024 桜サイド 妹
桜と梅は、目の前の少女を見つめていた。
長い黒髪。鮮やかな青い瞳。そして、まだ幼さの残る顔立ち。
数年前の朝雄をそのまま女の子にしたような姿に驚いていたところへ、さらに『朝雄の妹』だと言われたのだ。
二人が固まるのも無理はなかった。
一方。
「……」
スミレは明らかに怯えていた。
知らない年上の少女二人から、無言でじっと顔を見つめられている。逃げるように少し後ろへ下がろうとするが、ターニャの背後にはもう壁があり、それ以上離れることもできない。
「……」
とうとう目に涙まで浮かび始めた。
その時。
「いやー、遅くなってごめんねー。大臣たちの話が長くってさー」
仕事帰りの会社員が愚痴でも零すような調子で、エミリーが部屋へ入ってきた。
「お母様~!」
「うわっ!」
スミレは救世主を見つけたように駆け寄り、そのままエミリーへ抱きついた。
「怖かったよぉ……」
「え? なに? なんでスミレがここにいるの?」
しがみついてくる娘と、固まったままの桜と梅を交互に見る。
「どういう状況?」
「……」
ターニャは、困ったように溜息をついた。
◇ ◇ ◇
「なるほどねー。スミレは朝雄にそっくりなんだ」
事情を聞いたエミリーは、納得したように何度も頷いていた。
現在はテーブルを挟み、エミリーとスミレが並んで座り、その向かいに桜と梅が座っている。
「はい。特に小学校の高学年くらいの朝雄に、本当によく似ています」
桜が答えると、梅も隣で何度も頷いた。
「そりゃ驚くよね」
エミリーは楽しそうに笑う。
一方のスミレは、先ほどより落ち着いてはいるものの、桜と梅から時折向けられる視線にはまだ少し居心地が悪そうだった。
「じゃあ、改めて紹介するね」
エミリーがスミレの肩へ手を置く。
「この子は私の娘のスミレ。私がこっちへ戻された時には、もう妊娠してたみたいでね。その後、この世界で生まれたの」
そして胸を張った。
「正真正銘、朝雄の妹だよ!」
「……」
「……」
改めて言われると、やはり不思議な気分になる。
「それからスミレ」
「はい、お母様」
「こっちは、お兄ちゃんの大切な友達の桜お姉ちゃんと梅お姉ちゃん」
「大切な……」
スミレが、興味深そうに二人を見る。
朝雄によく似た顔で見つめられ。
今度は桜の方が緊張した。
「……」
何を話せばいいのか分からない。
そんな桜より一足早く、梅が動いた。
「スミレちゃん」
「はい」
「私は梅っていいます。さっきはじろじろ見ちゃってごめんなさい」
柔らかな笑顔を向ける。
「お兄さんにすごく似てたから、びっくりしちゃって」
「あ……」
「これから仲良くしてくれると嬉しいな」
「は、はい」
梅の自然な笑顔に、スミレの警戒も少し薄れたようだった。
「よろしくお願いします、梅お姉様」
「……!」
梅の表情が一瞬固まった。
『お姉様……』
初めて呼ばれた呼称に、少しだけ胸がくすぐったくなる。
「う、うん。よろしくね」
「ほら、桜ちゃんも」
「……分かってるわ」
桜も少し緊張しながらスミレを見る。
セイラの時のように怖がらせないよう、今度は無理に笑顔を作らない。
「九条桜です。朝雄とは小さい頃からずっと一緒なの」
「お兄様と?」
「ええ」
そこで初めて。
自然に表情が柔らかくなった。
「よろしくね、スミレちゃん」
「……はい!」
今度の笑顔は怖くなかったらしい。
スミレも安心したように笑う。
「よろしくお願いします、桜お姉様」
「……」
桜も僅かに固まった。
その様子を横から見ていた梅が、小さく笑った。
◇ ◇ ◇
その後、スミレには桜と梅がこの世界へ来た理由も説明された。
本来なら、今回の転移で父である喜一郎が来るはずだったこと。だが二人が朝雄を探すため、代わりに転移してきたこと。
「そう……なのですね」
スミレの表情が少しだけ曇る。
「お父様が来られると聞いていたので、楽しみにしていたのですが……」
「……ごめんなさい」
桜が俯く。
「私たちが勝手なことをしたせいで――」
「い、いえ!」
スミレは慌てて首を横へ振った。
「お二人が悪いわけではありません。それに、お兄様を探しに来てくださったのでしょう?」
「……ええ」
「なら、私もお礼を言わなければいけません」
そう言って、スミレは丁寧に頭を下げた。
「お兄様を探しに来てくださって、ありがとうございます」
「……」
桜と梅は顔を見合わせる。
『この子も朝雄に似てる』
見た目だけではない。
こういうところまで。
二人には似ているように思えた。
◇ ◇ ◇
「それで……」
スミレは少し遠慮がちに二人を見る。
「お兄様は、どんな方なのですか?」
「朝雄?」
「はい!」
それまで少し沈んでいた表情が、一気に明るくなる。
「私は小さい頃から、お兄様がいるとは聞いていました。でも、一度も会ったことがありませんから……」
「そっか」
梅が優しく笑った。
「じゃあ、いっぱい教えてあげる」
「本当ですか!?」
「もちろん!」
その一言をきっかけに、桜と梅による朝雄談義が始まった。
「朝雄は優しい子よ」
「すっごく優しいよ!」
「少しお人好しすぎるところはあるけど」
「でも、困ってる人を見ると放っておけないんだよね」
「昔からそうなの」
「あと、料理をすごく美味しそうに食べてくれるよ!」
「梅ちゃん、それは朝雄の紹介として必要?」
「重要だよ!」
「……そう?」
「それと、ちょっと鈍いところもあるかな」
「それは『ちょっと』ではないと思うわ」
「桜ちゃん」
「なに?」
「そこは私も否定できないけど……」
「……」
最初は緊張していたスミレも、いつの間にか目を輝かせながら話を聞いていた。
話題が朝雄となれば。
桜も梅もいくらでも話せる。
「それでは、私がお二人を見ていたので怖がってしまったのは、お兄様に似ていたからなのですね」
「ええ。驚かせてしまってごめんなさい」
桜は今度こそ自然な笑顔を見せる。
「スミレちゃんは、本当に朝雄にそっくりなの」
「そうですか?」
「うん」
梅も笑う。
「特に笑った顔なんてそっくりだよ」
「……!」
スミレは嬉しそうに頬を緩めた。
「私はずっと、お兄様がどんな方なのか想像していたんです」
「うん」
「お二人のお話を聞いていると、とても素敵な方なのですね」
「もちろん!」
梅が即答する。
「朝雄ちゃんは、とっても素敵な男の子だよ。スミレちゃんも会ったら、きっとお兄さんのことが大好きになるよ!」
「はい!」
スミレは朝雄によく似た笑顔で頷いた。
その様子を、エミリーとターニャは微笑ましそうに眺めていた。
今回、父親が来ると聞いていたスミレがもっと落ち込むのではないかと心配していた。もちろん会えなくなったことは残念なのだろう。
それでも、今まで想像の中にしかいなかった兄の話を聞くことができた喜びの方が、今は大きいらしい。
「……」
エミリーは少しだけ遠い目をした。
『キーくん……ごめんね』
娘の興味が。
完全に父親より兄へ向いている。
少しだけ夫が不憫だった。
◇ ◇ ◇
夕食も、そのまま全員で部屋に運んでもらうことになった。
食事をしている間も、話題の中心は朝雄だった。
「朝雄は、小さい頃から本が好きでね」
「漫画も大好きだよ」
「マンガ?」
「絵と文章で物語を読む本みたいなものかな」
「それは面白そうですね!」
「今度朝雄に会ったら、色々教えてもらうといいよ」
「はい!」
話は止まらない。
ただし。
二人が語る朝雄像は、少々美化されていた。
「朝雄は本当に優しくて」
「困ってる人がいたら絶対助けるし」
「剣術もできるわ」
「勉強も結構できるよね」
「料理も美味しそうに食べてくれるし」
「梅ちゃん、それは能力じゃないわ」
「でも大事なの!」
「それに――」
「……」
ターニャは無言で聞いていた。
『もしアサオ様本人がここにいたら、途中で止めに入るでしょうね』
そんな気がする。
長い年月。
恋愛という強力なフィルター越しに朝雄を見続けてきた二人だ。
本人が聞けば。
『誰の話!?』
と叫びたくなるくらいには、理想化されている。
そして。
「お兄様って、すごい方なのですね……」
スミレは完全に信じていた。
まだ会ったこともない兄に対する憧れが、話を聞くたび、どんどん大きくなっていった。
◇ ◇ ◇
夕食を終えても朝雄の話は続いたが。
「エミリー、そろそろ時間よ」
ターニャが声を掛ける。
「ん?」
エミリーは懐から時計を取り出した。
「あ、もうこんな時間か」
そして桜、梅、スミレを見る。
「これから魔法で朝雄の状態を確認するけど、三人も立ち会う?」
「はい!」
「お願いします」
「私も見たいです!」
三人の返事は即答だった。
◇ ◇ ◇
全員で向かったのは、昨夜、桜と梅が転移してきた部屋だった。
「ここは元々、私が魔法の研究をするために使ってた専用の研究室なの」
エミリーが説明する。
大きな魔法陣が描かれた転移用の部屋を通り、その奥にある扉を開くと、もう一つ少し小さな部屋があった。
そこにも床いっぱいに、複雑な魔法陣が描かれている。
「これが、昨日話した朝雄の状態を調べるための魔法陣」
エミリーが胸を張った。
「名付けて――」
嫌な予感がする。
「『朝雄れえだぁ』の魔法だよ!」
「……」
「……」
「……」
三人は黙った。
「昨日までより改良してあるから、今日は生きてるかどうかだけじゃなくて、もう少し詳しい状態も分かるはず!」
「お母様」
「なあに?」
「『れえだぁ』とは、どういう意味なのですか?」
「日本語!」
「……?」
「まあ、その辺は朝雄に会ったら教えてもらって」
「はい」
『レーダーなのに距離も方角も分からないのね……』
桜と梅は同じことを考えたが、口には出さなかった。
そんな二人の視線に気づいたのか。
「今はまだ場所までは分からないけど!」
エミリーが少しむきになる。
「もっと改良して、最終的には場所まで分かるようにする予定だからね!」
「期待しています」
「頑張ってください」
「……なんか二人とも反応薄くない?」
「気のせいです」
「うん、気のせいです」
「むぅ……」
◇ ◇ ◇
エミリーは気を取り直し、魔法陣の準備を始めた。
床に描かれた各所へ魔石を配置していく。
一つ。
また一つ。
準備を進めていると。
「エミリー」
「ん?」
「あなた、かなり疲れているでしょう」
ターニャが静かに声を掛けた。
「大丈夫だよ」
「大丈夫な顔ではありません」
「……」
桜と梅も改めてエミリーを見る。
元気に振る舞っているため最初は気づかなかったが、よく見ると目元には疲れが浮かんでいる。
朝雄がこの世界へ転移してから、エミリーは無事を確認するための術式開発と改良をほぼ休むことなく続けていた。さらに今日は、昼間に外せない公務もあった。
ほとんど眠っていないらしい。
「今日は止めた方が……」
桜も心配になって声を掛ける。
「そうですよ。朝雄ちゃんだって、エミリーさんが倒れたら心配します」
梅も続いた。
「大丈夫」
エミリーは少し疲れた顔のまま、それでも笑った。
「母親っていうのはね、子供のためなら多少の無茶くらいできるものなの」
「でも――」
「それに」
魔法陣を見る。
「朝雄の状態が分からないまま寝ろって言われても、結局気になって眠れないと思う」
「……」
それを言われると。
桜と梅にも少し気持ちは分かってしまう。
「一回だけ」
エミリーがターニャを見る。
「終わったらちゃんと寝るから」
「……本当に?」
「本当」
「術式の改良も?」
「……明日やります」
「約束よ」
「はい」
ようやくターニャも折れた。
◇ ◇ ◇
準備を終えたエミリーが、魔法陣の中央へ立つ。
「じゃあ、始めるね」
全員が少し離れたところへ下がる。
エミリーが静かに詠唱を始めると、床の魔法陣が淡い白色に輝き始めた。詠唱が進むにつれ、その光は少しずつ強くなっていく。
そして。
最後の言葉を唱え終えた瞬間。
魔法陣の中央から白い光の柱が立ち上がり、エミリーの身体を包み込んだ。
「……」
桜は息を呑んだ。
梅も。
スミレも。
一言も発さず見守る。
光の中にいるエミリーの表情は、少し苦しそうだった。それでも詠唱は終わっている。
今はただ待つしかない。
五分ほど経った頃。
光がゆっくりと薄れていった。
「……っ」
完全に消えると同時に。
エミリーは、その場へぺたりと座り込んだ。
「お母様!」
「エミリー!」
スミレとターニャがすぐに駆け寄る。
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
エミリーは笑ってみせたが、明らかに顔色が悪い。
「全然大丈夫に見えません」
ターニャの声が低くなる。
「それより!」
エミリーは誤魔化すように声を上げた。
「朝雄の状態、分かったよ」
「……!」
三人の視線が集中する。
「朝雄は今日も無事」
「……っ」
まずその言葉だけで。
桜、梅、スミレの表情が一気に明るくなった。
「それと」
エミリーは目を閉じ、先ほど得た感覚を思い出す。
「体調も今はかなり安定してるみたい」
「今は……?」
桜が僅かに反応する。
「うん。詳しいところまではまだ分からないんだけど、少し前まではかなり消耗してたみたい」
「……!」
二人の顔から笑顔が消えた。
「でも今は大丈夫」
エミリーがすぐに続ける。
「空腹もほとんど感じてないし、暖かい場所で落ち着いて眠ってるみたい」
「……」
「だから、多分だけど」
エミリーは三人を安心させるように微笑んだ。
「ちゃんとした食事と、寝る場所を確保できてると思う」
「良かった……」
梅が胸へ手を当てる。
桜も大きく息を吐いた。
「誰かに助けてもらえている可能性もありますね」
「私もそう思う」
少なくとも、一人きりで野宿を続けている状態ではなさそうだ。
それだけでも、三人にとっては大きな安心材料だった。
「お兄様……」
スミレが小さく呟く。
「良かった……」
会ったことのない兄。
それでも。
今ではもう大切な家族として、その無事を願っていた。
◇ ◇ ◇
「さて」
エミリーが立ち上がろうとする。
「じゃあ、この結果を参考にもう少し術式を――」
「エミリー」
「……」
ターニャの声。
「今日はもう休みなさい」
「いや、でも少しだけ――」
「休みなさい」
「……」
「約束しましたよね?」
「……はい」
完全に負けた。
エミリーは肩を落とす。
「朝雄様の無事が分かったのは喜ばしいことです」
ターニャは少しだけ声を柔らかくする。
「ですが、あなたまで倒れたら誰がこの魔法を完成させるのですか?」
「……」
「一日休んだ方が、明日から効率よく進められるでしょう?」
「……はい」
正論だった。
「お母様、今日は休んでください」
スミレまで加わる。
「……スミレまで」
「私も、エミリーさんは休んだ方がいいと思います」
「私もです」
桜と梅も追撃した。
「……四対一はずるくない?」
「多数決です」
「ターニャ……」
「さあ、部屋へ戻りますよ」
「はーい……」
エミリーは完全に諦めた。
◇ ◇ ◇
エミリーとスミレは、ターニャに付き添われて部屋へ戻っていった。
桜と梅もセイラに案内され、自分たちが使っている部屋へ戻る。
「明日の朝、お迎えに参ります」
扉の前でセイラが告げた。
「騎士団の訓練に参加していただく予定ですので、動きやすい服装をご用意いたします」
「分かりました」
「よろしくお願いします」
「は、はい!」
昨日よりは、かなり普通に会話できるようになっていた。
セイラが一礼して去ると、二人は着替えを済ませ、昨日と同じ大きなベッドへ入った。
◇ ◇ ◇
「今日は色々あったわね……」
桜が天井を見ながら呟く。
「うん」
梅も隣で頷いた。
「まさか朝雄ちゃんに妹がいたなんてね」
「私も驚いたわ」
二人は今日会ったスミレの顔を思い浮かべる。
「朝雄も、自分に妹がいるなんて知らないのよね」
「うん。知った時、どんな顔するんだろうね」
「すごく驚くでしょうね」
その場面を想像して、二人は揃って小さく笑った。
そして何より、朝雄が無事だと分かったことが大きかった。
食事もできていて、安心して眠れる場所もあるらしい。その事実が、二人の心にあった焦りを少しだけ和らげていた。
「エミリーさんの魔法の改良が進めば、朝雄の場所も分かるようになるかもしれないわね」
「うん」
「その時すぐ動けるように、私たちも準備しておかないと」
「そうだね」
今すぐ朝雄の元へ行けないのはもどかしい。
それでも、ただ闇雲に探し回るより、自分たちにできることを一つずつ進めた方がいい。
二人とも、ようやくそう考えられるようになっていた。
しばらくして、桜がふと思い出したように口を開く。
「それと、できればスミレちゃんともっと仲良くなりたいわ」
「……」
梅がクスッと笑った。
「それは、今後のことを考えると重要だよね」
「……何のこと?」
「さあ?」
「梅ちゃん」
「ふふっ」
梅の言いたいことに気づいたのだろう。
桜は少し頬を赤くした後、諦めたように小さく笑う。
「もう……」
二人は顔を見合わせ、そのまましばらく笑い合った。
朝雄の居場所は、まだ分からない。
それでも、無事でいることは分かった。
この世界には朝雄を待っている母親と妹がいて、自分たちと同じように朝雄を心配している人たちもいる。
異世界へ来てから初めて、二人は少しだけ肩の力を抜くことができた。
「おやすみ、桜ちゃん」
「おやすみ、梅ちゃん」
やがて二人は目を閉じる。
今夜は、久しぶりに心から安心して眠れそうだった。




