018 ルリアの危機
朝雄は村の入口へ向かって走った。
これだけ村中が騒がしくなっているのだ。ルリアが村の中にいるなら、騒ぎに気づいてアリアのところへ戻ってくる可能性が高い。
それなのに戻っていない。
『村の外にいるのかも……』
背後の森には騎士団が討伐へ入っている。普段ならともかく、今のルリアが一人でそちらへ向かうとは考えにくい。
そうなると、残るのは村の正面側だ。
『川……!』
村の近くを流れている川。
以前、ルリアが狼に襲われていた場所でもある。後から聞いた話では、あの川辺は村人たちが水汲みや洗濯に使っているらしい。
朝雄は村を飛び出すと、右手にある少し高くなった土手へ向かった。そこを越えれば、川辺を見渡せる。
急いで土手を駆け上がる。
「……いた!」
川辺に、小さな人影が見えた。
「ルリア!」
ルリアは桶のような物を持ち、川から水を汲んでいる。思ったより簡単に見つけることができ、朝雄は大きく息を吐いた。
「良かった……」
そのままルリアの方へ歩き出そうとして。
「……え?」
朝雄の足が止まった。
川の上流側。
少し離れた場所から、何かが近づいている。
一頭。
いや。
二頭。
身体を低くしながら、ゆっくりルリアとの距離を詰めていた。
『狼……!』
以前ルリアを襲ったものと同じような狼だった。
まだルリアは気づいていない。
「ルリア!」
朝雄は走り出した。
「逃げろ!」
「え?」
朝雄の声に、ルリアが驚いたように振り返る。
そして。
狼たちも同時に走り出した。
「……!」
凄まじい速さで、二頭がルリアへ迫る。
朝雄も全力で走るが、狼の方が圧倒的に近い。
『間に合わない!』
その瞬間。
身体の中で、魔力らしきものが大きく動いた。
『駄目だ』
アリアの言葉が頭をよぎる。
使い方を知らない状態で魔力を動かすのは危険。最悪の場合、命に関わることもある。
サーシャにも同じことを言われた。
絶対に独学で使うな、と。
それでも。
『ルリアを助ける!』
迷いは一瞬だった。
『絶対に!』
強くそう思った途端、身体が急に軽くなる。
「――っ!」
景色が流れた。
次の瞬間には。
朝雄はルリアと狼の間に立っていた。
「お兄ちゃん!?」
驚くルリアを抱き寄せる。
背中を狼へ向け、その身体を庇った。
「お兄ちゃん、駄目!」
ルリアの泣きそうな声が聞こえる。
だが、朝雄は離さなかった。
『間に合った……』
少なくとも、ルリアだけは守れる。
すぐに襲ってくるであろう衝撃へ身構えた、その時。
「アサオ! ルリアーーー!」
聞き覚えのある声が響いた。
「……!」
朝雄が顔を上げる。
こちらへ向かって、物凄い勢いで走ってくる人影があった。
赤い髪。
白い鎧。
「サーシャ!」
「だりゃああああっ!」
サーシャは走った勢いのまま地面を蹴り、大きく跳び上がった。そして朝雄の背中へ噛みつこうとしていた狼へ、大剣を振り下ろす。
ズシャッ!
真横から斬られた狼の身体が、そのまま二つに分かれた。
「……!」
朝雄は一瞬言葉を失う。
だが。
もう一頭いる。
「サーシャ!」
「っ!」
二頭目の狼が横から飛び掛かった。
サーシャも気づいたが、先ほどの攻撃直後で体勢が整っていない。
「くっ!」
狼の突進をまともに受け、サーシャの身体が地面へ倒れる。その上へ狼が飛び乗った。
「サーシャ!」
サーシャは仰向けのまま大剣を身体の前へ構え、噛みつこうとする狼を必死に押し返す。
「ぐっ……!」
狼の牙と大剣がぶつかる。
だが、倒れた状態では十分に力が入らない。少しずつ剣が押し込まれていく。
「アサオ!」
サーシャが叫ぶ。
「ルリアを連れて逃げろ!」
「……!」
朝雄は状況を理解した。
ルリアを連れて逃げる。
それが一番正しい。
ここに残れば、ルリアまで危険に晒すことになる。
でも。
『サーシャを置いていけるわけないだろ!』
朝雄の中で、再び魔力が大きく動いた。
「お兄ちゃん!?」
朝雄はルリアを抱いていた腕を離した。
「ここにいて!」
そのまま狼へ向かって走り出す。
「アサオ、来るな!」
「サーシャを離せぇっ!」
朝雄は勢いのまま、狼へ肩からぶつかった。
ドンッ!
「ギャン!」
狼の身体が宙を舞った。
「……え?」
まるで車にでも撥ね飛ばされたように、数メートル先まで吹き飛んでいく。
ぶつかった瞬間。
ボキボキッ、と嫌な感触が朝雄の身体へ伝わった。
『今の……』
狼の骨が折れたのだろうか。
朝雄自身も勢いを止められず、地面へ転がった。
「痛っ……!」
何度か転がり、ようやく止まる。腕や膝に擦り傷ができていたが、大きな怪我はなさそうだ。
一方。
「はぁっ!」
サーシャはすぐに立ち上がっていた。
狼はふらつきながら起き上がろうとしている。
そこへ一気に距離を詰める。
ズシャッ!
一閃。
狼の首が落ちた。
残された身体が、地面へ倒れ込む。
「……」
朝雄はその場へ座り込んだまま、大きく息を吐いた。
『終わった……』
ルリアも。
サーシャも。
無事だ。
『良かった……』
身体に異常は感じない。
魔力も、今のところは落ち着いているようだった。
それを確認してから、朝雄はサーシャを見る。
「サーシャ、無事で良かった」
笑顔で声を掛ける。
「怪我はない?」
「……」
サーシャは背中を向けたまま、動かなかった。
「サーシャ?」
「……」
よく見ると。
肩が小刻みに震えている。
『どうしたんだろう』
心配になり、もう一度声を掛ける。
「どこか怪我した?」
すると。
ギギギ……。
そんな音が聞こえてきそうなほどゆっくり、サーシャが振り返った。
「ア~サ~オ~……!」
「……」
般若のような形相だった。
「おや?」
「『おや?』じゃなーーーい!」
サーシャの怒声が川辺へ響き渡る。
「お前はまた! 狼の前へ素手で飛び出して!」
「……はい」
「使い方もろくに知らない魔力で、明らかに身体能力を強化して!」
「……たぶん」
「しかも私が逃げろと言ったのに、それまで無視した!」
「……」
「死にたいのかーーーっ!」
「ご、ごめんなさい!」
サーシャは肩で息をしながら、朝雄を睨みつけている。本気で怒っているらしい。
朝雄は少し考えた。
そして。
「でも」
「なんだ!」
「ルリアもサーシャも無事で、本当に良かったよ」
笑顔でそう答えた。
「……」
サーシャの表情が止まった。
「……お前というやつは」
やがて大きく肩を落とす。
「何を言っても分かっていないだろ……」
「え?」
「もういい……」
完全に力が抜けたように、サーシャは俯いた。
「お兄ちゃーーーん!」
「ぐふっ!」
突然、腹へ衝撃を受けた。
ルリアが勢いよく抱きついてきたのだ。
「ル、ルリア……」
「怖かったよぉ……!」
朝雄の胸へ顔を押しつける。
「騎士のお兄ちゃんたちが血だらけで村に運ばれてきたから……」
「うん」
「綺麗にしてあげたくて、お水を汲みに来たの!」
「……そうだったんだ」
「そしたら狼が来て……うわぁぁん!」
我慢していたものが一気に溢れたのか、ルリアが大声で泣き始めた。
朝雄はその頭を優しく撫でる。
「ルリアは悪いことをしようとしたわけじゃないよ」
「うぅ……」
「騎士の人たちのために水を持っていこうと思ったんだよね」
「……うん」
「でも、今は危ないから、一人で村の外へ出ちゃ駄目だ」
「……うん」
「アリアもすごく心配してる」
「お姉ちゃん……」
「三人とも無事だったんだから、村へ帰ろう」
「……うん」
ルリアが顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃだった。
朝雄が笑顔を向けると、ルリアは袖で何度も目元を拭った。
「……うん!」
そして、ようやく笑った。
朝雄は立ち上がり、ルリアの手を取る。一度離そうとしたが、ルリアはその手をぎゅっと握ったまま離さなかった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
「……」
「二回も助けてもらっちゃったね」
少し照れたように笑う。
「このお礼は、これから少しずつ返していくからね!」
「お礼なんていらないよ」
「いるの!」
「そ、そう?」
「うん!」
なぜか頬を赤くしながら、朝雄の手を強く握る。
朝雄も握り返すと、ルリアは眩しいほどの笑顔を見せた。
「……」
その様子を、サーシャが少し離れたところからじっと見ていた。
「サーシャ?」
「……」
「どうしたの?」
「アサオ」
「うん?」
「本当に、お前というやつは……」
疲れ切ったように呟く。
「?」
朝雄は首を傾げた。
なぜそんな目で見られているのか分からない。
隣ではルリアが楽しそうに、繋いだ手をぶんぶん振っていた。
◇ ◇ ◇
三人は村へ向かって歩き始めた。
「そういえば」
朝雄がサーシャを見る。
「どうしてここに?」
「副隊長から連絡を受けて、村へ戻る途中だったんだ」
「副隊長たちは無事だよ」
「本当か?」
「うん。三人ともアリアが治療してくれた」
「そうか……」
サーシャが大きく息を吐く。明らかに安堵していた。
「ただ、かなり血を失ってるから、しばらく安静にしないと駄目みたい」
「……そうか」
「村では今、避難の準備をしてる」
朝雄が説明すると、サーシャの表情が引き締まった。
「私と一緒に討伐へ出ていた三人には、先に村へ戻るよう指示してある。避難の準備を手伝うようにも言っておいたから、今頃は出発できるくらいにはなっているかもしれない」
「じゃあ、急いだ方がいいね」
「ああ」
三人は歩く速度を上げた。
◇ ◇ ◇
土手を上る。
そこから村が見えた。
「……?」
先頭を歩いていたサーシャが、突然足を止めた。
「どうしたの?」
「……何か変だ」
「え?」
サーシャの声が低くなる。
朝雄も村へ目を向けた。
人が慌ただしく動き回っている。それだけなら、避難の準備をしているのだから不自然ではない。
だが。
「……」
何人かが、村の入口から外へ飛び出してきた。
『避難……?』
違う。
荷物を持っていない。
後ろを振り返りながら、必死に走っている。
「逃げてる……?」
「行くぞ!」
サーシャが走り出した。
朝雄もルリアの手を引きながら土手を駆け下りる。村の入口へ近づくと、若い男がこちらへ走ってくるのが見えた。
「何があった!」
サーシャが叫ぶ。
「騎士様!」
男がサーシャを見て、顔色を変えた。
「魔物が村に!」
「何だと!?」
サーシャの表情が一変した。
そのまま村の中へ走り出す。
「……!」
朝雄の頭に、真っ先に一人の顔が浮かんだ。
「アリア!」
朝雄も後を追おうとする。
だが。
右手に温もりを感じて足を止めた。
「……」
ルリアが朝雄の手を握っている。
『駄目だ』
村の中に魔物がいる。
ルリアを連れていくわけにはいかない。
「ルリア」
「……うん」
「ここで待ってて」
「嫌!」
即答だった。
「ルリアも一緒に行く!」
「駄目だ」
「でも、お姉ちゃんが!」
「だから僕が行く」
朝雄はルリアの前へしゃがんだ。
「アリアから、ルリアのことを頼まれてるんだ」
「……」
「村の中は危険かもしれない。ルリアを連れていくことはできない」
「でも……」
「お願いだから、ここで待ってて」
いつもより強い口調で言う。
ルリアも、それが分かったのだろう。
「……」
しばらく朝雄の手を握ったまま俯いていたが。
やがて。
ゆっくり指を離した。
「……お兄ちゃん」
「うん」
「お姉ちゃんをお願い」
目には涙が溜まっている。
「絶対に一緒に戻ってきて」
「……うん」
「ルリア、ここで待ってるから」
朝雄は笑顔を向け、ルリアの頭を優しく撫でた。
「必ずアリアと一緒に戻る」
「……うん」
「待っててね」
「うん!」
朝雄は立ち上がる。
そして。
魔物が現れた村へ向かって、全力で走り出した。
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