023 桜サイド ターニャ先生の異世界講座
カーテンの隙間から差し込む朝日を感じ、桜はゆっくりと目を開けた。
上半身を起こして周囲を見渡すと、見慣れない大きなベッドの上にいる。隣では梅が静かな寝息を立てていた。
「そうか……異世界に来たんだった」
現状を確認するように呟く。
その声が聞こえたのか、梅もゆっくりと目を開けた。
「おはよう、桜ちゃん」
「おはよう、梅ちゃん」
まだ半分眠っているような顔で挨拶した梅は、身体を起こして大きく伸びをする。そして部屋を見回した。
「そうか、私たち異世界に来たんだっけ……」
桜とまったく同じことを口にした。
「やっぱり現実なのね」
「うん……」
二人はベッドから降り、改めて部屋を眺めた。
昨夜も思ったが、とにかく広くて豪華だ。テレビで見た海外の高級ホテルのスイートルームが、ちょうどこんな感じだった気がする。
ただし、窓の外に広がっている景色は日本とはまるで違う。遠くには石造りの建物が並び、そのさらに向こうには高い城壁まで見えた。
『本当に来ちゃったのね……』
桜は窓の外を眺めながら、改めて実感する。
すると。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「サクラ様、ウメ様。お目覚めでしょうか?」
聞き覚えのある声だった。
「はい、起きています」
桜が返事をすると、扉が静かに開く。
「おはようございます、サクラ様、ウメ様」
入ってきたターニャは、姿勢よく綺麗に一礼した。
昨夜エミリーと話していた時とは違い、完全に仕事中のメイドといった雰囲気だ。
「お、おはようございます」
「おはようございます、ターニャさん」
朝からメイドに丁寧な挨拶をされるという状況に慣れていない二人は、少し居心地悪そうに頭を下げた。
◇ ◇ ◇
用意された水とタオルで顔を整えたところで、ターニャが今日の予定を説明し始めた。
「本日ですが、エミリーは日中どうしても外せない公務がありますので、私がお二人と行動を共にいたします」
「公務……」
桜は昨夜から気になっていたことを思い出す。
エミリーの名前。
騎士たちの態度。
そして、この豪華な部屋。
どう考えても普通の魔法研究者ではない。だが、その辺りもこれから聞けるのだろう。
「朝食の後、この世界について一通りご説明いたします。魔法についても最低限知っておくよう、エミリーから申しつかっております」
「お願いします」
「よろしくお願いします」
すぐに朝雄を探しに行けないのなら、少しでもこの世界について知っておく必要がある。
二人とも素直に頷いた。
「それから」
ターニャが扉へ視線を向ける。
「お二人には必要ないかもしれませんが、万が一ということもございますので、護衛を一人お付けします」
桜と梅が首を傾げる。
「入りなさい」
ターニャの声を受け、扉が開いた。
「し、失礼します!」
入ってきたのは、白い鎧を身につけた若い女性だった。
桜と梅にも見覚えがある。
昨日、二人を見て、
『魔剣を持った目つきの怖い女剣士と、可愛い見た目なのに容赦のない幼女』
と言い放った騎士だ。
「セ、セイラと申します。よ、よろしくお願いいたします……」
きれいな金髪を背中まで伸ばし、瞳は鮮やかな緑色。二十歳前後に見える、優しそうな雰囲気の女性だった。
ただし。
「……」
現在は顔を強張らせ、僅かに震えている。
「ここに滞在している間、このセイラをお二人の専属護衛といたします。何かございましたら、遠慮なく申しつけてください」
「は、はい……」
ターニャの言葉を聞いた瞬間、セイラの表情がさらに絶望的なものへ変わった。
『昨日のことね……』
桜と梅にも理由は分かった。
桜は少し考える。
『最初の印象が悪すぎたわね』
ここは少しでも怖がられないようにするべきだろう。
桜はできるだけ優しく見えるよう意識して笑顔を作った。
「私は桜といいます。昨日はいきなり戦うことになってしまいましたけど、今日はよろしくお願いしますね」
「ヒィッ!」
「……」
セイラが思い切り後ずさった。
「……え?」
桜の笑顔が固まる。
元々、桜は朝雄や梅など、ごく親しい人間以外にはほとんど笑顔を見せない。愛想笑いをする習慣もない。
慣れないことをして盛大に失敗した結果、本人としては優しく笑ったつもりが、セイラには、
『何か企んでいる恐ろしい女剣士』
にしか見えなかったらしい。
「桜ちゃん」
「……なに?」
「その笑顔、ちょっと怖いよ」
「……」
容赦のない梅の感想が胸へ突き刺さる。
桜は無言で俯いた。
「セイラさんですね。私は梅です」
代わりに梅が笑顔で右手を差し出す。
「昨日はごめんなさい。よろしくお願いします」
「あ……」
普段から人当たりのいい梅の自然な笑顔を見て、セイラも少しだけ安心したようだった。
「よ、よろしくお願いします」
おずおずと右手を差し出し、軽く握手を交わす。
「ほら、桜ちゃんも」
「……」
「セイラさん。桜ちゃんは刀を持ってない時なら、そんなに怖くないですから」
「梅ちゃん。それ、フォローになってないわよ」
不満そうにしながらも、桜も右手を差し出す。
「よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ……」
二人ともぎこちなかったが。
とりあえず。
昨日よりは多少、関係が改善したようだった。
◇ ◇ ◇
朝食を終えると、ターニャが大きな地図をテーブルへ広げた。
「それでは、まずこの世界と、現在私たちがいる大陸についてご説明いたします」
桜と梅は並んで地図を覗き込む。
「この大陸には、大きく分けて二つの国があります。北側が、現在私たちのいるサザーラント王国です」
ターニャが地図の北半分を指でなぞる。
「人族が最も多く、エルフなど他種族も共に暮らしています」
続いて、南側を指した。
「そして大陸南部を治めるのが、ガルドール魔王国です。こちらは魔族や獣人族が多く暮らす国ですね」
「魔王国……」
桜と梅がほぼ同時に呟いた。
魔王。
日本でその言葉を聞けば、どうしても世界征服を企む悪役を想像してしまう。
だが昨日までに喜一郎やエミリーから聞いた話を思い出せば、そう単純なものではないらしい。
「約三百年前までは両国の間で大きな戦争が続いておりましたが、現在は和平が成立しています。交易も盛んで、人や物の行き来も珍しくありません」
「魔王っていうのは、単純に魔族の王様という意味なんですか?」
梅が尋ねる。
「はい。少なくとも『悪の王』という意味ではありません」
「やっぱり……」
「現在の魔王は穏健な方だと聞いておりますし、両国の関係も比較的良好です。ただし、別の国であることには変わりませんので、勝手に軍や騎士を送り込むことはできません」
「……」
桜と梅は昨日の話を思い出した。
朝雄の居場所がまだ分からない。
もし魔王国側へ転移していたなら、サザーラント王国の人間が勝手に捜索するわけにもいかないということだ。
「そして」
ターニャは地図の北側中央にある、大きな城の印を指した。
「現在私たちがいるのが、サザーラント王国の王都です。元々、この地を治めていたサザーラント王家が長い年月をかけて領土を広げ、大陸北部を統一したことで現在の王国が成立しました」
「……」
桜と梅が顔を見合わせる。
やはり。
昨日から気になっていたことがある。
「あの」
桜が手を上げた。
「はい」
「エミリーさんは……エミリー・サザーラントと名乗っていましたよね?」
「ええ」
「もしかして、王家と関係があるんですか?」
ターニャは一瞬だけ不思議そうな顔をした後。
何でもないことのように答えた。
「エミリーは、この国の第一王女です」
「……」
「……」
二人の動きが止まった。
「第一……王女?」
「はい。現在の国王陛下の唯一の御子です」
「……」
「……」
昨日。
騎士たちがエミリーへ跪いた理由。
ターニャが人前ではエミリーを丁寧に扱っていた理由。
豪華な部屋。
すべてが一気につながった。
『朝雄のお母さん……王女様なの?』
『ということは朝雄ちゃんって……』
桜と梅の表情を見て、ターニャは僅かに苦笑した。
「驚かれるのも無理はありません」
「いえ……その……」
梅は言葉を探す。
そして。
「昨日、テーブルに突っ伏して『疲れたぁ~』って言ってた人が……?」
「ええ」
ターニャが即答した。
「残念ながら」
「ターニャ!」
その場にいないエミリーの抗議が聞こえたような気がした。
◇ ◇ ◇
「でも」
桜が新たな疑問を口にする。
「エミリーさんは、ターニャさんと同じ歳なんですよね?」
「はい」
「それで国王様の子供が、エミリーさん一人というのは……?」
「それには種族の違いが関係しています」
ターニャは少しだけ表情を改めた。
「エミリーの父上、つまり現在の国王陛下は人族です。そして母上である王妃様は、北方に住むエルフ族の長の娘でした」
「エルフ……」
「陛下が王妃様に一目惚れしまして、それはもう周囲が止めても聞かず、何度も何度も求婚されたそうです」
「……」
『エミリーさんの行動力って、お父さん譲りなのかしら』
桜はなんとなく納得した。
「お二人の仲は今でも非常に良好です。ただ、エルフは人族より子供を授かりにくく、長い結婚生活の中で生まれた子供はエミリーだけでした」
「それで王位継承の問題が?」
「はい」
ターニャが頷く。
「サザーラント王国では、王位を継ぐのは原則として男性です。国王に男子がいない場合は、王女の夫を王とするか、王女に男子が生まれれば、その子が有力な継承者となります」
「……」
桜と梅は嫌な予感がした。
「当然、第一王女であるエミリーには、昔から多くの縁談が持ち込まれておりました」
「それが嫌で……」
「はい」
ターニャの口元が僅かに引きつった。
「異世界へ逃亡しました」
「……」
「……」
桜と梅は何も言えなかった。
「しかも」
ターニャの握った拳から。
ギリッ。
という鈍い音がした。
「城の魔石を大量に持ち出し、宝物庫から宝石類まで持ち出した挙句、残された私に置き手紙一枚だけ残して――」
「タ、ターニャさん?」
「……」
背後から黒い何かが立ち上っているように見える。
桜。
梅。
そしてセイラまで。
三人揃って身体を引いた。
「……コホン」
ターニャは咳払いを一つすると、何事もなかったように表情を戻した。
「その辺りの話は置いておきましょう」
『置いておいた方がいい』
三人は心の中で同意した。
「ともかく、異世界へ渡ったエミリーは、そこで喜一郎様と結婚し、男子を授かりました」
「……朝雄」
「はい」
ターニャが頷く。
「現在、アサオ様は王位継承権第一位です」
「……」
「……」
予想していた。
予想はしていたのだが。
実際に言葉にされると。
やはり衝撃が大きい。
『朝雄が……王様?』
『朝雄ちゃんが……?』
二人の頭に浮かんだのは。
朝寝坊して桜に起こされ。
梅の作った料理を美味しそうに食べ。
卓也とくだらない話をして笑っている。
いつもの朝雄だった。
「……似合わないわ」
「うん。全然想像できない」
「……」
ターニャは少しだけ笑いそうになったが、どうにか堪えた。
そして、桜と梅を改めて観察する。
『お二人とも、アサオ様を追って異世界まで来た』
その気持ちがただの幼馴染への親愛だけではないことは、ターニャにもなんとなく分かっていた。
『もしアサオ様が王位を継ぐことになれば……』
その隣に立つ女性は。
将来、この国の王妃となる可能性もある。
「……」
「ターニャさん?」
「いえ。何でもありません」
余計なことを考えるのはやめておいた。
◇ ◇ ◇
「ですので、王国としてもアサオ様の捜索には全力を尽くす予定です」
桜と梅の表情が真剣になる。
「すでにエミリーの権限で動かせる者を、国内の主要な街や村へ向かわせています」
「もう捜してくれているんですか?」
「はい。ただし、現時点では本格的な捜索とは言えません。アサオ様がどこへ転移したのか、まだ分かっておりませんから」
「……」
「サザーラント王国内にいる確証すらありません。先ほど説明した通り、大陸の南半分はガルドール魔王国ですので、根拠もなく他国へ捜索隊を送り込むこともできません」
「そうですよね……」
梅の表情が曇る。
「現在は、各地で不審な人族の少年を見かけていないか、情報を集めている段階です。おおよそでも場所が判明すれば、すぐに動けるよう準備しています」
ターニャは二人を真っ直ぐ見る。
「正直に申し上げれば、アサオ様が見つかるまで、お二人には王城に留まっていただきたいと思っています」
「それは……」
「ただ」
桜が何か言うより先に続けた。
「止めても、お二人は行かれるのでしょう?」
「……はい」
「行きます」
即答だった。
「そうでしょうね」
ターニャは小さく溜息をついた。
「ですので、捜索に行くなとは申しません。ただ、最低限アサオ様のおおよその居場所が分かるまでは、こちらで準備を整えてください」
「準備……」
「この世界の常識を知ること。旅の方法を覚えること。そして」
桜の傍らに置かれた雪風へ視線を向ける。
「ご自身の力について理解することです」
「……」
桜と梅は揃って頷いた。
今すぐ闇雲に飛び出したところで、朝雄を見つけられる可能性は低い。むしろ自分たちまで遭難すれば、朝雄を探すどころではなくなる。
「分かりました」
「今はちゃんと準備します」
「ありがとうございます」
ターニャも安心したように頷いた。
◇ ◇ ◇
「それでは次に、魔法についてご説明いたします」
ターニャは地図を片づけると、新しい話題へ移った。
「お二人がいた世界では、魔法という言葉や概念は存在していても、実際に使用できる人間はいなかった。その認識でよろしいですか?」
「はい」
桜が答える。
「少なくとも、私たちは本当に魔法を使える人なんて見たことありません」
「そうですか……」
ターニャは少し考え込んだ。
「あの、何か?」
「いえ」
ターニャは桜を見る。
「サクラ様は昨夜、明らかに魔法を使用していましたので」
「……」
二人の視線が雪風へ向く。
「騎士の足を凍らせた、あれですね」
「はい」
「私も、どうしてああなったのか分からないんです。ただ……雪風がやったんだとは思いました」
桜は雪風の鞘へ軽く触れた。
「雪風?」
「この刀の名前です」
ターニャは興味深そうに雪風を見る。
「こちらの世界には、魔剣と呼ばれる武器があります」
「魔剣?」
「使用者の魔力を使い、特殊な魔法効果を発動する剣です。炎をまとわせる物や、風を発生させる物など種類は様々です」
「じゃあ、雪風も?」
「昨夜の様子を見る限り、その可能性は高いと思います」
ターニャは少し首を傾げる。
「ただし、普通の魔剣は、所有者が意識して魔力を流さなければ効果を発揮しません」
「私は何もしてないです」
「そこが不思議なのです」
ターニャがセイラを見ると、彼女も頷いた。
「昨日は明らかに、サクラ様の身体から刀へ魔力が流れていました」
「私の……魔力」
桜にはまったく自覚がない。
そこで、雪風について修蔵から聞いた古い話を思い出す。
「そういえば……」
「何か心当たりが?」
「昔、お爺様から聞いた話があります」
雪風は、九条家に昔から伝わる刀。
いつ誰が作ったのかも分かっていない。
そして。
妖刀としての伝承があった。
「雪風で斬られた者は、傷口が一瞬で凍り、一滴の血も流すことなく倒れる……という話です」
「……」
「小学生の頃に聞いた昔話ですし、お爺様自身も本気で信じているようには見えませんでした」
「ですが」
ターニャが雪風を見つめる。
「昨日、実際に似た現象が起きた」
「……はい」
「少し確認してもよろしいですか?」
「どうすれば?」
「雪風を抜いてみてください」
「分かりました」
桜は雪風を手に取り、ゆっくり鞘から抜いた。
その瞬間。
「……!」
昨日と同じ感覚。
身体の奥から何かが流れ出し、雪風へ吸い込まれていく。
同時に、ひんやりとした冷気が刀身から漂い始めた。
「やはり……」
ターニャが目を細める。
セイラも真剣な表情で見ていた。
「間違いありません。サクラ様の魔力を使っています」
「本当に私が……」
「ええ。ただ」
ターニャは少し困った顔をする。
「魔法を学んだこともない方が、無意識に魔剣へ魔力を流しているというのは、私も聞いたことがありません」
「……」
桜は雪風を見る。
「あなた、昔からこんなことできたの?」
チリン。
鈴が鳴る。
「……」
「……」
ターニャとセイラが固まった。
「いま……返事を?」
「雪風は昔から時々こうやって鳴るんです」
「風もないのに?」
「はい」
「……」
ターニャは何とも言えない表情になる。
「その剣についても、一度エミリーに詳しく調べてもらった方が良さそうですね」
「お願いします」
桜は雪風を鞘へ戻した。
◇ ◇ ◇
「それから」
ターニャは戸棚から、透明な水晶玉を一つ取り出してテーブルへ置いた。
「これは魔法適正を確認するための魔道具です」
「昨日、エミリーさんが朝雄にも適正があるかもしれないって言ってましたね」
「はい。お二人についても確認しておいた方がいいでしょう」
桜と梅が水晶玉を見る。
「使い方は簡単です。順番に手を置いてください」
「じゃあ、私から」
桜が右手を水晶玉へ載せる。
しばらくすると。
白い光が浮かび。
それが青へ変わった。
「……」
「青……」
「十分に高い適正です」
ターニャが頷く。
「きちんと訓練すれば、魔法使いとして実用的なレベルまで到達できる可能性があります」
「そうなんですか」
「……あまり嬉しそうではありませんね」
「いえ、その……」
桜は困った。
「剣が強くなれるって言われた方が、まだ実感があるので」
「なるほど……」
桜らしい答えだった。
「次は梅ちゃんね」
「うん」
桜が手を離し、今度は梅が水晶玉へ触れる。
白。
青。
そこまでは桜と同じ。
しかし。
「……!」
さらに光が変化した。
赤。
「え?」
梅が目を丸くする。
「……」
ターニャとセイラは、もっと驚いていた。
「赤……」
セイラが呆然と呟く。
「私、実際に見るの初めてです……」
「そんなに珍しいんですか?」
「ええ」
ターニャも驚きを隠せない。
「私も昔、エミリーの適正を調べた時に見て以来です」
「エミリーさんも?」
「はい」
ターニャは赤く光る水晶を見つめる。
「赤は極めて高い魔法適正を示します。王都でも、ここまでの適正を持つ者はほんの一握りです」
「……」
梅は自分の手を見る。
「私が……魔法?」
「そういうことになります」
「……そうですか」
「……」
反応が薄い。
ターニャとセイラは顔を見合わせた。
この国では、
『非常に高い魔法適正があります』
と言われれば、大抵の者は喜ぶ。将来の選択肢が大きく広がるからだ。
だが、現代日本から来た二人にとっては、
『魔法使いの才能があります』
と言われても。
すぐに喜べるほど現実感がなかった。
「と、とにかく」
ターニャが咳払いする。
「お二人とも適正がありますので、明日から基礎的な魔法訓練にも参加していただきます」
「分かりました」
「お願いします」
「勝手に魔法を試したりはしないでくださいね」
「はい」
「大丈夫です」
朝雄が聞けば耳の痛い話だった。
◇ ◇ ◇
その後も、ターニャ先生による異世界講座は続いた。
この世界で使われているお金。
王都での生活。
街の外へ出る時の注意。
魔物や野生動物。
旅をする際に必要となる物。
そして、文字。
こちらの世界で使われている文字は、日本のものとはまったく違っていた。
「……」
見せてもらった本を見て、桜と梅は揃って顔を引きつらせた。
「これも覚えるんですか?」
「最低限は」
「……」
朝雄を見つけた後、この世界を旅することになる可能性を考えれば、文字が読めないのは困る。
「頑張りましょう、桜ちゃん」
「……そうね」
二人は少し遠い目をした。
◇ ◇ ◇
昼食を挟みながら説明を受け続け、気がつけば窓から差し込む光が夕方の色へ変わり始めていた。
セイラはというと。
「……」
壁際に立ったまま、目を閉じている。
『寝てる?』
梅が少し首を傾げる。
だが、姿勢は完璧に真っ直ぐだ。
騎士として護衛をしながら。
立ったまま眠るという。
妙な特技を披露していた。
その時。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「ターニャ? ここにいるの?」
「……?」
桜と梅は顔を見合わせる。
随分幼い声だった。
「……!」
居眠りしていたセイラが一瞬で目を開ける。
「起きてたんですか?」
「もちろんです!」
「……」
梅は何も言わなかった。
セイラは扉の向こうの声に聞き覚えがあるらしく、ターニャへ確認するように視線を向ける。
ターニャが頷くと、扉を開いた。
「良かった。ここにいたのですね、ターニャ」
そう言いながら部屋へ入ってきたのは、声の印象通り、一人の少女だった。
「……」
「……」
桜と梅が同時に固まった。
白いドレス。
腰近くまで伸びた長い黒髪。
前髪は額の辺りで綺麗に切り揃えられている。
瞳は鮮やかな青。
年齢は十一歳くらいだろうか。
だが。
二人が驚いた理由は、そこではない。
『似てる……』
『朝雄ちゃんに……』
少女の顔立ちは。
数年前の朝雄に。
驚くほどよく似ていた。
「……?」
少女も、自分を凝視する二人に気づいた。
「……」
びくっ。
身体が僅かに震える。
初対面の二人が、無言で自分の顔を見つめ続けているのだ。怖くなるのも当然だった。
「こ、こちらの方たちは……誰ですか?」
少女は少し引き気味にターニャへ尋ねる。
「ああ」
ターニャはそこで思い出した。
『そういえばエミリー、昨日何も説明していませんでしたね』
昨夜。
『大事なこと言うの忘れてた』
などと言っていた本人は。
やはりそのまま忘れたらしい。
「こちらのお二人は、お母様のお客様ですよ」
「お母様の……?」
少女はターニャの後ろへ少し隠れながら、桜と梅を見る。
「……朝雄?」
桜が思わず呟いた。
「……!」
少女がターニャの背後から顔を出す。
「お、お兄様をご存じなのですか?」
「……」
「……」
今度こそ。
二人は完全に言葉を失った。
『お兄様?』
ターニャはそんな二人を見て、少女を自分の前へ出す。
「ご紹介します」
そして。
「こちらはスミレ様です」
「……」
「エミリーがこちらの世界へ戻ってから生まれた――」
ターニャが続ける。
「アサオ様の妹君です」
「……え?」
桜。
梅。
二人揃って。
目を大きく見開く。
「朝雄の……」
「妹……?」
口まで開いたまま。
完全に固まった二人。
そして。
「……」
そんな顔で凝視され続けたスミレは。
今にも泣き出しそうな顔で。
再びターニャの後ろへ隠れた。
宜しければ評価をいただけると励みになります。
次話は明日7:00に投稿します。




