020 その後と旅立ち
倒れている朝雄と、その傍で泣いているアリアを見つめていたサーシャは、後ろで何かが崩れる音を聞いて我に返った。
「お前、水の魔法は使えたな! すぐに火を消せ!」
「はっ!」
指示を受けた騎士も我に返り、燃え続けているアリアの家へ向かう。
すぐに水魔法による消火が始まったが、火が消えた頃には家はほとんど形を残していなかった。屋根は崩れ落ち、残っているのは黒く焼け焦げた柱と瓦礫だけだった。
「……」
ようやく泣き止んだアリアは、何も言わずその光景を見つめていた。
今は亡き両親から受け継ぎ、幼い頃からルリアと暮らしてきた家。そこにあった思い出のすべてが、目の前で失われてしまった。
また涙が零れそうになった、その時。
「お姉ちゃん!」
「……!」
聞き慣れた声に、アリアは勢いよく振り返った。
息を切らしながら、ルリアがこちらへ走ってくる。
「ルリア!」
そのままアリアへ飛びつくと、ルリアは声を上げて泣き始めた。
「お兄ちゃんに、村の外で待ってるように言われたけど……心配で……!」
「ごめんね。心配かけて……」
アリアは妹を強く抱きしめ、その頭を優しく撫でる。
しばらく泣いていたルリアは、不意に顔を上げた。
「お兄ちゃんは?」
「……」
「一緒じゃないの?」
「アサオさんも無事よ」
アリアは少し離れた場所へ視線を向ける。
「私たちを助けてくれたの」
ちょうど騎士に背負われた朝雄が運ばれてくるところだった。意識はないものの、静かに呼吸している。
その姿を確認して、ルリアはようやく安心したように息を吐いた。
「ルリア……」
「なに?」
「ごめんね」
アリアは燃え跡へ目を向けた。
「家、守れなかった……。お父さんとお母さんから残してもらった家だったのに……」
声が震える。
だがルリアは、焼け落ちた家をしばらく見つめた後、アリアへ向き直った。
「家がなくなっちゃったのは悲しいよ」
「……うん」
「でも、お姉ちゃんとお兄ちゃんが無事なら、それでいい」
「……」
「家がなくなっても、三人で一緒にいられればいいよ!」
「ルリア……」
無理をしているようには見えなかった。本心からそう思っているのだろう。
その眩しい笑顔に、アリアの胸が少しだけ軽くなる。
「……そうね。私もルリアも、アサオさんも生きてる」
「うん!」
「それだけで十分ね」
「うん!」
姉妹は、もう一度強く抱き合った。
◇ ◇ ◇
「アリア、ルリア」
なんとか自力で歩けるまで回復したサーシャが、二人へ声を掛ける。
「まずはアサオを休ませる。私たちが借りている家へ運ぶから、二人も来てくれ」
「はい」
「うん」
騎士の一人が朝雄を背負い、別の騎士がアリアの治療した負傷者を背負う。その後ろからサーシャ、アリア、ルリアが続いた。
徴税部隊が借りている家へ着くと、空いていた部屋のベッドへ朝雄を寝かせた。
「恐らく魔力枯渇だ」
サーシャは眠ったままの朝雄を見ながら説明する。
「それに、あれだけ無茶な魔力の使い方をした。しばらく目を覚まさない可能性が高い」
「どのくらいですか?」
「分からない。普通に大量の魔力を使っただけなら、長くても数日で目を覚ますと思う。だが、今回は……」
サーシャはそこで言葉を止めた。
アリアとルリアは心配そうに朝雄を見る。それでも呼吸は安定している。
「大丈夫だ」
サーシャは二人へ言い聞かせるように続けた。
「必ず目を覚ます」
「……はい」
「うん」
三人はもう一度朝雄を見てから、部屋を出た。
◇ ◇ ◇
「アリア。それにルリアも」
廊下へ出ると、サーシャが二人へ向き直った。
「少し話がある。私の部屋へ来てくれ」
アリアはすぐに、朝雄についての話だと察した。
「分かりました」
「お兄ちゃんの話?」
「ああ」
三人は朝雄の部屋から二つ隣にある部屋へ移動した。
「ここは私が使っている部屋だ。騎士の中では女は私一人だから、専用で使わせてもらっている」
中にはベッドと机、小さなテーブルと椅子が一つあるだけで、それ以外にはほとんど何もなかった。元々、数日間滞在するために村の空き家を借りているだけなので、当然といえば当然だ。
「椅子が一つしかない。二人はベッドへ座ってくれ」
アリアとルリアが並んで腰掛ける。
サーシャは椅子を二人の正面へ移動させ、そこへ座った。
「話というのは、アサオのことだ」
アリアが静かに頷く。
「お兄ちゃんがどうかしたの?」
ルリアだけは、村の中で起きたことを詳しく知らない。
サーシャは朝雄が魔物を倒したこと、その際に大量の魔力を使ったことを簡単に説明した。
「すごい!」
ルリアの目が輝く。
「さすがお兄ちゃん!」
「確かに凄いことをした。だが、凄すぎるし危険すぎる」
「危険?」
ルリアの笑顔が消える。
「あのね、ルリア」
アリアが妹へ向き直る。
「アサオさんは、まだ魔法の基礎を学び始めたばかりなの」
「うん」
「ちゃんと使い方を覚える前に強い魔法を使うのは、とても危険なのよ。場合によっては、命に関わるくらいに」
「……!」
ルリアの顔から血の気が引いた。
「河原でもそうだった」
サーシャが続ける。
「ルリアと私を助けた時、アサオはまだ習っていない魔力の使い方をしていた。そして今回は、完全に暴走寸前だった」
「……」
「あのまま止まらなければ……」
続きを口にする必要はなかった。ルリアにも理解できたのだろう。
今にも泣き出しそうな顔になる。
「アサオには、危険だから勝手に魔法を使うなと私も言った」
「私もです」
「それでも使った。恐らく、また同じ状況になれば使う」
「……はい」
アリアも否定できなかった。
「私やルリア、サーシャさん……それどころか、目の前で誰かが危険な目に遭っていれば、アサオさんは自分が危険でも助けようとすると思います」
「そういう奴だ。だから困る」
サーシャが額へ手を当てる。
魔法を教えれば、すぐに安全に使えるようになるわけではない。アリアも学校で二年間学んで、ようやく治癒魔法を実用レベルまで扱えるようになった。
サーシャも王都で正式な魔法教育を受けている。
「このまま放ってはおけない」
サーシャは二人を見る。
「アサオが目を覚ましたら、私と一緒に王都へ来てもらう」
「……!」
アリアとルリアが同時に目を見開いた。
「王都に……?」
「ああ」
「お兄ちゃん、遠くへ行っちゃうの? お姉ちゃんとルリアを置いて?」
ルリアの目に涙が溜まる。
「待て待て。誰が二人を置いていくと言った?」
「え?」
「できれば、アリアとルリアにも一緒に来てもらいたい」
「……」
今度は姉妹揃って同じ顔で固まった。
「……ふっ」
あまりにも似た表情に、サーシャが思わず吹き出す。
「サーシャさん?」
「サーシャお姉ちゃん?」
二人が同時に少しむっとした顔になる。
「す、すまない!」
その顔までそっくりだったため、サーシャはさらに笑いそうになるのを必死で堪えた。
「説明が足りなかったな。そもそも今回の件がなくても、アサオには王都へ来てもらう必要がある」
「なぜですか?」
「村を魔物から救った功績に対して、国から恩賞を与えなければならない。今回ほどの功績なら、王への謁見になる可能性が高い」
「恩賞……」
「それからアリアも同じだ」
「私も?」
「ああ。騎士団の人間を四人も救った。十分に恩賞の対象になる」
アリア自身は当然のことをしたつもりだったため、驚きを隠せなかった。
「だからアリアにも王都へ来てもらう。そして当然、ルリアも一緒だ」
「やった!」
ルリアが一気に笑顔になる。
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、王様に褒めてもらえるんだ!」
「そ、そういう言い方をされると……」
アリアは少し困ったように笑った。
家は失ってしまった。そして何より、ここで朝雄と別れるのは辛い。アリア自身、もう少し三人で一緒にいたいと思っていた。
「分かりました。私たちも一緒に王都へ行きます」
「そうか」
サーシャも嬉しそうに笑った。
「それまでは、二人とも隣の部屋を使ってくれ。必要な物があれば言え、遠慮するなよ」
「ありがとうございます」
「私は副隊長と今後の打ち合わせをしてから、村長へ報告へ行く」
「何かお手伝いを――」
「駄目だ」
「……」
「今日はもう十分働いた。休め」
「はい……」
有無を言わせない口調だった。
アリアとルリアはサーシャへ礼を言い、部屋を出た。
◇ ◇ ◇
二人に用意された部屋には、ベッドが二つと、小さなテーブルと椅子が置かれていた。
アリアは部屋へ入るなり、一つのベッドへ腰を下ろす。
「……」
「お姉ちゃん?」
「少しだけ……休むね」
そう言った直後、そのまま横になって目を閉じてしまった。
今日は負傷者を何人も治療し、家も失い、朝雄が倒れるところまで目の前で見ている。身体も心も限界だったのだろう。
「お姉ちゃんも疲れてたんだね」
ルリアは小さな声で呟き、アリアへ布団を掛けた。
「ゆっくり休んでね」
その寝顔へ優しく笑いかけた。
◇ ◇ ◇
一方、サーシャは負傷した騎士たちのいる部屋を訪れていた。
そこには副隊長のガズリーを含め、負傷した四人の騎士が寝かされている。サーシャが入室すると全員が身体を起こそうとしたため、すぐに止めた。
「そのままでいい。休んでいろ」
「しかし――」
「命令だ」
「……了解しました」
サーシャは椅子をガズリーのベッドの傍へ移動し、先ほどアリアたちへ話した内容を説明した。
「報告は聞いていましたが……あの人族の少年が、あの魔物を一撃ですか」
「ああ」
「しかも魔法で?」
「この目で見た」
「……」
ガズリーはしばらく黙り込んだ。
「信じられないという顔だな」
「隊長。その目で見た隊長自身、まだ完全には信じられていないのでは?」
「……まあな」
サーシャは苦笑した。
「あの魔力量は異常だ。私も初めて見た」
「剣もあれだけ使えるというのに、魔法までですか。何者なんでしょうな」
「それを知るためにも王都には連れていく。放ってはおけないが、今すぐ何かをするつもりもない」
「まずは安全に魔法を学ばせる、と」
「ああ」
ガズリーが頷く。
そこでサーシャは、河原で朝雄に助けられた話を始めた。
自分が狼に押さえ込まれた時、逃げろと言ったのに朝雄が助けに来たこと。今日もアリアや自分が危険になったことで、迷わず魔物へ立ち向かったこと。
「本当に馬鹿な奴なんだ! 自分が危険なのに他人のことばかり考えて!」
「……」
「でも、あいつが来なければ私は――」
「隊長」
「ん?」
「ずいぶん楽しそうですな」
「……」
サーシャの動きが止まった。
「何がだ?」
「アサオの話をしている時です」
「そ、そんなことはない!」
「そうですか?」
ガズリーが意味ありげに笑う。
「成人しているなら、婚約者候補にでもしてみたらどうです?」
「なっ……!」
サーシャの顔が一瞬で赤くなる。
「な、な、なにを言っているんだ!」
「おや?」
「そ、そんなことあるわけないだろ!」
部屋にいる騎士たちが、面白そうに二人を見る。
「まあ、まだ十二、三歳くらいでしょうから、成人するまでには数年――」
「ああ、アサオは十五歳だぞ」
「……」
「私と同じ歳だ」
「「「「えっ!?」」」」
四人の声が綺麗に揃った。
全員、歓迎の宴で朝雄を見ている。どう見ても十二、三歳程度にしか見えなかった。
「十五……?」
「本人がそう言っていた」
「……」
「だからといって、こ、婚約とか結婚とか、そんなことはしないからな!」
誰もそこまでは言っていない。
だが本人は気づいていなかった。
「なるほど」
ガズリーは静かに頷いた。
『これは早めに王都へ戻って、上と話しておいた方が良さそうだな』
そう判断したが、もちろんサーシャには言わなかった。
◇ ◇ ◇
「え……」
その頃。
「サーシャお姉ちゃんが、お兄ちゃんと……?」
暇になって家の中を歩いていたルリアは、偶然サーシャたちの会話を聞いてしまっていた。
『私は村長へ報告に行ってくる。お前たちは大人しく寝ているんだぞ』
サーシャの声が聞こえる。
「!」
ルリアは慌てて廊下の角へ隠れた。
すぐに扉が開き、サーシャが出てくる。
「わ、私がアサオと、け、結婚とか……」
「……」
真っ赤な顔でぶつぶつ呟きながら、サーシャは出口へ歩いていった。
姿が見えなくなる。
「……大変」
ルリアは青ざめた。
「お兄ちゃんは、お姉ちゃんと結婚して、本当のお兄ちゃんになる予定なのに……」
もちろん、そんな予定を本人たちから聞いたことは一度もない。
完全にルリアの中だけで決まっている予定だった。
「お姉ちゃんがお兄ちゃんを好きなのは間違いないし……」
そして朝雄もアリアを嫌ってはいない。ルリアの中では、放っておけば自然と結婚することになっていた。
「サーシャお姉ちゃんがいたら……」
これは大変だ。
すぐに姉へ知らせなければ。
そう考えながら歩き始めたが、ふと朝雄とアリアが結婚している姿を想像した。
二人が笑っていて、その隣にはきっと自分もいる。
ずっとそう思っていた。
「……」
なのに、なぜだろう。
「なんか……嫌だ」
胸の奥に、よく分からないもやもやした気持ちが残った。
結局、アリアが目を覚ましても、ルリアはサーシャの話をすることができなかった。
◇ ◇ ◇
朝雄は、いつもの白い空間にいた。
「……またここか」
すっかり見慣れてしまった場所だったが、今回はいつもと少し違っていた。
「身体が……動かない」
手も足もまったく動かせない。口だけはどうにか動くが、話すだけでも酷く疲れる。
「無茶したからかな……」
最後の記憶は、魔物へ魔力を放ったところまで。怒りで何も考えられなくなっていた。
『たぶん、また倒れたんだろうな』
アリアも、ルリアも、サーシャも、きっと心配している。
「早く起きないと……」
そう思っても身体は動かない。
朝雄は諦め、白い空間を眺めた。立っているのか、寝ているのか、浮かんでいるのか、それすら分からない。
いつもなら、しばらくすると意識が途切れて現実へ戻る。だが今日は、随分長い時間ここにいるような気がした。
「……もしかして」
アリアにも、サーシャにも言われていた。
使い方を知らない状態で魔法を使うのは危険で、命に関わることもある。
「今度こそ……やばかったのかな」
魔力を暴走させて、もしかすると、もう目を覚ますことができないのかもしれない。
「……」
それでも。
「アリアやサーシャを置いて逃げるなんて、できなかったし……」
後悔はなかった。
二人が無事なら。
ルリアも、村のみんなも助かったのなら。
「それで……」
目を閉じると、身体がふっと軽くなった。
『なんだろう……』
力を抜くほど、身体はどんどん軽くなる。
不思議なくらい心地いい。
そのまま意識を手放そうとした、その時。
「朝雄!」
「朝雄ちゃん!」
「……!」
聞き慣れた声。
朝雄は勢いよく目を開いた。
白い空間の遠くに、二つの人影が見えた。
一人は長い黒髪。
もう一人は少し小柄で、肩ほどまでの髪。
「桜姉……梅姉……!」
見間違えるはずがない。
「そうだ……」
思い出した。
「帰るって……決めたんだ」
二人に。
卓也に。
父に。
もう一度会う。
「まだ……死ねない」
動かなかった身体へ力を込める。
「……っ!」
鉛のように重い。
それでも足を前へ出す。
一歩。
もう一歩。
二人へ近づく。
歩いているのか、浮いているのか、それすら分からない。
ただ、二人の姿が少しずつ大きくなっていく。
「桜姉! 梅姉!」
必死に進むうち、少しずつ身体が動くようになってきた。
やがて歩いていた感覚が、走っている感覚へ変わる。
二人が手を伸ばした。
表情までは見えない。
それでも。
『きっと笑ってる』
朝雄も手を伸ばす。
もう少し。
あと少し。
指先が届く。
そう思った瞬間、世界が暗転した。
◇ ◇ ◇
「……」
ゆっくりと目を開ける。
最初に見えたのは、アリア、ルリア、そしてサーシャの顔だった。
「アサオさん!」
「アサオ!」
「お兄ちゃん!」
三人とも、泣きながら笑っている。
「心配……かけたみたいだね」
朝雄は弱々しく笑った。
「ごめん」
「いいんです……」
アリアが首を横へ振る。
「アサオさんが無事なら、それで……」
「助けられたまま、礼も言えずに死なれるなんて絶対に許さないからな!」
サーシャも目元を赤くしている。
「お兄ちゃん!」
ルリアは号泣しながら朝雄へ抱きついた。
「無事で良かったよぉ!」
「ル、ルリア……」
三人が心から自分の無事を喜んでくれている。
それだけで、朝雄の胸が温かくなった。
◇ ◇ ◇
三人が落ち着き、まともに話せるようになるまでには、かなり時間が掛かった。
ルリアは泣き疲れたのか、朝雄へしがみついたまま眠ってしまった。それでも寝顔は安心したように笑っていたため、そのまま朝雄の隣へ寝かせている。
アリアとサーシャは目元が赤くなっており、少し気まずそうだった。
「それで……僕、どのくらい寝てたの?」
「魔物を倒してから、丸二日です」
「二日……そんなに?」
「むしろ、もっと長く眠ると思っていた」
サーシャが答える。
「普通なら、あれほど魔力を使えば数日は動けない」
「そうなんだ……」
「それだけではありません」
アリアの表情が曇る。
「四時間くらい前に、急に容態が悪くなったんです」
「容態が?」
「ああ」
サーシャが頷く。
「安定していたはずのアサオの身体から、突然魔力が抜け始めた。魔力暴走を起こした者に見られる症状だ」
「それって……」
サーシャは口を閉じたが、朝雄にも意味は分かった。
「そのまま全部なくなったら……死ぬ?」
「……ああ」
小さく頷く。
「でも途中で突然止まって、それどころか今度は異常な速さで魔力が回復し始めた」
「……」
「こんな症状は、私も聞いたことがない」
朝雄は考える。
『あの白い空間……』
身体がどんどん軽くなり、そのまま消えてしまいそうになった時、桜と梅の声が聞こえた。
『あの時だ……』
確証はない。
それでも朝雄には、二人に助けられたような気がしていた。
不意に、サーシャの手が頭へ載せられる。
「え?」
「本当に……心配させるな、馬鹿者」
サーシャは困ったような、安心したような顔をしながら、大切なものへ触れるように優しく頭を撫でた。
「……」
その感触に、朝雄は少し目を細める。
『桜姉みたいだ』
「んっ、んっ」
「……!」
わざとらしい咳払い。
アリアだった。
サーシャが我に返り、勢いよく手を離す。
「わ、悪い!」
「いや……」
二人とも少し照れながら視線を逸らした。
「……」
アリアはそんな二人を見つめた後、何かを決意したように朝雄の頭へ手を置いた。
「え?」
「アサオさん、本当に無事で良かったです」
優しく撫でながら、真剣な目で続ける。
「ですから、もう無茶をしないと約束してください」
「……」
朝雄は少し困った。
『同じ状況だったら……』
多分、また同じことをする。
正直に答えれば、絶対に怒られる。
朝雄は黙って頷いた。
「良かった」
アリアは安心したように笑う。
ただし、頭を撫でる手は止まらない。
「んっ、んっ!」
今度はサーシャだった。
「アリア!」
「はい?」
「いつまで撫でている!」
「アサオさんの頭を撫でると、とても気持ちが良くて……」
「だからといって!」
「手が離れません」
「ぐぬぬ……」
「アリア、そろそろ……」
朝雄自身が恥ずかしさに耐えられなくなって声を掛ける。
「……残念です」
アリアは本当に残念そうな顔で手を離した。
◇ ◇ ◇
サーシャが表情を改める。
「アサオ、お前には王都へ来てもらう」
「王都?」
「ああ。今回の魔物討伐の功績に対して、国から恩賞を受けてもらう。それだけじゃない」
完全に隊長としての口調だった。
「そのまま王都で、きちんと魔法を学べ」
「……」
「このまま放置できると思うか?」
「……」
「どうせまたアリアやルリアが危険になれば、同じことをするだろう!」
「……はい」
反論できない。
だが王都へ行くとなれば、気になることがある。
「アリアとルリアは……?」
「一緒に来る」
「え?」
「もう二人から了承はもらっている」
朝雄がアリアを見る。
「はい。私とルリアも一緒に行きます」
「……良かった」
朝雄は心から安心した。
「今日はもう遅い。明日は一日休養して、明後日の早朝に村を出る」
「分かった」
「絶対に明日は休めよ?」
「……」
「返事は?」
「はい」
朝雄は素直に頷いた。
◇ ◇ ◇
「そういえば」
仕事モードが終わったのか、サーシャの表情が年相応のものへ戻る。
「アサオ、腹が減っているだろう?」
「言われてみれば……」
丸二日近く何も食べていない。意識すると、急に空腹を感じ始めた。
「ちょうど夕食の時間だ。一緒に食べないか?」
サーシャが少し期待した顔をする。
「いいけど……」
朝雄は隣を見る。
眠っているルリアが、朝雄の服をがっしり掴んでいる。
「これは動けないな。僕は後で食べるから、二人は先に行ってきて」
「……そうか」
サーシャが明らかにしょんぼりした。
「あ」
アリアが手を叩く。
「それなら、食事をここへ持ってきましょう」
「!」
サーシャの顔が一気に明るくなる。
「それなら一緒に食べられるな!」
「そうですね」
そしてアリアが、にっこり笑った。
「アサオさんはまだ安静にしていないといけませんから、今回も私が食べさせてあげますね」
「……」
朝雄の顔が引きつる。
その笑顔には覚えがあった。
『絶対に断れない時の桜姉だ……』
「……今回も?」
サーシャが反応した。
「またって意味か?」
「はい」
「……」
目に見えてショックを受けている。
「では、サーシャさんと二人で食べさせてあげましょうか?」
「いいのか!?」
「もちろん」
「待って!」
朝雄の意見は聞かれなかった。
サーシャは凄まじい勢いで部屋を飛び出し、すぐに夕食を持って帰ってきた。
◇ ◇ ◇
結果。
「アサオ、口を開けろ!」
「アサオさん、次はこちらですよ」
「……はい」
アリアとサーシャから交互に食事を差し出されるという、朝雄にとって非常に恥ずかしい時間となった。
「はい、アーンだ!」
「アーンしてください」
『誰か助けて……』
笑顔でスプーンを差し出す二人の表情が、どちらも桜を思い出させる。
途中で目を覚ましたルリアまで、
「ルリアもやる!」
と参加したため、朝雄は普段よりかなり多く夕食を食べることになった。
「もう……入らない……」
三人は満足そうだった。
◇ ◇ ◇
食事が終わると、アリアとサーシャがルリアを連れて部屋を出た。
「今日はゆっくり休んでください」
「絶対に勝手に起き歩くなよ!」
「お兄ちゃん、おやすみ!」
「おやすみ」
三人が出ていくと、朝雄はベッドへ横になった。
『心配かけたな……』
自分の無事を、本気で喜んでくれた三人。
そして。
『桜姉、梅姉……』
白い空間で見た二人。
あれが夢だったのか、何か別の意味があるのか、まだ分からない。
それでも。
『助けてくれた気がする』
朝雄には、そんな確信があった。
「絶対に……また会うから」
そう呟き、朝雄は眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌朝、窓から差し込む朝日で目を覚ました。
身体を起こしてみると、昨日よりずっと楽で、ほとんど普段通りと言ってもいい。昨日あれだけ食べたにもかかわらず、少し空腹を感じる。
『回復してる証拠かな』
何か食べようとベッドから降りかけた時。
コンコン。
「アサオさん、起きていますか?」
アリアの声だった。
「起きてるよ」
返事をすると、扉が開く。
「おはようございます」
「おはよう、アリア」
「体調はどうですか?」
「もう全然大丈夫」
両腕を上げてみせると、アリアも少し安心した顔になる。
「でも、今日は一日休んでください」
「え?」
「王都へ行く準備は、私とルリアでやっておきます」
「いやいや。二人だけ働かせて、僕だけ寝てるわけには――」
「駄目です」
「……」
笑顔なのに、拒否権がない。
「少しくらい――」
「駄目です」
「……はい」
『このやり取りも知ってる……』
朝雄は諦めた。
◇ ◇ ◇
その日は、アリアやルリアが何度も部屋へ様子を見に来た。
家が燃えてしまったため、二人の服や旅に必要な物は村人たちが用意してくれているらしい。
「村のみんなが色々持ってきてくれたんだよ! 古着だけじゃなくて、新しい服もあった!」
「そこまでしてくれるんだ」
「うん!」
そして胸を張る。
「英雄のお兄ちゃんの家族だから!」
「……今なんて?」
「英雄のお兄ちゃん」
「誰が?」
「お兄ちゃん」
「……」
朝雄は飲んでいた水を盛大に吹きそうになった。
「げほっ! げほっ!」
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
「だ、大丈夫……」
なんとか呼吸を整える。
「どうして英雄なんて話になってるの?」
「騎士のお兄ちゃんたちが、魔物を倒した時のことを村のみんなに話したからだよ」
「……」
「だから今、お兄ちゃんは村の英雄なの!」
ルリアはなぜか誇らしげだった。
「……」
嫌な予感がする。
「もちろん、ルリアも狼から二回助けてもらった話を村のみんなにしてきたよ!」
「……!」
朝雄は危うくコップを落としかけた。
「どう?」
褒めてほしそうな顔。
「そ、そうなんだ。ありがとう……ルリア」
「えへへ」
引きつった笑顔のまま頭を撫でると、ルリアは嬉しそうに目を細めた。
その後、アリアから聞いても状況はほとんど同じだった。今も見舞いだと言って、村人たちが次々と食料などを持ってきているらしい。
「……外出たくない」
朝雄は頭を抱えた。
『英雄って……』
そんな呼ばれ方をして平気でいられるほど、朝雄の神経は太くなかった。
◇ ◇ ◇
忙しいはずのサーシャも何度か部屋へ顔を出した。
ただし。
「アサオ、具合は――」
「隊長」
「……」
毎回、すぐにガズリーに連れ戻されていった。
「仕事が残っています」
「少しくらいいいだろ!」
「駄目です」
「アリアみたいなことを言うな!」
「誰ですか、それは」
「……」
朝雄は、
『サーシャも大変なんだな』
と、少し同情した。
◇ ◇ ◇
夕食の時間。
またベッドで食べることになると昨日の再現になりそうだったため、朝雄はアリアとサーシャの制止を振り切り、食堂へ向かった。
「本当に歩けるんですか?」
「大丈夫」
「無理するなよ?」
「してないって」
なぜか二人は少し残念そうだった。
『そんなに食べさせたいのかな……』
昔、桜へ同じことを聞いたことがある。
その時、桜は笑顔のまま何も答えなかった。
『未だに謎だ……』
夕食には、朝雄、アリア、ルリア、サーシャ、そしてガズリーの五人が揃っていた。
食事が終わると、サーシャが表情を引き締める。
「明日は早朝に村を出る。今日は全員、早めに休んでおけ」
「はい」
「うん!」
「明日から王都まで一緒に行くのは、ここにいる五人だ」
サーシャが全員を見回す。
「残りの者は村へ残り、徴税業務の続きと森の調査を行う」
「まだ魔物がいる可能性が?」
朝雄が尋ねる。
「今回ほどの大物が複数いるとは考えにくいが、念のためだ。安心して旅立てるよう、周囲の安全を確認してから帰還させる」
サーシャがガズリーへ目配せすると、ガズリーが立ち上がった。
「改めて挨拶しておこう。部隊の副隊長を務めるガズリーだ」
見た目は厳つく、髪を後ろへ撫でつけ、いかにも歴戦の騎士といった雰囲気を持っている。
「アリア嬢には命を救ってもらった恩がある」
「い、いえ……」
「その家族であれば、この命に代えても守ると誓おう」
「……」
あまりにも重い。
アリアの笑顔が少し引きつった。
だが。
「まあ、英雄アサオが守るなら、俺の出番はないかもしれないがな!」
「英雄はやめてください!」
「ガハハハ!」
「笑い事じゃないですよ!」
さっきまでの厳格な騎士はどこへ行ったのか。
『この人もサーシャと同じで、仕事の時と普段で全然違うんだな』
朝雄は少し安心した。
◇ ◇ ◇
翌日に備え、その夜は早めにベッドへ入った。
『もしかしたら……』
また白い空間で、桜や梅に会えるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、朝雄は目を閉じた。
◇ ◇ ◇
気がつくと、また白い空間だった。
「……」
朝雄はすぐに周囲を見渡す。
「桜姉? 梅姉?」
返事はない。
『いないか……』
少し残念だった。
そのまま何かが現れるのを待っていると、遠くに人影が浮かび上がる。
「……あれ?」
現れたのは、いつもの銀髪のエルフだった。
だが。
『なんだ、その顔』
女性は手を口元へ当て、なぜか物凄く楽しそうにニヤニヤしている。
『音が聞こえたら、絶対グフフって笑ってるだろ……』
桜と梅に会えるかもしれないと期待していたところへ、この表情。
「……なんか腹立つ」
朝雄は女性へ近づいた。
『どうせ触れないけど』
少しだけ意地悪をしたくなり、軽く足を振る。
「えい」
蹴り。
当然、今まで通りなら身体をすり抜ける。
はずだった。
「……え?」
足に、僅かな感触があった。
「!?」
次の瞬間、銀髪の女性の姿が消え、白い世界が暗転した。
◇ ◇ ◇
「……」
朝雄は目を開けた。
窓の外はまだ夜明け前だ。
「今……」
夢の中で初めて。
『触れた……?』
足に残った、ほんの僅かな感触。
「……なんだったんだ?」
考えても分からない。
「もう寝直す時間でもないかな」
朝雄は身体を起こし、顔を洗おうと水場へ向かった。
◇ ◇ ◇
「よう、アサオ!」
「おはようございます、ガズリーさん」
先客がいた。
ガズリーだった。
「早いな」
「なんとなく目が覚めちゃって」
「そうか」
朝雄が笑顔を向ける。
「……」
ガズリーは少し考え込んだ。
ここ数日、ガズリーは朝雄をよく観察していた。サーシャが明らかにこの少年を気にしているからだ。
まず分かったのは、少なくともサーシャへ危害を加えるような人間ではないこと。
そして。
『かなりいい家の出なんだろうな』
話し方や他人への接し方、食事の作法を見ても、辺境の平民とは思えない。
昨日の夕食でも、試しにナイフとフォークを用意しておいた。アリアとルリアはフォークだけを使っていたが、それは普通だ。この辺境の村では、食事でナイフを使う習慣などほとんどない。
だが朝雄は、当たり前のようにナイフとフォークを使った。動作も自然だった。
『貴族と言われても信じるな』
最初はサーシャへ近づくために送り込まれた、どこかの貴族の関係者かとも疑った。
しかし、自分と互角以上に剣を扱い、巨大な魔物を一撃で倒すほどの魔力を持つ。そんな人材を、政治工作のためだけに送り込む意味がない。
何より。
『自分の命を投げ出してまで他人を助ける奴だ』
少なくとも悪意があるようには思えない。
さらに、朝雄の年齢。
十五歳とは到底思えない幼い容姿。
『エルフの血が入っている可能性もあるか……』
人族とエルフの混血、あるいは何代か前にエルフの血が混じった貴族なら、その可能性はある。エルフの血が強く出れば、成長が遅く見えたり、寿命が長くなる者もいる。
『まあ、王都へ着くまでに分かるか』
「あの」
「ん?」
「ガズリーさん?」
「ああ!」
朝雄が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない。少し寝ぼけていたらしい」
「そうですか?」
朝雄は何の疑いもなく笑った。
「……」
その笑顔を見て、ガズリーは内心苦笑する。
『少なくとも陰謀には向いてない顔だな』
そして。
『隊長の正体にも気づいていないようだし』
王都までの旅で、もう少し観察しておくことにした。
◇ ◇ ◇
日が昇り始める頃、村の入口に一台の荷馬車と五人が集まっていた。
朝雄。
アリア。
ルリア。
サーシャ。
ガズリー。
荷馬車には食料や着替え、野営用の道具など、旅に必要な物が積み込まれている。
朝雄たち三人は馬に乗れず、村にも人を乗せて長距離を走れる馬はいない。徴税部隊が乗ってきた馬車を使えば、残る文官たちが帰れなくなってしまう。
そのため、王都への旅は基本的に徒歩となった。
「では、行くか!」
サーシャが元気よく声を上げる。
だが。
「……」
朝雄は少し困ったように周囲を見回した。
まだ早朝だというのに、村の入口にはほとんどの村人が集まっている。
「アサオ!」
ジニスが前へ出る。
「身体には気をつけるんだよ!」
「はい」
「それと王都で変な女に引っ掛かるんじゃないよ!」
「……はい?」
「どうしてもっていうなら、アリアがいるからね!」
「……え?」
「ジ、ジニス様!」
隣でアリアの顔が真っ赤になる。
「?」
朝雄だけ、何の話なのか理解できていない。
アリアとルリアも、親しい村人たちと別れの挨拶を交わしている。
そして。
「英雄様!」
「……」
また来た。
「村を救ってくださって、本当にありがとうございました!」
「い、いえ……」
「王都へ行ってもお元気で!」
「ありがとうございます……」
「英雄様!」
『やめて……』
次々と村人が朝雄へ感謝を伝えに来る。
中には小さな子供までいた。
「僕、大きくなったら英雄様みたいになります!」
「……」
キラキラした瞳で見上げられ、朝雄は引きつった笑顔を浮かべた。
「そ、そうだね。頑張れば……なれるよ。多分……」
それが精いっぱいだった。
◇ ◇ ◇
「皆の名残惜しい気持ちは分かるが!」
サーシャが声を上げる。
「そろそろ出発しないと、今日中に予定している野営地へ着けなくなる! 行くぞ!」
「ああ」
「はい」
「うん!」
サーシャが先頭に立ち、その後ろをガズリー、続いて朝雄、アリア、ルリアが歩き始める。
五人はゆっくりと村を後にした。
「元気でねー!」
「アリアちゃん!」
「ルリアちゃん!」
「英雄様ー!」
『最後のはやめて……』
それでも朝雄は振り返り、笑顔で手を振った。
アリアもルリアも、何度も振り返って手を振っている。
短い時間だった。
それでも、この世界で何も分からなかった自分を受け入れてくれた村。
アリアとルリアに出会った場所。
初めて、この世界にも自分の居場所があるのかもしれないと思えた場所だった。
『ありがとう』
朝雄は心の中で呟く。
やがてスロウ村が見えなくなる。
朝雄、アリア、ルリアの三人は、少しだけ寂しそうな顔をしていた。
それを見たサーシャが、ことさら明るい声を上げる。
「まずはチュカンの街を目指すぞ!」
三人が顔を上げた。
「予定では七日だ!」
「七日……結構遠いね」
「旅なんだから当然だ!」
サーシャが笑う。
「寂しがっている暇はないぞ!」
「……うん」
朝雄も笑った。
「ありがとう、サーシャ」
「ありがとうございます、サーシャさん」
「ありがとう、サーシャお姉ちゃん!」
「……っ」
サーシャが顔を赤くし、ぷいっと前を向く。
「べ、別に礼を言われるようなことはしてない!」
「ふふっ」
「えへへ」
アリアとルリアが笑い、ガズリーも小さく笑った。
朝雄も自然と笑顔になる。
こうして朝雄たちは、王都へ向かう旅を始めた。
宜しければ評価をいただけると励みになります。
次話は19:00に投稿します。




