間合いを伸ばすだけではない。高熱そのものが相手の動きを制限する。
初見で完全に避け切った者は、これまでほとんどいなかった。
「あれを躱すとはな……」
思わず呟く。
魔剣は強力な反面、魔力の消費が大きい。そう何度も使えるものではない。
それでも、まだ自分の方が有利だと考えていた。
体格差。
武器の重量。
そして間合い。
どれを見てもこちらが上だ。
相手が持っているのは、細身の片刃剣。まともに大剣をぶつければ、武器ごと破壊できる可能性も高い。
『次に入ってきたところで終わらせる』
そう考え、大剣へ再び魔力を流し始めた。
桜が近づいてくる。
オルフはいつでも攻撃できるよう構える。
だが。
「……?」
間合いへ入る直前で、桜は足を止めた。
『何をする気だ?』
そこでは互いの武器は届かない。
にもかかわらず、桜は雪風を頭上へ持ち上げ、そのまま動かなくなった。
次の瞬間。
桜が一気に刀を振り下ろす。
「っ!?」
雪風から白い冷気が爆発的に噴き出した。
「くっ!」
直感的に危険だと判断し、オルフは左へ飛ぶ。
しかし。
右脚だけが僅かに遅れた。
バキバキッ!
「ぐっ!」
嫌な音と共に、右脚が一瞬で氷に包まれる。
足が動かない。
そのまま体勢を崩し、舞台へ倒れ込んだ。
「ちっ……!」
すぐに起き上がろうと顔を上げる。
そして。
オルフの動きが止まった。
「……」
眼前に。
白い冷気を纏った雪風の切っ先が突きつけられていた。
◇ ◇ ◇
「勝負あり!」
エミリーの声が会場へ響く。
「勝者、近衛騎士団――サクラ!」
大きな歓声が上がった。
だが桜は、それに反応することなくオルフを見下ろしていた。
「……」
しばらくして。
雪風から流れ出ていた冷気が、ゆっくりと収まっていく。
桜はそれを確認してから刀を鞘へ納めた。
「ありがとう、雪風」
そして舞台の端へ歩き、先ほど落ちた小さな鈴を拾い上げる。
赤い紐は焼けて途中から切れていたが、鈴そのものは無事だった。
「ちゃんと直してもらおうね」
雪風へ小さく声を掛け、鈴を大切そうに握りしめる。
◇ ◇ ◇
桜が舞台を降りると、長椅子に横になったままこちらを見ている梅と目が合った。
先ほどまで眠っていたようだが、今は意識を取り戻しているらしい。
「勝ったんだね、桜ちゃん」
「当たり前でしょ」
桜は笑顔を見せる。
「これで、一緒に朝雄を探しに行けるわよ」
「うん」
梅も嬉しそうに笑った。
「でも、まだ休んでた方がいいわ。部屋に戻りましょう」
「大丈夫だよ。歩けるから」
「駄目」
桜は即答すると、梅の前でしゃがみ込んで背中を向けた。
「ほら」
「……え?」
「乗って」
梅は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに桜の意図を察する。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
少し照れながら、桜の背中へ身体を預けた。
桜は梅をしっかり背負うと、そのまま歩き始める。
スミレとターニャも慌てて後を追った。
しばらく無言で歩いたところで、桜が小さく口を開く。
「ごめんね、梅ちゃん」
「……」
梅は少し驚いたように目を瞬かせる。
「私、梅ちゃんがあんなに不安だったことに気づいてなかった」
「……ううん」
梅は小さく首を横へ振った。
「私の方こそ、ごめんね」
「どうして梅ちゃんが謝るのよ」
「心配かけたから」
「……もう」
桜は困ったように笑った。
その背中で、梅がそっと腕に力を込める。
後ろから抱きしめるように、桜へ身体を寄せた。
「絶対、一緒に朝雄ちゃんを見つけようね」
「ええ」
それ以上。
二人は何も言わなかった。
そのやり取りを見ていたターニャとスミレも、静かに二人の後を歩いていった。
◇ ◇ ◇
一方。
舞台の上には、オルフが残されていた。
右脚はまだ氷に包まれており、治癒魔法使いたちが必死に処置している。
「駄目です……氷が全然溶けません」
「魔法で直接凍らされたというより、何か別の力が作用しているような……」
治癒魔法使いたちも困惑していた。
そこへ。
「ちょっと代わって」
エミリーが近づいてくる。
「エミリー様!?」
オルフが慌てる。
エミリーは気にした様子もなく、オルフの右脚へ手をかざした。
淡い光が広がる。
すると、先ほどまで何をしても残っていた氷が、少しずつ溶け始めた。
「……」
周囲にいた治癒魔法使いたちが驚いた顔をする。
やがて。
完全に氷が消えた。
「エミリー様……」
オルフが何か言おうとする。
だが。
「オルフ」
エミリーが先に口を開いた。
「あなたが近衛騎士団を心配して、今回の任務を代わろうとしていたことは分かっています」
「……」
「相変わらず不器用ですね」
少し呆れたように。
それでも優しく笑う。
「……」
オルフは照れたように顔を伏せた。
「ですが」
エミリーの表情が少し真剣になる。
「今回の任務は、あの二人に任せてもらえませんか?」
「……」
「少なくとも、力が足りないわけではないことは、今日の試合で分かったと思います」
「……はい」
「そして何より」
エミリーは桜と梅が出ていった方を見る。
「あの二人にとって、この任務はどうしても譲れないものなのです」
オルフはしばらく黙っていた。
そして。
治療が終わった右脚で立ち上がり、エミリーの前へ跪いた。
「今後、この任務について口を出さないことをお約束いたします」
「……ありがとう」
「私にも譲れないものがありますので」
頭を下げたまま続ける。
「あの二人の気持ちは理解できます」
エミリーは少し驚いた後、穏やかに笑った。
「なら、オルフも自分の譲れないもののために全力を尽くしなさい」
「はい!」
それだけ告げると、エミリーはオルフへ背を向け、舞台から降りていった。
◇ ◇ ◇
オルフはしばらくその場に跪いたまま、エミリーの背中を見送っていた。
やがて。
会場からその姿が見えなくなる。
「……」
そこでようやく立ち上がった。
「私も、譲れないもののために全力を尽くします」
小さく呟く。
「エミリー様」
そしてオルフも。
静かに会場を後にした。
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次話は19:00に投稿します。




