017 魔物の気配
宴を終えた朝雄とアリアは、並んで家へ向かっていた。
「すぅ……すぅ……」
朝雄の背中では、ルリアが気持ち良さそうに寝息を立てている。
宴の途中までは元気いっぱいだったのだが、帰る頃になると急に眠そうになり、そのまま朝雄の背中へしがみついて寝てしまった。
「ごめんなさい、アサオさん。重いでしょう? 代わりましょうか?」
「大丈夫だよ。そんなに重くないし、このまま家まで行くよ」
朝雄はルリアを背負い直した。
実際には、朝雄とルリアでは身長にそれほど差がないため、決して背負いやすくはない。それでも、十一歳の少女を家まで背負えないほど非力というわけでもなかった。
しばらく歩いたところで、アリアが小さく口を開く。
「たぶん、この子……サーシャさんのお話を聞いて、不安になったんだと思います」
「不安?」
「アサオさんが、どこかへ行ってしまうんじゃないかって……」
アリアは少し俯いていた。
宴の席でサーシャから王都へ誘われた時、ルリアは何も言わなかった。だが、朝雄の腕へしがみついたまま、いつもより少し静かだったことを思い出す。
「すぐにどこかへ行くつもりはないよ」
朝雄は安心させるように笑った。
「というか、今この村を一人で出たら、あっという間に行き倒れる自信がある」
「……ふふっ」
冗談めかして言うと、アリアも小さく笑った。
それでも、その表情にはまだ寂しさが残っている。
「ありがとう」
「え?」
「アリアも、ルリアも」
朝雄がそう言うと、アリアが顔を上げた。眠っているはずのルリアの腕にも、僅かに力が入る。
「まだ会って数日しか経ってない僕を信用して、家に置いてくれて。食事まで用意してくれて、怪我の治療もしてくれて。それに、こんなに心配までしてくれてさ」
「……」
「本当に感謝してる」
朝雄はルリアを背負い直した。
その拍子に、ルリアの腕が朝雄の胸の前へ回り、ぎゅっと服を掴む。
「でも」
少しだけ間を置く。
「僕は、ずっとこの村にいることはできないと思う」
アリアの表情が僅かに曇った。
「元の国に、大切な人たちを残してきたから」
桜。
梅。
卓也。
そして父。
「きっと今のアリアやルリアと同じくらい……いや、それ以上に心配してると思う」
「……はい」
「だから、いつかは帰る方法を探しに行かなきゃならない」
それだけは変えられない。
朝雄自身、絶対に帰ると決めている。
「でもさ」
「?」
「ここにいる間は……僕も二人の家族でいさせてくれないかな?」
アリアが目を見開いた。
「勝手なことを言ってるのは分かってるけど」
いつか別れる。
それでも。
「今は、二人のことを家族だと思いたい」
「……」
アリアはしばらく朝雄を見つめていたが、やがてその表情が柔らかな笑顔へ変わった。
「はい」
はっきりと頷く。
「アサオさんは、もう私たちの大切な家族です」
「……ありがとう」
「いつかお別れする日が来るとしても、それまでは三人でいましょう」
そしてアリアは、朝雄の背中にいるルリアを見る。
「ルリアも、それでいい?」
「……」
眠っているはずのルリアが、小さく頷いた。
「起きてたの?」
「……寝てるよ」
「起きてるよね?」
「寝てる……」
朝雄とアリアは顔を見合わせ、二人とも吹き出した。
「ありがとう、ルリア」
「……ん」
ルリアは朝雄の背中へ顔を押しつけた。
その耳だけが、嬉しそうにぴこぴこと動いていた。
◇ ◇ ◇
家へ着く頃には、今度こそルリアは本当に眠っていた。
朝雄は背中から降ろしたルリアをベッドへ寝かせ、布団を掛ける。
「おやすみ、ルリア」
アリアにも挨拶をして、自分の部屋へ戻った。
ベッドへ腰を下ろす。
アリアとルリアの気持ちが嬉しくて、胸の奥が温かかった。
『ここにいる間は……』
二人を家族だと思って守ろう。
日本で、桜や梅たちが自分にそうしてくれたように。
そんなことを考えながら、朝雄はベッドへ入り、目を閉じた。
◇ ◇ ◇
気がつくと、朝雄はすっかり見慣れてきた白い空間に立っていた。
「またここか」
もう驚かない。
しばらくすれば、いつもの銀髪のエルフが現れる。なぜか、そう確信していた。
「昨日はかなり疲れてたみたいだけど……大丈夫かな」
そんなことを考えていると、白い空間の中に女性の姿が浮かび上がる。
「……あ」
朝雄は少し安心した。
昨日まで見えていた疲労の色が、今日はほとんどない。顔色も悪くなさそうだ。
「良かった……」
思わず呟く。
だが。
「……?」
エルフの女性は、朝雄を見るなり何とも言えない表情を浮かべた。
困っているような。
呆れているような。
それでいて、少し心配しているような。
『なんだろう……』
明らかに自分へ向けられている気がする。
「僕、何かした?」
当然、返事はない。
朝雄が困惑していると、白い空間が少しずつ暗くなり始めた。
「あ……」
女性の姿も薄れていく。
そして朝雄の意識は、再び途切れた。
◇ ◇ ◇
「……ん」
目を覚ますと、胸の辺りに何か重みを感じた。
視線を下へ向ける。
「……」
ルリアが、朝雄の胸へしがみついていた。
目が合う。
「あ、起きた!」
「……」
「おはよう、お兄ちゃん!」
眩しいほどの笑顔を向けられた。
「おはよう、ルリア」
朝雄も自然と笑う。
「朝ご飯できてるよ! 早く起きて!」
「分かったから引っ張らないで」
ルリアに手を引かれ、朝雄はベッドから起き上がった。
そのまま部屋を出ると、アリアが朝食の支度をしていた。
「おはよう、アリア」
「おはようございます、アサオさん」
昨日までの暗い雰囲気はなく、二人ともいつもの笑顔を向けてくれる。
『良かった』
朝雄は心の中でもう一度二人へ感謝し、三人で朝食を食べ始めた。
◇ ◇ ◇
ちょうど朝食を食べ終わった頃。
コンコン。
玄関の扉がノックされた。
「はーい」
アリアが扉を開ける。
そこに立っていたのは、白い鎧に身を包んだサーシャだった。背中には、昨日の木剣とは違う本物の大剣を背負っている。
「おはよう、アサオ、アリア、ルリア!」
「おはよう、サーシャ」
「おはようございます、サーシャさん」
「おはよう、サーシャお姉ちゃん!」
三人も挨拶を返した。
「これから森へ出るから、その前に挨拶に来たんだ」
アリアが家へ招こうとしたが、サーシャは手を振って断った。
「すぐ出発しなきゃならないから、今日はここでいい」
「討伐に行くんだよね?」
「ああ」
サーシャが頷く。
「文官たちの徴税作業には二日ほど掛かる。その間、騎士団は村の周辺にいる危険な野生動物や魔物を討伐するんだ」
「昨日言ってた仕事だね」
「そうだ」
そこでサーシャの表情が少し真剣になった。
「ルリアが村の近くで狼に襲われたと聞いたからな。今回はいつも以上に念入りに調べるつもりだ」
「……」
「森に野生動物が増えすぎれば、餌を求めて村の近くまで出てくることもある」
ルリアが襲われたのも、その影響かもしれない。
「村の者が襲われるようなことは、あってはならない」
そう話すサーシャからは、昨日の宴で見せた年相応の少女らしさが消えていた。部隊を率いる隊長としての表情だった。
「何か手伝えることがあったら言って」
朝雄が申し出る。
だがサーシャは、すぐに首を横へ振った。
「それは駄目だ」
「でも――」
「国民を守るのは騎士団の仕事だ」
サーシャは胸を張る。
「アサオも、この国にいる間は私たちが守るべき相手だからな」
「……」
朝雄は少し驚いた後、笑った。
「ありがとう、サーシャ」
「――っ」
サーシャの頬が僅かに赤くなる。
「そ、そういうことだ!」
少しだけ慌てたように言うと、すぐに表情を戻した。
「では、行ってくる。また夜にな!」
「うん。気をつけて」
「ああ!」
サーシャは大きく手を振ると、村の入口へ向かって歩いていった。
朝雄はその後ろ姿を見送りながら思う。
『やっぱり、ちゃんと隊長なんだな』
昨日の少女らしい姿と、今の騎士としての姿。
どちらもサーシャなのだろう。
◇ ◇ ◇
サーシャを見送って家へ戻る。
「さて、今日は何をしようかな」
朝雄がそんなことを考えていると。
「アサオさん」
「ん?」
「魔法の訓練を始めてみましょうか?」
「……!」
朝雄の動きが止まった。
「魔法の……訓練?」
「はい」
「やる!」
ほとんど即答だった。
「ぜひお願いします!」
あまりにも分かりやすい反応に、アリアが楽しそうに笑う。
「ふふっ。そんなに楽しみだったんですか?」
「もちろん!」
異世界へ来たのだ。
しかも自分にも魔法適正があると分かった以上、期待するなという方が無理だった。
朝雄の部屋へ移動すると、二人は向かい合わせに椅子へ座った。
「まずは、自分の中にある魔力を感じるところから始めましょう」
「うん」
「そのために、最初は私の魔力を少しだけ流します。手を出してください」
朝雄が右手を差し出すと、アリアはその手を両手で包み込むように握った。
「目を閉じて、手から入ってくる感覚に集中してください」
「分かった」
朝雄は言われた通り目を閉じる。
しばらくすると、繋いだ手から温かいものがゆっくり流れ込んできた。
『……あ』
その感覚には覚えがあった。
事故の時やルリアを助けた時に感じた、身体の中で動く『何か』とよく似ている。ただ、あの時のように激しく動くわけではなく、今は穏やかで温かい。
やがて流れが止まり、アリアがゆっくり手を離した。
「どうでした?」
「分かったと思う。手から温かいものが流れ込んできた」
「はい。それが魔力です」
アリアは満足そうに頷いた。
「今感じたものと同じ感覚を、自分の身体の中から探してみてください。見つけられたら、今度はそれを少しずつ動かす練習をします」
「なるほど」
「最初はうまくいかなくて普通ですから、焦らなくて大丈夫ですよ」
「分かった。やってみる」
「はい、頑張ってください」
「よろしくお願いします、先生」
「せ、先生……」
昨日の講義に続いてそう呼ばれ、アリアが少し照れた。
朝雄はもう一度目を閉じ、自分の身体へ意識を集中させる。
すぐには何も感じない。
『さっきの感覚……』
アリアから流れ込んできた温かさを思い出しながら、同じものが自分の中にないか探していく。
どれくらいそうしていただろう。
『……あ』
身体の奥で、何かが僅かに動いた気がした。
そこへ意識を向けると、今度は逃げるように感覚が消える。
『難しいな……』
それでも焦らず、もう一度探す。
やがて先ほどよりもはっきりと、小さな流れを感じ取ることができた。
『これだ』
その感覚を逃さないように意識を集中し、ほんの少しだけ動かそうとしてみる。
すると。
『……動いた?』
確信できるほどではない。
それでも、さっきまでとは違う手応えがあった。
朝雄はその感覚を何度も確かめながら、慎重に訓練を続けた。
「ふぅ……」
気がつけば、かなり長い時間集中していたらしい。
朝雄はゆっくり目を開け、大きく息を吐いた。
「……もう昼過ぎ?」
窓から差し込む光の位置が、始めた時とは大きく変わっている。
周囲を見ると、アリアの姿はなかった。集中を邪魔しないよう、途中で部屋を出たのだろう。
「少し休憩しようかな」
肩を回しながら立ち上がる。
まだ、意識して魔法を使えたわけではない。
それでも、自分の中に魔力らしきものがあることは、少しだけ分かるようになった。
『ちゃんと進んでる……よね』
朝雄は少し嬉しくなり、気分転換も兼ねて外へ出ることにした。
◇ ◇ ◇
家を出てすぐ。
「……?」
朝雄は村の様子がおかしいことに気づいた。
中央の広場の方が騒がしく、何人もの村人が慌ただしく走っている。
『何かあったのかな』
朝雄は広場へ向かった。
近づくにつれ、人だかりが見えてくる。その中から、一人の女性が慌てて出てきた。
昨日の宴で料理を配っていた女性だ。
「すみません!」
朝雄が声を掛ける。
「何かあったんですか?」
「ああ、あんたかい」
女性は足を止めた。
「騎士団の人が三人、怪我をして運び込まれたんだよ」
「え?」
「今、アリアちゃんが治療してる」
「……!」
騎士団。
その言葉を聞いた瞬間、真っ先にサーシャの顔が浮かんだ。
「ありがとうございます!」
朝雄は人混みの中へ駆け込んだ。
◇ ◇ ◇
広場の中央。
三人の騎士が地面へ横たえられていた。
二人は比較的若い男で、身体のあちこちに何か鋭い爪で切り裂かれたような跡が残っている。すでに傷そのものは塞がっているようだが、顔色が悪い。
そして。
「……!」
三人目には見覚えがあった。
昨日、朝雄が最初に木剣で試合をした大柄な騎士。部隊の副隊長を務めている男だった。
その周囲には大量の血が残っている。
アリアが額に汗を浮かべながら、必死に治癒魔法を掛けていた。
「アリア……」
声を掛けようとしたが、朝雄は飲み込んだ。
今は邪魔をしてはいけない。
淡い光が副隊長の身体を包む。
やがて。
「……ふぅ」
アリアが大きく息を吐き、手を離した。
「傷は塞がりました」
「……助かった」
「ただ、かなり血を失っています」
アリアは真剣な表情で続ける。
「治癒魔法でも、失った血までは戻せません。絶対に無理をしないで、しばらく安静にしてください」
「ああ……分かった」
副隊長は力なく頷いた。
それでもアリアを見ると、感謝するように頭を下げる。
「ありがとう」
「……」
「あんたみたいに腕のいい治癒魔法使いがいてくれたおかげで、本当に命拾いした」
そして隣で横になっている二人を見る。
「あいつらも助けてくれたそうだな」
「はい」
「部下の分も礼を言う。本当にありがとう」
「いえ……」
アリアは疲れた様子ながら、静かに頭を下げた。
そこで副隊長の表情が変わった。
「村長はいるか?」
「ここにいるよ」
人混みを掻き分け、ジニスが前へ出てきた。
「何があった?」
「森に魔物が出た」
「……!」
周囲の村人たちがざわめく。
「熊型だ」
副隊長が苦しそうに息を整える。
「かなりの大物だった」
「熊の……魔物」
「ああ」
副隊長は悔しそうに歯を食いしばる。
「俺たち三人じゃ、まるで歯が立たなかった」
「……」
「隊長たちには、すでに知らせを送った。すぐ戻ってくるはずだ」
そして村人たちを見回す。
「だが、あれは今いる騎士だけで安全に討伐できる相手じゃない」
「そんなに……」
「王都から応援を呼ぶ必要がある」
副隊長の声が重くなる。
「それまでは、この村を離れた方がいい」
周囲が静まり返った。
「魔物が森を出て、村へ来ないという保証はない」
「……!」
「すぐに避難の準備をしてくれ」
「分かった」
ジニスが即座に答えた。
驚いてはいる。
だが、村長として動揺している暇はないのだろう。
「みんな!」
大きな声を上げる。
「すぐに家へ戻って、避難の準備をするんだ!」
村人たちが一斉にジニスを見る。
「持っていくのは必要最低限でいい! 準備ができた者から、この広場へ集まりな!」
「はい!」
「分かった!」
「近所にも声を掛けておくれ!」
ジニスの指示で、村人たちが次々と広場から散っていく。
◇ ◇ ◇
「アリア」
朝雄は隣にいるアリアへ尋ねた。
「魔物って……普通の動物とは違うの?」
「はい」
アリアの顔色も悪い。
「詳しいことは、まだ完全には分かっていません。一般には、野生動物が魔素の濃い場所で長く生活することで変質し、魔物になると言われています」
「変質……」
「魔物になった動物は、元の動物より遥かに強くなるんです」
「どのくらい?」
「種類にもよりますが……数倍とも言われています」
「……」
朝雄は青ざめた。
小動物ならまだいい。
だが。
元々危険な熊が。
普通の熊より数倍強くなったとしたら。
『それは……』
騎士が三人がかりでも敵わなかったという話にも納得できる。
「アリア、あんたも急いで準備しな」
ジニスが二人へ声を掛けた。
「はい」
「持って歩ける物だけでいい。準備ができたら、ここへ戻ってくるんだよ」
「分かりました」
アリアが頷く。
ジニスは次の村人へ指示を出すため、すぐに離れていった。
「じゃあ、私たちも――」
そこまで言ったアリアが、突然動きを止めた。
「……?」
周囲を見回す。
「どうしたの?」
「ルリア……」
「え?」
「ルリアがいません」
「……!」
朝雄もすぐに周囲を見る。
人混み。
慌ただしく動く村人。
横たえられた騎士たち。
だが。
どこにもルリアの姿がない。
「さっきまで一緒だったんです」
アリアの声が震える。
「騎士の方たちが運ばれてきた時も、確かに……」
「途中でどこかに行ったの?」
「分かりません……治療に集中していて……」
アリアの顔から血の気が引いていく。
「アリア」
朝雄はすぐに決めた。
「家へ戻って、避難の準備をして」
「でも!」
「ルリアは僕が探す」
「……」
「見つけたら、そのまま二人で広場に戻るから」
「アサオさん……」
「大丈夫」
朝雄はアリアの目を見る。
「必ず見つける」
「……」
アリアは一瞬迷った。
だが。
「お願いします」
強く頷いた。
「ルリアを……お願いします」
「うん」
「私はすぐに荷物をまとめて戻ります。ルリアを見つけたら、絶対に無理をしないで二人でここにいてください」
「分かった」
アリアはもう一度朝雄を見ると、家へ向かって走り出した。
「……」
朝雄もすぐに村の入口へ向かって走り始める。
『ルリア……どこに行ったんだ?』
胸の奥に、嫌な予感が広がっていた。
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次話は明日7:00に投稿します。




