閑話 勇者誕生
今回は閑話となります。
これは少し時間を遡り、朝雄が高校へ入学して間もない四月の話。
◇ ◇ ◇
授業が終わり、朝雄と卓也は二人で玄関へ向かっていた。
階段を下り、一階の廊下を歩いていると、玄関の手前に人だかりができている。近づいてみると、人垣の向こうに見知った人物がいた。
桜だ。
その正面には、朝雄の知らない男子生徒が立っている。ネクタイの色を見る限り、桜と同じ二年生のようだ。
周囲の生徒たちは二人を取り囲んではいるものの、なぜか少し距離を取っていた。
その光景を見た瞬間、卓也はすべてを察した。
「ああ、また勇者が現れたのか」
「勇者?」
「中学でもあっただろ」
「ああ……」
朝雄も納得する。
通称――『勇者誕生』。
桜を好きになった男子生徒がラブレターを渡しても返事がない。呼び出そうとしても応じてもらえない。
ならばと最後の手段として、本人へ直接告白する。
それだけなら、ただの告白イベントだ。
それが『勇者誕生』と呼ばれているのには、きちんと理由がある。
結果が、最初から分かりきっているからだ。
もし告白が成功する可能性があるのなら、誰も勇者などとは呼ばない。
絶対に成功しない。
それでも不可能へ挑む者。
そんな男子生徒へ、いつしか与えられるようになった称号が――勇者だった。
「……」
朝雄が桜を見る。
「桜姉、機嫌悪そうだね」
「だな」
一見すると、桜はいつも通りの無表情だった。
だが朝雄たちは知っている。桜は機嫌が悪くなるほど、逆に表情が消えていく。
今の桜は、かなり不機嫌だった。
そんなことを知らない男子生徒は、一度大きく息を吸った。そして意を決したように声を上げる。
「九条桜さん、好きです! 僕と付き合ってください!」
「嫌です」
「……」
一切の迷いなく即答だった。
桜の一刀両断に、周囲の空気が僅かに凍る。
だが。
勇者はまだ倒れなかった。
「で、では! お友達からお願いします!」
「嫌です」
「……っ」
二撃目。
今度こそ、希望の欠片すら残さない拒絶だった。
男子生徒の顔から見る見るうちに生気が失われていく。それでも彼は、最後の力を振り絞った。
「ク、クラスメイトとして、お話しするくらいは……」
どうやら同じクラスらしい。
その言葉を聞いた桜は、初めて少しだけ反応した。
「え?」
男子生徒の表情に、ほんの僅かな希望が戻る。
そして桜は首を傾げた。
「同じクラスなんですか?」
「……」
とどめだった。
男子生徒は、その場に崩れ落ちた。
こうしてまた一人。
新たな勇者が誕生した。
◇ ◇ ◇
桜は高校へ入学してからも、すでに何度か『勇者誕生』イベントを発生させていた。
告白してきた男子へのあまりの容赦のなさから、
『九条桜は男嫌いなのではないか?』
そんな噂まで流れ始めている。
同じ中学から進学してきた生徒たちは、そうではないことを知っていた。ただ、わざわざ噂を否定して回る者もいない。
『どうせ来年になれば分かるし』
大体の者が、そう思っていた。
「はぁ……」
桜は小さく溜息をつくと、足元に崩れ落ちた勇者へ興味を失ったように視線を逸らした。
そして。
「……あ」
朝雄と目が合った。
その変化は劇的だった。
「朝雄!」
先ほどまでの無表情が嘘のように消える。
まるで桜の花が一斉に咲いたかのような笑顔を浮かべ、桜は朝雄の元へ駆け寄った。
「朝雄も今帰りなの? 一緒に帰りましょう!」
「うん、いいよ」
弾んだ楽しげな声。
満面の笑顔。
「……」
その場にいたほとんどの生徒が固まった。
つい数秒前まで、
『同じクラスなんですか?』
と勇者の心を完全にへし折っていた人物と、本当に同一人物なのだろうか。
周囲の反応は様々だった。
「九条さん、マジ女神……」
「あの男、誰だ?」
「あれが噂の……」
「やっぱりこうなったか」
そして、その中に混じって。
「私の朝雄きゅんが……」
「……?」
朝雄が一瞬だけ首を傾げる。
だが、誰が言ったのかは分からなかった。
「朝雄、帰りに買い物に付き合ってくれる?」
「いいよ」
「ありがとう!」
桜は周囲の声などまったく耳に入っていない様子で、楽しそうに朝雄の隣へ並ぶ。
そして二人は、そのまま玄関へ向かって歩いていった。
「……」
一人残された卓也が、その背中を見つめる。
「おい」
二人は振り返らない。
「俺もいるんだけど」
聞こえていない。
「……」
卓也は周囲を見回した。
呆然と立ち尽くす野次馬。
床に崩れ落ちている新たな勇者。
そして、自分。
「……帰るか」
こうして卓也も、一人寂しく二人の後を追った。
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次話は明日7:00に投稿します。




