029 桜サイド 梅VSカルリス②
「大変失礼しました。ここからは本気で行かせてもらいます」
そう宣言して構えを取り直したカルリスを、梅はじっと観察していた。
『最初の奇襲は半分成功かな。思ったより反応が良くて防がれちゃったけど、多少はダメージも残ってるみたい』
倒れたところから立ち上がったカルリスの様子を見て、そう判断する。
ならば、相手が完全に立て直す前に決めるべきだ。
『ダメージが抜ける前に勝負を決める!』
梅は再び地面を蹴った。
◇ ◇ ◇
身体強化された脚力で、一気に距離を詰める。
だが今度は、梅が間合いへ入る寸前にカルリスが動いた。
「っ!」
低い姿勢で迫る梅の頭部へ、上から拳が振り下ろされる。
咄嗟に横へかわしたが、それを読んでいたかのように、今度は蹴りが飛んできた。
梅はさらに身体を引き、どうにか攻撃を避けると、一度距離を取った。
「……」
カルリスは追ってこない。
ほとんどその場から動かず、静かに梅を見ているだけだった。
『一番嫌な展開になりそうかな……』
梅は苦い顔をする。
試合前から、いくつか展開は考えていた。その中で最も厄介だと思っていたのが、今のようにカルリスが待ちに徹することだった。
梅とカルリスでは体格差が大きく、当然、攻撃の間合いもまるで違う。
相手が動いてくれれば、その隙を利用して懐へ潜り込むこともできる。だが、じっとこちらを観察し、自分の間合いへ入ってくる瞬間だけを狙われると非常にやりづらい。
強引に踏み込めば、今のように長い手足を使った反撃を受ける可能性が高い。
『当然、それを狙ってるんだろうけど……』
相手の狙いが分かっていても、こちらから動かなければ試合は進まない。
『やるしかないよね』
梅は再びカルリスへ向かった。
正面から距離を詰める。
カルリスの右腕が僅かに動いた。
『来る』
拳を警戒し、左斜め前へ踏み込んで相手の右側面へ回ろうと、右足へ力を込める。
その瞬間。
身体中に、危険を知らせるような感覚が走った。
「っ!」
梅は考えるより早く、真横へ跳んだ。
ブンッ!
顔のすぐ横を、カルリスの右膝が通り過ぎる。
「……!」
完全には避け切れず、頬を僅かにかすめた。
姿勢を崩しながらもどうにか着地し、そのまま距離を取る。
『読まれてた……』
右頬がヒリヒリする。
『もう少し踏み込んでたら、今ので終わってたね』
梅は改めてカルリスを見る。
ところが、攻撃をかわされた本人の方が驚いた顔をしていた。
「今のを躱しますか……」
カルリスが思わず呟く。
先ほどの攻防で、彼は勝負を決めるつもりだったのだろう。
梅の動きを予測し、その通りに誘導した上で膝を合わせた。それにもかかわらず、寸前でかわされた。
「あなたは、一体何者なのですか?」
試合の途中だというのに、思わず問いかけてしまったらしい。
「何者って言われても……」
梅は少し困った。
「ちょっと空手のできる女子高生?」
「カラテ? ジョシコウセイ?」
「……」
「よく分かりませんね」
当然だった。
◇ ◇ ◇
梅は一度呼吸を整えながら、改めてカルリスを見る。
間違いなく強い。
それも、自分より遥かに大きな体格を生かしながら、こちらの動きを冷静に読んでくる。
真正面から付き合えば、不利なのは明らかだった。
それでも。
『負けるわけにはいかない』
朝雄の捜索が懸かっている。
この後に戦う桜については、梅は負ける姿をほとんど想像していなかった。
だからこそ、自分も勝たなければならない。ここまで二人で来たのだから、自分だけ負けて桜へすべてを背負わせるつもりもなかった。
「それほどの腕があるのでしたら」
カルリスが突然口を開く。
「近衛騎士団に置いておくには惜しいですね」
「……はい?」
予想していなかった言葉に、梅が目を丸くする。
「第一騎士団へ来ませんか?」
「……」
「あなたほどの実力があれば、すぐに貴重な戦力となるでしょう。近衛騎士団などで、その才能を無駄にするべきではありません」
「えっと……」
梅は返答に困った。
そもそも、近衛騎士団へ所属しているのは朝雄を捜すための一時的なものだ。朝雄と再会できれば辞めるつもりなので、第一騎士団へ移る気など最初からない。
しかしカルリスは、梅が困っている理由を勘違いしたらしい。
「心配する必要はありません。第一騎士団なら、実力さえあれば相応の待遇を受けられます」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「あなたの力は王国のために使うべきです!」
どんどん熱が入っていく。
『困ったなぁ……』
梅は少し引き気味にカルリスを見る。
『この人、見た目に反して意外と熱い人だったんだ……』
まるで体育会系の部活へ勧誘されているようだった。
「とりあえず、試合を――」
そう言いかけた時。
カルリスの次の言葉に、梅の思考が止まった。
「だいたい今回の試合は、行方不明の王族関係者の捜索が理由なのでしょう?」
「……」
「碌に戦闘訓練さえ受けていない人間が、一人で行方不明になったのです」
カルリスは特に悪意もなく、当然のことを言うように続けた。
「生きている可能性など、かなり低いと思いますが」
「……」
梅の表情から。
すっと感情が消えた。
『この人……今、なんて言ったの?』
生きている可能性が低い。
誰が?
『朝雄ちゃんが?』
こちらの世界へ来てからも、梅の中から不安が消えたことは一度もなかった。
毎晩、エミリーの魔法で朝雄の無事は確認できている。
今日も生きている。
昨日も生きていた。
それでも。
『明日も無事とは限らない』
その考えは、いつも心の奥にあった。
今晩確認した時。
もし反応がなかったら。
もしもう、朝雄の状態を確認できなくなっていたら。
考えてはいけない。
そう思うたび、必死に頭の中から追い出してきた。
だが。
カルリスの何気ない一言は、梅がずっと見ないふりをしていた不安を、真正面から突きつけた。
「……」
梅は俯いたまま動かなくなった。
◇ ◇ ◇
そんな梅の内心を知るはずもなく、カルリスはむしろ説得が通じたと思ったらしい。
「さあ」
暑苦しいほど爽やかな笑顔で、右手を差し出す。
「そんな無駄な捜索など止めて、その力を王国のために――」
そこまでだった。
「……っ!?」
確かに。
カルリスは目の前にいる梅を見ていた。
だが次の瞬間。
その姿が消えた。
「うぼあっ……!」
腹部へ強烈な衝撃が突き刺さる。
気づいた時には、差し出していた右腕の下へ梅が潜り込み、その拳が腹部へ深くめり込んでいた。
「ぐ……っ」
身体が大きく揺れる。
そのまま前へ倒れそうになるが。
梅は止まらなかった。
腹部へ叩き込んだ右腕を引き。
今度は身体を捻りながら、左拳を振り抜く。
ドゴッ!
「――っ!」
拳が右脇腹へ突き刺さった。
カルリスの身体から力が抜ける。
朦朧とする意識の中、ゆっくりと前のめりに倒れていった。
梅の横を通り過ぎる、その瞬間。
「……」
カルリスの視界に。
梅の顔が映った。
怒っているようにも見えた。
悲しんでいるようにも見えた。
ただ。
その瞳から。
大粒の涙が零れていた。
◇ ◇ ◇
「勝負あり!」
エミリーの声が会場へ響く。
「勝者、近衛騎士団――ウメ!」
一瞬。
会場は静まり返った。
何が起きたのか理解できない者が大半だったのだろう。
観覧席からは、カルリスが何かを話しかけ、その直後に突然倒れたようにしか見えなかった。最後の梅の動きを正確に追えた者は、ごく僅かだった。
やがて。
第一騎士団副団長が倒れたという事実を理解した瞬間。
会場が大きな歓声に包まれた。
◇ ◇ ◇
試合には勝った。
それでも、梅に喜んでいる様子はなかった。
俯いたまま舞台を降り、頼りない足取りで桜たちのところへ戻ってくる。
「梅ちゃん?」
様子がおかしいことに気づいた桜が、すぐに駆け寄る。
「大丈夫? あいつに何か言われたの?」
桜が心配そうに顔を覗き込む。
その瞬間。
梅の瞳から。
堪えていた涙が、ぽろぽろと零れ始めた。
「梅ちゃん……?」
「桜ちゃん……」
震える手で、桜の胸元を掴む。
「朝雄ちゃんは……無事だよね?」
「……」
「絶対、また会えるよね?」
縋るような声だった。
桜は一瞬だけ驚いた表情を見せる。
だが。
すぐに梅の肩へ手を置き、迷いなく答えた。
「当たり前じゃない!」
力強い声だった。
「絶対にまた会えるわ。だって、そのために私たちはここまで来たんでしょう?」
「……うん」
梅の顔に。
ようやく少しだけ笑顔が戻る。
「そう……だよね」
安心したように笑った、その直後。
「梅ちゃん?」
梅の身体から。
ふっと力が抜けた。
そのまま桜の胸へ倒れ込む。
「梅ちゃん!」
◇ ◇ ◇
「大丈夫です」
駆け寄ったターニャが梅の様子を確認する。
「気を失っただけのようです。かなり気を張っていらしたのでしょう」
「……」
「こちらで休んでいただきましょう」
ターニャは梅を桜からそっと引き取り、近くに置かれていた長椅子へ横たえた。
眠るように目を閉じている梅を見つめ。
桜は唇を噛む。
『私……何も気づいてなかった』
こちらへ来てからも、梅は普段とほとんど変わらないように見えていた。
朝雄が無事だと確認できた時には笑い、スミレともすぐ仲良くなり、魔法の訓練でも楽しそうにしていた。
だから。
梅がそこまで思い詰めているとは、考えていなかった。
けれど。
『昔からそうだった』
梅はいつも。
自分と朝雄のことを心配してくれていた。
自分の不安を表へ出すより先に。
誰かのことを気遣う。
『私は……梅ちゃんのこと、ちゃんと見てたつもりだったのに』
桜は拳を強く握った。
「ごめんね、梅ちゃん」
眠っている梅へ、優しく笑いかける。
「気づいてあげられなくて」
そして。
「絶対、一緒に朝雄に会いに行こうね」
その言葉だけは。
揺るがなかった。
◇ ◇ ◇
桜はゆっくり立ち上がると。
再び舞台へ向き直った。
ちょうどその時。
「続いて第二試合を行います!」
エミリーの声が会場へ響く。
「第一騎士団――オルフ!」
観客席から大きな歓声が上がる。
「近衛騎士団――サクラ!」
「……」
桜は。
腰の雪風へ手を添えた。
そして。
静かに舞台へ向かって歩き始めた。
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