021 桜サイド 異世界へ
013からの続きです
桜側のお話になります。
「さあ、朝雄を助けに行くわよ。他のことは、その後でゆっくり考えればいいわ」
「うん!」
二人はつないだ手に、もう一度力を込めた。
魔法陣から溢れ出した白い光が桜と梅を包み込み、やがて周囲のすべてが真っ白に染まっていった。
◇ ◇ ◇
あまりの眩しさに目を閉じていた二人は、しばらくしてゆっくりと目を開いた。
「……ここは?」
周囲を見渡す。そこは、どこまでも白い空間だった。
「転移って、瞬間移動みたいにすぐ向こうへ着くのかと思ってたんだけど……違うみたいね」
桜の言葉に、梅も頷く。
「そうみたいだね」
床も壁も天井もない。自分たちが立っているのか、浮いているのか。それどころか、動いているのか止まっているのかすら分からなかった。
ただ、不思議なことに恐怖はあまり感じない。
「とりあえず、私たちにできることはなさそうね」
「うん。しばらく様子を見るしかないかな」
不安がないわけではない。それでも二人は、自分たちの意思で異世界へ行くと決めた。
今さら白い空間に放り出された程度で、取り乱している場合ではなかった。
「向こうに着いたら、朝雄ちゃんのお母さんに会うんだよね?」
梅が少し緊張した顔になる。
「そっちの方が緊張するかも……」
「そうね。粗相のないようにしないと」
桜も真剣な表情で頷く。
「最初の印象は大事だもの」
「それもそうなんだけど……まず謝らないと駄目だよね」
「……そうね」
二人の表情が少し曇る。
向こうでは、朝雄の父である喜一郎が転移してくると思っているはずだ。十年以上離れていた夫にようやく会える。そう思って待っているところへ、現れるのが自分たち二人なのだ。
「十年以上会ってなかった旦那さんに会えると思ってたのに、来たのが私たちじゃ……がっかりするよね」
「……」
「やっぱり申し訳ないな」
梅の言葉に、桜も俯いた。
自分たちの想いを優先したことで、朝雄の母親から夫と再会する機会を奪ってしまった。そこには、やはり罪悪感がある。
「でも」
桜が顔を上げる。
「それでも行くって決めたんだもの」
「うん」
「土下座でも何でもして、きちんと謝りましょう」
「……うん!」
梅も強く頷いた。
◇ ◇ ◇
そんな話をしていると、不意に周囲へ変化が現れた。
「桜ちゃん」
「ええ」
二人の視線の先に、ぽっかりと黒い穴のようなものが浮かんでいる。最初は小さな点にしか見えなかったそれが、少しずつ大きくなっていた。
いや。
「私たちの方が近づいてる?」
「たぶん」
相変わらず自分たちが動いている感覚はない。それでも、黒い穴との距離は確実に縮まっている。
「あれが出口みたいね」
「そうみたいだね」
二人は自然に手をつなぎ直した。
穴は瞬く間に大きくなり、やがて視界いっぱいに広がる。
そして。
二人の身体は、その中へ吸い込まれていった。
◇ ◇ ◇
次に目を開いた時。
そこは薄暗い石造りの部屋だった。
「……着いた?」
「たぶん」
二人が立っている床には、日本で乗ったものとよく似た巨大な魔法陣が描かれている。
『本当に……異世界に来たんだ』
梅は改めて実感した。
だが、感慨に浸っている暇はなかった。
正面。
少し離れたところに置かれたテーブルの向こうに、一人の少女が座っている。
長い銀髪。
大きな青い瞳。
そして髪の間から伸びた、先の尖った長い耳。
『エルフ……』
年齢は自分たちと同じくらいに見える。その傍らには、メイド服を着た女性が一人立っていた。
こちらは三十代半ばくらいに見え、桜には自分の母親と同年代くらいに思えた。
銀髪の少女は桜と梅を見るなり、小さく口を開けて固まっている。
一方、メイド服の女性は。
「……」
明らかに警戒した目を向けていた。
もっとも、部屋にいるのはその二人だけではない。
「……!」
桜が僅かに目を細める。
魔法陣とテーブルの間に、四人の人間が立っていた。女性が一人。男性が三人。
全員が白い金属製の鎧を身につけ、腰には剣を下げている。
『騎士……』
まるで昔読んだ漫画から、そのまま出てきたような姿だった。
武装した人間がいる。
それだけで桜の身体は反射的に動いた。
右手が腰の雪風へ伸びる。隣では梅も、両腕の手甲を前へ構えた。
「……!」
その動きを見た若い騎士の一人が剣を抜いた。続いて、残る三人も一斉に剣を抜く。
「桜ちゃん……」
「……」
桜の表情から感情が消えた。
目を細め。
雪風を抜く。
その瞬間。
「……?」
身体の中から何かが流れ出し、雪風へ吸い込まれていくような感覚があった。
次いで、刀身から冷気が溢れ出す。
「……」
周囲の空気が一気に冷えた。
白い刀身は、今にも凍りつきそうなほどの冷気をまとっている。
「そう」
桜の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
「あなたもやる気なのね、雪風」
チリン。
鍔に結ばれた小さな鈴が、涼しげな音を響かせた。
◇ ◇ ◇
『まずい……』
梅は雪風を構える桜と、同じように剣を構えている騎士たちを交互に見た。
『なんとかしないと』
もっとも、自分も騎士たちが剣を抜いた瞬間、反射的に構えてしまっている。
『まず会話しないと……』
そう思い桜を見る。
雪風からは凄まじい冷気。
そして、それを見て僅かに笑っている桜。
『……桜ちゃんは今ちょっと駄目そう』
ならば相手側だ。
四人のうち、一人だけ明らかに年長の男性騎士がいる。五十代半ばくらいだろうか。
その騎士も、突然現れた二人の少女を前に戸惑っているように見えた。
『向こうも混乱してる』
ならば、敵意がないことさえ伝えられれば何とかなるかもしれない。
そう考えたところで、梅は重大なことに気づいた。
『……言葉って通じるの?』
四人は髪も瞳の色もバラバラだ。少なくとも日本人には見えない。
緑色や赤色の髪など、日本ではまず見かけないだろう。
『でも、何とか――』
梅が片手を上げようとした。
その時。
「怪しい奴め! 大人しく武器を捨てろ!」
「え?」
若い男性騎士の一人が叫びながら桜へ迫った。
『日本語だ!』
まずそこに驚いた。
『いや、それより――』
剣を持って向かってくる相手に。
『武器を捨てる人なんていないよね!?』
そう思った直後。
「幼い見た目には騙されないぞ! そんな物騒な武器を持っているとは!」
「……」
もう一人の若い騎士が、梅へ剣を構えて迫ってきた。
梅は自分の両腕を見る。
鈍い光を放つチタン製の手甲。
『……それはそうかも』
見た目だけなら十分物騒だった。
梅は諦めるように息を吐き、腰を落として構えた。
◇ ◇ ◇
「うおおおおっ!」
桜へ向かって、騎士が剣を振り下ろす。
桜は表情一つ変えず、身体を僅かに横へ動かした。
剣が目の前を通り過ぎる。
「なに!?」
全力の一撃をあっさりかわされ、男の顔に驚きが浮かんだ。
『……大したことない』
一振り見ただけで、桜にはおおよその技量が分かった。
続けて斜めから振られた剣もかわす。
横薙ぎ。
突き。
どれも受ける必要すらない。少し身体を動かすだけで、剣先は桜の横を通過していった。
「くっ……!」
何度攻撃しても当たらない。
騎士の呼吸が少しずつ荒くなる。
『私じゃなくて……』
しばらく相手を観察していた桜は気づいた。
『雪風を狙ってる?』
どうやら剣を弾くなどして、桜を無力化するつもりらしい。少なくとも最初から殺す気ではない。
『それなら……』
桜は雪風を持ち直した。
こちらも最低限の攻撃で動きを止めればいい。
狙うなら腕か足。
『最悪でも、折れるくらいで済むでしょう』
およそ普通の女子高生とは思えない結論だった。
桜の雰囲気が変わったことに、騎士も気づいたらしい。肩で息をしながらも、剣を構え直す。
先に動いたのは桜だった。
相手の隙など待つ必要はない。一気に腰を落とし、そのまま間合いへ飛び込む。
「なっ!」
騎士も反応した。
だが遅い。
桜は雪風をくるりと返し、刃ではなく峰を相手の膝へ叩き込んだ。
『これなら、さすがに切れない』
多少痛いだろうが、折れない程度には手加減したつもりだった。
だが。
パキッ。
パキパキパキッ。
「……え?」
騎士の脚が、膝を中心に一気に白く凍りついていく。
「な、なんだこれは!?」
片脚が動かなくなり、男はその場へ倒れ込んだ。
「足が……凍ってる!?」
「……」
驚いたのは桜も同じだった。
雪風を自分の顔の前へ掲げる。刀身から、ひんやりとした冷気が漂っていた。
「そう」
桜は小さく呟く。
「あなたがやったのね、雪風」
チリン。
まるで返事をするように、小さな鈴が鳴った。
◇ ◇ ◇
「痛い思いをしたくなければ、大人しくしろ!」
梅へ迫った騎士が、剣を振り下ろす。
『この状況で「分かりました」って大人しくする人はいないと思う!』
梅は一歩横へ動き、剣をかわした。
「なに!?」
あまりの速さに、一瞬相手が梅を見失う。
梅はその横から、騎士の剣を確認した。
『……あれ?』
剣は振り抜かれず、梅の頭があった辺りで止まっている。
次の攻撃。
今度も寸前でかわす。
また剣は途中で止まった。
『やっぱり』
殺すつもりはない。
少なくとも、梅にはそう思えた。
『だったら、こっちも最低限で動けなくすればいいよね』
殴り飛ばすだけなら簡単だ。
だが異世界へ到着した直後から、騎士を一方的に叩きのめすのは今後に響きそうな気がする。
梅は攻撃をかわしながら、改めて相手を観察した。
身長は百九十センチ近く。全身を鎧で包んでいるものの、足が長くモデルのような体型をしている。顔も整っていた。
髪が緑色なのが少々気になるが、恐らくこの世界では地毛なのだろう。
「くっ、小さくてやりづらい!」
「……」
その言葉を聞いた瞬間。
梅の動きが止まった。
『小さくて?』
騎士が何気なく口にした言葉。
だが。
梅にとっては。
触れてはいけない部分だった。
次の瞬間。
「なっ!?」
梅の姿が消えたように見えた。
低い姿勢のまま、一瞬で騎士の懐へ入り込む。
目の前には。
ちょうど一撃で相手を無力化できそうな高さに、急所がある。
『鎧も着てるし……』
梅は右手を引いた。
『酷いことにはならないよね』
そして。
ドゴォッ!
「――っ!?」
チタン製の手甲が、騎士の鎧へめり込んだ。
鎧はかろうじて形を保っているものの、大きくへこんでいる。
梅は静かに右腕を引き抜く。
「朝雄ちゃんと並ぶと、ちょうどいいんだからね!」
「……」
騎士には、その言葉は届いていなかった。
白目を剥き。
両手で股間を押さえたまま。
ゆっくりとその場へ崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇
「……」
部屋が静まり返った。
若い騎士二人が、あっという間に倒された。
残る年配の騎士は、明らかに焦った顔をしている。隣にいる若い女性騎士に至っては、顔を青くしており、構えた剣が小刻みに震えていた。
「むう……強い!」
年配の騎士が剣を構え直す。
「セイラよ、我らで止めるぞ! 覚悟を決めろ!」
「無理ですぅぅぅ!」
セイラと呼ばれた女性騎士が、ぶんぶんと首を横へ振った。
「ボロン団長~! あんなの無理ですよぉ!」
「泣き言を言うな! 近衛の者は、王族を守るためなら命を捨てるのが使命だ!」
「無理無理無理です~!」
涙目で桜と梅を交互に指差す。
「魔剣を持った目つきの怖い女剣士と、可愛い見た目なのに容赦のない幼女なんて相手にできません~!」
「……」
「……」
桜と梅が固まった。
「目つきの怖い……」
「容赦のない幼女……」
二人とも、先ほどの戦闘より明らかにダメージを受けていた。
そのおかげか。
少しだけ冷静さが戻る。
『そうだ』
桜は改めて周囲を見る。
『私たちは戦いに来たんじゃない』
目的は朝雄を助けること。
そして、この世界には朝雄の母親がいる。
残っているのは、騎士二人を除けば銀髪の少女とメイド服の女性。
『朝雄のお母さん……』
年齢から考えれば、メイド服の女性だろうか。
桜が隣を見ると、梅も同じことを考えたらしく、小さく頷いた。
『まず話を――』
桜が口を開こうとした、その時。
「双方とも、武器を収めなさい!」
凛とした声が部屋へ響いた。
「……!」
声の主は。
先ほどまでテーブルに座っていた銀髪の少女だった。
いつの間に取り出したのか、一枚の紙を手にしている。
可愛らしい声。
だが。
そこには、反射的に従ってしまうような強さがあった。
「……はっ!」
ボロンとセイラが即座に剣を収める。
メイド服の女性も、いつの間にか構えていた短刀を下ろした。
「……」
桜も少し迷った後、雪風を鞘へ納める。
梅も構えを解いた。
そして。
「……え?」
騎士二人とメイド服の女性が、一斉に銀髪の少女へ跪いた。
『この子……』
桜と梅は驚いた。
銀髪の少女が、二人へ向かって歩き始める。
「エミリー様!」
ボロンが止めようと顔を上げたが。
「大丈夫です」
少女は視線だけで制した。
そして桜と梅の前へ立つ。
長い銀髪。
大きな青い瞳。
先の尖った長い耳。
身長は百六十センチほど。
どう見ても高校生くらいにしか見えない。
「……」
二人を見上げるように確認した少女は。
にっこりと笑った。
「桜ちゃんと梅ちゃんだね?」
「……え?」
「どうして私たちの名前を……」
驚く二人。
だが。
次の言葉は。
それ以上の衝撃だった。
「私が朝雄のお母さん」
少女は自分の胸へ手を当てる。
「エミリー・サザーラントだよ。よろしくね!」
「……」
「……」
桜と梅は。
完全に固まった。
目の前の少女が。
朝雄の母親。
そして。
その眩しい笑顔は。
二人が何度も見てきた。
朝雄の笑顔と。
驚くほどよく似ていた。
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次話は明日7:00に投稿します。




