016 サーシャ
「アサオと言ったな! 次は私が相手をしよう!」
木剣を手にしたサーシャは、とても楽しそうに笑っていた。村へ到着した時の凛とした姿とは、随分印象が違う。
『こうして見ると、意外と若いのかも』
朝雄はそんなことを考えながら、改めて木剣を構えた。
サーシャが持っているのは、先ほどの男が使っていた物より一回り大きな木剣だった。両手持ちの大剣を模しているらしく、長さもかなりある。
『間合いは向こうの方が長いな』
朝雄は身体をサーシャの正面へ向け、木剣を腰の辺りへ構える。それを見たサーシャの笑みが、さらに深くなった。
『あ……』
朝雄は何となく理解した。
『これ、戦うのが好きな人の目だ』
先ほど戦った男よりも、明らかに強い圧力を感じる。どこか、桜と向かい合った時に近い。
朝雄は自然と気持ちを引き締めた。
「いくぞー!」
「え?」
わざわざ攻撃を宣言すると、サーシャが大剣を一気に振り上げた。
その瞬間。
『速い!』
腕がぶれたように見えた。
朝雄は反射的に身体を左へ投げ出す。
直後。
ドスン!
木剣が凄まじい勢いで地面へ叩きつけられた。
「……」
土が僅かに舞い上がる。
朝雄は青ざめながら、地面へ食い込んだ木剣を見た。
『最初の一撃だから、避けることを前提に……』
そう考えようとした。
わざわざ声まで掛けてから攻撃したのだ。当然、当たらないように配慮して――。
「あれぇ?」
サーシャが首を傾げた。
「当たったと思ったんだけどな」
「殺す気ですか!?」
思わず叫んだ。
「大丈夫だ!」
「何がですか!」
「治癒魔法が得意な者も連れてきている!」
「全然大丈夫じゃないですよ!」
朝雄の抗議に、周囲から笑い声が上がった。どうやら騎士たちにとっては、見慣れた光景らしい。
『この人、本気で危ない人だ……』
朝雄は認識を改めた。
桜との稽古にも緊張感はある。だが、桜は絶対に朝雄へ致命傷を与えるような攻撃はしない。
目の前の少女は違う。
少なくとも、
『怪我をしたら治せばいい』
くらいには思っているらしい。
「それじゃ、もう一回いくぞ!」
「ちょ、ちょっと!」
今度は木剣を横へ構える。
『来る!』
横薙ぎ。
朝雄はすぐに後ろへ下がった。
ブンッ!
目の前を木剣が通過する。
「……っ」
腹部に僅かな違和感を覚え、視線を落とした。服の表面が少し裂けている。
『木剣だよね、あれ……』
まともに食らえば、骨の一本や二本では済まないかもしれない。
だが、不思議と恐怖だけではなかった。久しぶりに感じる、本気で集中しなければならない緊張感。
朝雄の意識が少しずつ研ぎ澄まされていく。
「全然当たらない!」
剣を振りながら、サーシャが楽しそうに笑う。
「すごいな、アサオ!」
「そんなこと言いながら攻撃しないでください!」
朝雄は横へ身体をずらし、振り下ろされた剣をかわす。
最初は大きく避けていた。
しかし、サーシャの動きを見るうちに、少しずつ無駄が減っていく。
一歩。
半歩。
僅かな身体の捻り。
最小限の動きで攻撃をかわす。
「……」
サーシャの表情から、次第に笑みが消えていった。
代わりに浮かんだのは、真剣な表情。
『なんだろう……』
朝雄は、ふと桜を思い出した。
顔も性格もまったく違う。それなのに、真剣に剣を振るう姿がどこか似ている。
『不思議だな』
そんなことを考えながらも、朝雄はサーシャの動きから目を離さない。
サーシャが大きく踏み込んだ。
『ここ!』
振り下ろされる木剣へ、自分の剣を合わせる。
真正面から受けず、横へ払う。
「なっ!」
大剣の軌道が外れた。
サーシャの身体が僅かに開く。
朝雄は迷わず踏み込み、木剣を振り下ろした。
『入った!』
そう思った瞬間。
「――っ!?」
サーシャの姿がぶれた。
一瞬前まで正面にいたはずなのに、次に見えた時には朝雄の横へ移動している。
『まずい!』
考えるより先に木剣を上げ、身体を庇った。
バキッ!
横から振るわれたサーシャの大剣が、朝雄の木剣へ直撃した。
木剣が折れる。
衝撃が腕へ伝わるより先に、朝雄は剣から手を離した。その勢いに合わせ、自分から横へ飛ぶ。
「うわっ!」
地面へ落ち、そのまま何度も転がった。
十メートルほど離れた場所でようやく止まる。
「アサオさん!」
「お兄ちゃん!」
アリアとルリアが走ってくる。
「だ、大丈夫……」
朝雄は左腕を押さえながら身体を起こした。
吹き飛んだように見えただろうが、実際には衝撃を逃がすため、自分から飛んだ部分も大きい。それでも、木剣を通して受けた衝撃で左腕がかなり痛んでいた。
「見せてください!」
アリアがすぐに朝雄の腕へ手を当てる。
淡い光が広がり、痛みが少しずつ引いていった。
「ありがとう、アリア」
「もう……」
アリアは安堵しながらも、少し怒ったような顔をしている。
「無茶しないでください」
「ごめん」
朝雄が笑うと、アリアもようやく表情を緩めた。
「アサオ!」
サーシャも慌てて駆け寄ってきた。先ほどまでの楽しそうな顔は消え、明らかに心配そうな表情をしている。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ、サーシャさん」
差し出された手を取り、朝雄は立ち上がった。
「強いですね。完敗です」
「いや」
サーシャはすぐに首を横へ振った。
「私の負けだ」
「え?」
「アサオは最後まで身体強化を使わなかった」
「身体強化……」
「だが私は、最後の瞬間に使ってしまった」
サーシャは悔しそうに自分の手を見る。
「咄嗟に発動を抑えられなかった。身体に染みついているからな」
『あの急に速くなった動きが……』
朝雄は納得した。
「あれが身体強化なんだ」
「ああ」
サーシャは朝雄を見る。
「魔法を使わなければ、あの一撃は私に入っていただろう」
「でも、実際には僕が負けたんだから」
「しかし!」
「それなら」
朝雄は少し考え、笑った。
「引き分けってことにしない?」
「……」
サーシャが目を丸くする。
そして。
「ははっ!」
晴れやかに笑った。
「ああ。それでいい!」
右手を差し出す。
「こんなに楽しい試合は久しぶりだった。私ももっと鍛え直す」
「うん」
「また相手をしてくれるか?」
「もちろん」
朝雄はその手を握り返した。
「……!」
満面の笑顔を向けると、なぜかサーシャの頬が少し赤くなった。
『興奮してるのかな』
朝雄はそう考えた。
その少し後ろで。
「……」
アリアが心配そうな目で二人を見ていた。
◇ ◇ ◇
試合が終わると、宴はすぐに元の賑やかさを取り戻した。先ほどの戦いに刺激されたのか、騎士や村の男たちが再び木剣を手に取り、あちこちで試合を始めている。
朝雄はアリアとルリアのところへ戻り、食事を再開した。
すると。
「私も一緒にいいか?」
「?」
なぜかサーシャもついてきた。
「向こうにいると、みんながうるさいんだ」
騎士たちの方を見ると、何人かがこちらを見ながら意味ありげな笑顔を浮かべていた。
「もちろんいいよ」
「本当か!」
サーシャが嬉しそうに座る。
ルリアも特に気にする様子なく笑っている。
アリアだけは。
「……」
なぜか少しだけ笑顔が引きつっていた。
「お兄ちゃん、すごかった!」
ルリアが興奮した様子で朝雄へ身を乗り出す。
「すっごく格好良かったよ!」
「ありがとう」
朝雄は笑いながらルリアの頭を撫でた。
「えへへ」
耳が嬉しそうに動く。
アリアがその様子を少し羨ましそうに見ていた。
そして。
「……」
なぜかサーシャまで似たような顔をしていた。
『どうしたんだろう』
朝雄には分からなかった。
「アサオ」
「ん?」
サーシャが少し真面目な顔になる。
「お前、王都へ来ないか?」
「王都?」
「ああ。あれだけ剣が使えるなら、騎士団でも十分やっていける。私から推薦してもいいぞ」
「騎士団……」
少しだけ心が動いた。
異世界の騎士。
朝雄にとって、憧れを感じない言葉ではない。
だが。
『僕は帰らないと』
桜。
梅。
卓也。
そして父。
元の世界には、大切な人たちがいる。
「ありがとう。でも今は、自分の国へ帰る方法を探したいんだ」
「そうか……」
「だから、すぐには返事できない。ごめん」
「謝ることではない」
サーシャは素直に頷いた。
「もちろん無理にとは言わないさ」
そして少し不思議そうに首を傾げる。
「しかし、国へ帰るということは、やはりサザーラント王国の人間なのか?」
「……」
朝雄は一瞬、答えに詰まった。
自分が異世界から来たことは、まだ話していない。
「まあ……かなり遠いところから来たんだ」
「そうなのか」
サーシャは深く追及しなかった。
「こんな辺境まで人族が一人で来るのは珍しいから、少し気になっただけだ」
そしてアリアとルリアを見る。
「見たところ、二人は血のつながった家族ではないようだし――」
「違うもん!」
ルリアが突然声を上げた。
「お兄ちゃんはルリアのお兄ちゃんだもん!」
ぎゅっと朝雄の腕へ抱きつく。
「家族だもん!」
「ルリア……」
朝雄は驚いた後、優しく笑った。
そう言ってくれることが嬉しかった。
「……すまない」
サーシャがすぐに頭を下げる。
「余計なことを言った」
「ううん」
ルリアも少し落ち着いた。
「私も大きな声出してごめんなさい」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。朝雄とアリアも、それを見て微笑む。
「そういえば」
サーシャが話題を変える。
「アサオは魔法を使わないのか?」
「使い方を知らないんだ」
「……知らない?」
「今日、初めて魔法適正があるって分かったばかりだから」
「今日!?」
サーシャが驚いた。
「あれだけ剣が使えて、魔法はまったく習っていないのか」
「うん」
「それなら、絶対に独学で使おうとするなよ」
「やっぱり?」
「ああ」
アリアと同じことを言われた。
「きちんと習う前に魔法を使うのは危険だ。特に身体強化は、制御を間違えると自分の身体を傷つけることもある」
「分かった」
同じ忠告を二人から受けたことで、朝雄も改めて危険性を理解する。
「でも」
サーシャは楽しそうに笑った。
「アサオが身体強化まで覚えたら、どこまで強くなるのか楽しみだ!」
「そこなの?」
「もちろんだ!」
即答だった。
『やっぱり戦うのが好きなんだな』
朝雄は苦笑した。
そんな二人の会話を聞いていたルリアが、何気なく尋ねる。
「サーシャさんって、何歳なの?」
「ん?」
「お姉ちゃんと同じくらい?」
「アリアが何歳かは知らないが、私は十五歳になったばかりだぞ」
「え?」
朝雄とアリアが同時に驚く。
朝雄はてっきり、サーシャはアリアと同じくらいの年齢だと思っていた。だが、戦っている最中の楽しそうな顔は、確かに少し幼く見えた。
『あっちが素なのかも』
「じゃあ、僕と同じだ」
「……え?」
今度はサーシャが固まった。
「アサオが……十五?」
「うん」
「……」
信じられないものを見るような顔をしている。
「てっきり年下だと……」
「またか……」
朝雄は肩を落とした。
アリアに十三歳くらいだと思われ、ジニスにも若く見えると言われ、今度はサーシャである。
「そんなに僕って子供に見える?」
「……」
「なんで黙るの?」
「いや、その……」
サーシャが目を逸らした。
答えは十分だった。
「そういえば」
サーシャが何かに気づいたように朝雄を見る。
「十五なら、アサオももう成人なのか」
「ああ、こっちでは十五歳で成人なんだっけ」
「こっちでは?」
「……」
「?」
「いや、なんでもない」
危ない。
朝雄は慌てて誤魔化した。
「サーシャさん、聞いて!」
ルリアが再び身を乗り出す。
「お兄ちゃんね、森でルリアを助けてくれたんだよ!」
「ほう?」
サーシャが興味深そうにルリアを見る。
「どうやって助けてもらったんだ?」
「えっとね――」
ルリアは身振り手振りを交えながら、あの日の出来事を話し始めた。
狼に襲われそうになったこと。
突然、朝雄がものすごい速さで現れたこと。
自分を庇って腕を噛まれたこと。
そして最後に、狼を倒したこと。
説明は相変わらず、
「バビューンって来て!」
「それでドカーンって!」
という擬音だらけだったが、サーシャは真剣に聞いていた。
話を聞き終えると。
「アサオ」
「?」
サーシャが突然、朝雄へ頭を下げた。
「この国の民を助けてくれたこと、感謝する」
「え?」
朝雄は少し戸惑った。
『なんでサーシャが?』
だが、騎士団は国民を守る立場だと聞いている。
『騎士だからかな』
そう考えれば、不自然でもない。
「頭を上げてよ」
サーシャが顔を上げる。
「ルリアを助けられて、本当に良かったと思ってる」
「……」
「ルリアが怪我をしなくて良かったし、アリアも悲しまないで済んだ」
朝雄は二人を見る。
「僕は、それが一番嬉しいよ」
「……」
「……」
「……」
三人とも、なぜか少し困ったような顔になった。
「なに?」
朝雄には理由が分からない。
「アサオさん」
最初に口を開いたのはアリアだった。
「そう思ってくださるのは嬉しいです」
「うん」
「でも……」
少しだけ眉を下げる。
「自分のことも、もう少し大切にしてください」
「……」
「武器も持たずに狼へ向かうなんて、本来なら絶対に駄目です」
サーシャも大きく頷いた。
「そうだぞ」
「……はい」
「しかも、使い方も知らない魔法まで使ったんだろう?」
「たぶん……」
「危険すぎる」
「……はい」
二人から続けて叱られ、朝雄はしょんぼり俯いた。
すると。
「でもね!」
ルリアが朝雄の腕へ抱きついた。
「お兄ちゃんが助けてくれなかったら、ルリアはきっと死んでたよ」
「……」
「だから、ありがとう!」
満面の笑顔。
それから、少しだけ表情を曇らせる。
「でも……お兄ちゃんが怪我したら、ルリアもお姉ちゃんも悲しいよ?」
「……うん」
「だから、もうあんまり無茶しないでね?」
「分かった」
朝雄は優しくルリアの頭を撫でた。
「僕は、アリアとルリアに悲しい顔をしてほしくないからね」
「えへへ」
ルリアの表情がすぐに明るくなる。
アリアも優しく微笑んだ。
「アサオが怪我をしたら、私だって悲しいからな!」
「え?」
サーシャまで加わった。
「会ったばかりなのに?」
「会ったばかりでも友人は友人だろう!」
「友達になってたんだ」
「違うのか!?」
サーシャが本気でショックを受けたような顔をする。
「いやいや!」
朝雄は慌てて首を横へ振った。
「嬉しいよ」
「そうか!」
「うん。サーシャもありがとう」
朝雄が笑顔を向ける。
「――っ」
なぜかサーシャが固まった。
数秒遅れて。
「そ、そうか!」
顔を赤くしながら、急に手元の飲み物へ視線を落とす。
『どうしたんだろう』
朝雄は首を傾げた。
「……」
その横で、アリアがサーシャを見た。
次に朝雄を見る。
そして。
「はぁ……」
深い溜息をついた。
「え? 僕なんかした?」
「いいえ」
「でも今――」
「何もしていません」
「……はい」
なぜか追及してはいけない気がした。
◇ ◇ ◇
しばらくすると、宴も終わりの時間になった。村人たちが少しずつ家へ戻り始める。
サーシャも立ち上がった。
「今日は楽しかった!」
「僕も」
「騎士団は明日の朝から、村の周辺にいる野生動物や魔物の討伐へ向かう」
徴税部隊は税を集めるだけではなく、滞在中に村周辺の危険を減らす仕事もするらしい。
「夕方には戻る予定だ」
そこでサーシャが、少しだけ言いづらそうな顔になった。
「もし良かったら……」
「?」
「明日も、一緒に食事をしてくれないか?」
先ほどまで強気だった少女とは思えないほど、朝雄たちの反応を窺っている。
「もちろんいいよ」
朝雄は普通に答えた。
アリアを見ると、一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたものの、最後には笑顔で頷いた。
ルリアも、
「一緒に食べよう!」
と元気に返事をする。
「本当か!」
サーシャは満面の笑顔になった。
「では、また明日だ!」
「うん」
朝雄は軽く手を上げる。
「おやすみなさい、サーシャさん」
「……」
サーシャの笑顔が少し曇った。
「アサオ」
「なに?」
「私たちは同じ歳なんだろう?」
「うん」
「なら……」
少し顔を赤くし、視線を逸らす。
「サーシャでいい」
「え?」
「私もアサオと呼んでいるんだから、呼び捨てでいい!」
「……」
朝雄は少し迷った。
村へ来た時、サーシャは家名らしきものを名乗りかけてやめている。恐らく貴族なのだろう。
『勝手に呼び捨てにして大丈夫なのかな』
だが。
「……」
サーシャが不安そうな顔でこちらを見ている。
その表情を見ていると、断る理由もなかった。
「分かった」
「……!」
「おやすみ、サーシャ」
朝雄が笑う。
「うん!」
サーシャの表情が一気に明るくなった。
「おやすみ、アサオ!」
大きく手を振ると、そのまま宿舎の方へ走っていく。
「……」
朝雄はその後ろ姿を見送った。
「なんか、思ってたより普通の女の子だね」
「……」
「アリア?」
「……アサオさん」
「はい?」
アリアは半眼で朝雄を見つめた。
「いえ。何でもありません」
「……?」
「帰りましょう」
「う、うん」
アリアは深い溜息をつきながら歩き始めた。
朝雄には、最後までその理由が分からなかった。




