030 桜サイド 桜VSオルフ①
「梅お姉様の様子は私が見ています。桜お姉様は試合に集中してくださいませ」
真っ直ぐ桜を見つめるスミレの姿が、一瞬だけ朝雄と重なって見えた。
梅が倒れたことで、知らず知らずのうちに入っていた力が少し抜けていく。
「ありがとう、スミレちゃん。梅ちゃんをお願いね」
「はい!」
桜はスミレへ笑顔を返すと、舞台中央で待っているエミリーの元へ歩き始めた。
反対側からは、オルフも同じように近づいてくる。
訓練場で会った時と変わらず、黒い鎧で全身を包み、自分の背丈ほどもある巨大な剣を肩へ担いでいた。
一方の桜は、この世界へ来る際に着替えと一緒に持ってきた白い道着に濃紺の袴。腰には雪風を下げている。
舞台中央で二人が向かい合うと、エミリーが先ほどの試合と同じようにルールの確認を始めた。
その説明を聞きながら、桜は正面に立つオルフを観察する。
『身長差は三十センチくらいかしら』
ただでさえ体格差がある上に、相手が持っているのは巨大な大剣だ。武器まで含めれば、間合いの差はかなり大きいだろう。
『でも、そんなことは関係ないわ』
桜は少し見上げるようにオルフを睨む。
「……」
ところが。
視線がぶつかった途端、オルフは少し気まずそうに顔を逸らした。
『……?』
桜は怪訝そうに眉を寄せる。
少し睨まれた程度で怯むような男ではなかったはずだ。
その理由を考えているうちに、エミリーの説明が終わった。
「それでは両者、試合開始位置へ!」
宣言を聞き、桜が開始位置へ戻ろうとした時だった。
「おい」
「……?」
オルフが声を掛ける。
「ウチの副団長が、あの小さい嬢ちゃんに何か言って傷つけたみてえだな」
「……」
「済まなかった」
予想もしなかった言葉に、桜は目を見開いた。
オルフはそれ以上何も言わず、背中を向けて開始位置へ歩いていく。
桜はしばらく驚いたようにその背中を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、自分も開始位置へ向かった。
舞台を降りるエミリーは、そんなオルフの背中をどこか微笑ましそうに眺めていた。
◇ ◇ ◇
開始位置まで下がると、桜は腰に差していた雪風を抜いた。
鞘から現れた刀身を白い霧のような冷気が薄く包み込み、周囲の空気が僅かに冷える。
続いて、昨日覚えたばかりの身体強化を使う。
全身へ魔力を巡らせ、脚、腕、体幹へ必要な分だけ流していく。
まだ完璧とは言えないものの、昨日よりずっと自然に魔力を扱えるようになっていた。
「これに勝たなければ、朝雄に会いに行けなくなってしまうわ」
桜は雪風を見つめ、小さく呟く。
「雪風。私に力を貸してね」
チリン。
返事をするように、鍔へ結ばれた鈴が鳴った。
「……ありがとう」
桜は小さく笑い、雪風を両手で構える。
正面では、オルフも大剣を肩から下ろしていた。
「試合開始!」
エミリーの声が響く。
◇ ◇ ◇
桜は開始と同時に、真っ直ぐオルフへ走った。
最初に様子を見るという考えはない。
相手がどれほど強いのか。
そんなものは、剣を交えればすぐに分かる。
前を見ると、オルフも同じだった。
巨大な剣を構え、こちらへ向かって真っ直ぐ突っ込んでくる。
『来る!』
「ふんっ!」
舞台中央付近。
先に攻撃範囲へ入ったオルフが、短い掛け声と共に大剣を振り下ろした。
『速い!』
巨大な武器からは想像できない速度だった。
しかも剣筋には、迷いも遠慮もない。
女子供だからと手加減している様子もなかった。
まともに受けるのは危険。
桜は瞬時にそう判断し、身体ごと右へ飛んだ。
大剣がすぐ横を通り過ぎ、舞台へ叩きつけられる。
『今!』
振り下ろした直後なら、隙ができる。
桜は反撃するため雪風を振りかぶった。
だが。
「……っ!」
地面近くまで振り下ろされていたはずの大剣が、突然軌道を変えた。
横薙ぎ。
桜の胴を狙い、巨大な刃が迫る。
咄嗟に雪風を構え、真正面から受け止めるのではなく、刀身を滑らせるように大剣の軌道を逸らした。
ガキンッ!
金属音が響く。
衝撃を殺し切ることはできず、桜はそのまま後方へ下がって間合いを取った。
「……」
「……」
二人は再び向かい合う。
先に笑ったのは、オルフだった。
「今のを簡単に躱した上に、反撃まで狙ってくるか」
大剣を構え直す。
「どうやら本物みてえだな」
桜も、今の一合だけで理解していた。
『強い』
単純に力任せに大剣を振り回しているわけではない。
巨大な武器を完全に自分の身体の一部として扱っている。
「そっちもね」
桜は雪風を構え直す。
「ただの無駄筋肉ではないようね」
「……言うじゃねえか」
二人は同時に、ニヤリと笑った。
◇ ◇ ◇
次に動いたのは桜だった。
脚へ流す魔力を一瞬だけ増やし、一気に地面を蹴る。
「……!」
予想以上の速度だったのだろう。
オルフの反応が僅かに遅れた。
一息に懐へ入った桜は、雪風を下段から斜め上へ振り抜く。
「ちっ!」
オルフは咄嗟に上体を後ろへ逸らした。
雪風の刃そのものは届かない。
だが。
刀身から漏れ出した冷気までは避けられなかった。
パキッ。
雪風が通過した軌道に沿うように、黒い鎧の表面が白く凍りつく。
「……!」
今度はオルフが大きく後方へ下がった。
凍りついた鎧を見下ろし、驚いたように目を細める。
「おいおい……随分物騒なモン持ってるじゃねえか」
改めて雪風を見る。
「魔剣をそこまで自然に使うとは驚いたぜ」
「自然にって言われても……」
桜にはよく分からない。
自分は普段通り雪風を振っているだけで、特別なことをしているつもりはなかった。
「同じ目的のために戦っているからかしら」
「同じ目的?」
「朝雄を助けること」
桜は雪風を一度見つめる。
「だから雪風が、私に力を貸してくれているのよ」
「……は?」
オルフが予想外に間の抜けた声を出した。
「魔剣が力を貸してくれる?」
「そうよ」
「冗談言うな。魔剣は魔力を増幅したり、属性へ変換したりするための道具だぞ」
オルフは呆れたように眉を寄せる。
「意思なんかあるわけねえだろ」
「……?」
今度は桜が首を傾げた。
雪風に意思がある。
桜にとっては、それを疑う理由の方がなかった。
幼い頃から、何度も雪風の気持ちを感じてきた。朝雄に至っては、雪風が考えていることを何となく理解していたほどだ。
「何言ってるの? 雪風にはちゃんと意思があるわよ」
「……本気で言ってんのか?」
「本気だけど」
「……」
一瞬。
オルフが何とも言えない顔をした。
だが、すぐに大剣を持ち直す。
「なら、見せてやるよ」
「?」
「正しい魔剣の使い方ってやつをな!」
オルフが大剣へ魔力を流し込む。
次の瞬間。
ボウッ!
剣から炎が噴き上がった。
「……!」
巨大な刀身全体が、赤々とした炎に包まれる。
「魔剣ってのは、こうやって魔力を流すことで、元々持っている属性の力を引き出せる」
燃え上がる大剣を桜へ向ける。
「自分で一から魔力を変換して魔法を使うより、手間も少ねえし威力も出る。だから強力な武器になるってわけだ」
「へぇ……」
「まあ、その分かなり魔力を食うから、長時間は使えねえのが欠点だけどな」
そこで。
オルフが獰猛に笑った。
「そんなわけで、さっさと決めさせてもらうぜ」
直後。
地面を蹴った。
◇ ◇ ◇
『速い!』
巨大な身体と大剣からは想像できない速度で、一気に距離を詰めてくる。
オルフは間合いへ入ると、大剣を頭上高く構えた。
「うおおおっ!」
炎を纏った刃が振り下ろされる。
桜は大きく後方へ跳んだ。
『これだけ離れれば――』
そう思った直後。
「っ!」
迫ってきた炎が、想定していたより遥かに長い。
大剣そのものの間合いに加え、纏った炎まで伸びている。
桜は咄嗟に身体を捻り、そのまま舞台を転がるように回避した。
ゴウッ!
すぐ横を炎が通過する。
「……っ」
熱気が頬を撫でた。
すぐに起き上がり、雪風を構え直す。
「予想以上に厄介ね……」
思わず吐き捨てるように呟く。
「これじゃ簡単に近づけないじゃない」
その時だった。
チリーン。
「……え?」
聞き慣れた鈴の音。
何かが舞台へ落ち、小さく転がった。
桜が視線を落とす。
「……!」
雪風の鍔につけられていた、小さな鈴。
朝雄が子供の頃。
祭りの帰りに雪風へつけてくれた鈴だった。
桜は慌てて雪風を見る。
鈴を結びつけていた赤い紐が、炎の熱で焦げて途中から切れている。
「……」
桜の表情から。
すっと笑みが消えた。
「朝雄が……」
舞台へ落ちた鈴を見る。
「雪風につけてくれた鈴が……」
ゆっくり顔を上げる。
桜の視線が。
オルフへ向けられた。
だが。
怒っていたのは。
桜だけではなかった。
ドンッ!
「……!?」
鈍い音と共に。
雪風から、凄まじい量の冷気が噴き出した。
白い霧などという生易しいものではない。
まるで巨大な柱が立ち上がったかのように、冷気が一気に舞台へ広がっていく。
「雪風……?」
桜が驚いて刀を見る。
その手の中で。
雪風が。
本気で怒っていた。




