五話 混沌の異能叙事詩
(……設定ノートに同じことを書いたっけ。あの頃の俺、なんだかんだ理に適ったことを考えていたな)
一方。
耳をふさいでいた佐藤こころは、あまりの轟音に思わず目を開けていた。
目の前に広がっていたのは。
八つの首を持つ漆黒の龍と、黄金の剣を振り回しながら技の名前を叫び続ける草薙駆だった。
「…………」
こころは、しばらく瞬きを忘れた。
(何、これ)
「『紫電断空斬』ッ!!」
駆の叫び声と共に、教室の天井にヒビが入った。
「……あ」
落ちてくる天井のかけらを見上げながら、こころはつぶやいた。
「草薙くん、めちゃくちゃ楽しそう……!」
胸が、少しだけ跳ねる。
(こういう顔、すぐ好きになっちゃうの悪い癖……)
こころは、すぐに唇をきゅっと結んだ。
残り五本の首が、同時に俺へ向かってきた。
「――『五龍封滅・終焉解放』ッ!!!」
(この技名、中学三年の冬に三時間かけて考えた最終奥義だ。まさか使う日が来るとは思わなかった。……恥ずかしさで死ぬかと思ったが、意外と、悪くない)
聖剣が最大出力の青白い光を放つ。五本の首が、光の奔流に呑み込まれていく。
過去の俺が、霧の中から俺を見た。
「……なあ」
芝居がかった響きではない、素の声だった。
「お前、“普通”を装うのは楽しいか」
俺は聖剣を構えたまま、少しだけ考えた。
「……どうかな」
一拍。
「だが」
踏み込む。最短距離。一ミリの誤差もなく。
「今日は、楽しかった」
正拳が、過去の俺の胸を正確に捉えた。
聖剣が光の粒子へと還り、八つの首が霧散していく。
消えゆく霧の中で、眼帯の俺が最高に「仕上がった」笑みを浮かべた。
「……設定を書き換えたところで、貴様の魂に刻まれた刻印は消えぬ。また会おう、運命が交差する……断罪の……終焉で……ッ!」
(うるせえええええ! その無駄に響くエコーをやめろ! 分子レベルで拡散してさっさと宇宙の塵になりやがれえええ!!)
脳内の絶叫と共に、忌まわしき過去の残滓は光の中に消えた。
そして。
静まり返った教室の「ど真ん中」で、それは始まった。
トトトトトトトッ……!
何かが、床を軽快に叩く音。
それは聖なる輝きを放つ「剣」が、物理法則の限界を超えて再構成される音だった。
(なんだその軽快なリズムは。再構築なら『ガキンッ』とか『ギュオオオン』とか、そういう重厚な効果音があるだろ!)
だが音はどんどん大きく、速くなっていく。
ダッ! ダダダダダッ!!
剣は光の粒となり壁を駆け上がり、天井を一周し、カーテンを激しく揺らす。目に見えない何かが、狂ったように教室中を駆け回っていた。
「きゃあっ! こっちに来る!!」
佐藤さんが俺の背中にしがみついた。震えが、伝わってくる。
「……下がってて、佐藤さん!」
その時だった。
俺の目の前を、光をまとった透明な何かが横切った。
宙を舞うチョーク。弾け飛ぶプリント。そして――空中で、そいつが背中を丸めて横歩きに跳ねた。
気がした。
俺の思考が、止まった。
(……自分を制御できていないような、無意味で無軌道な動き。かと思えば急に静まる、あの独特の間)
脳裏に、失踪したきり帰らなくなった相棒の姿が浮かぶ。
(……まさか。ありえない。特定の個体が再構成されるなどエントロピーの法則に反する。これは俺の記憶が、視神経のバグとして投射されているだけだ)
だが、そいつは俺の足元へやってくると。
見えない尻尾を、俺のスネに「ピシッ」と叩きつけた。
「……っ」
光が収束し、床に着地したのは。
一振りの剣では、なかった。
黒く輝く体毛。雲が湧き立つような白い足元。耳とエラあたりの毛がキュッと張り出した、独特な四角い顔。
その口元には、白いチョークが咥えられていた。
「……は?」
「……にゃ」
俺はこいつを知っている。名前を呼んでも無視するのに、試験中だけは教科書の上を全力疾走した、ふてぶてしい相棒。
「ムラクモ……」
「草薙くん? ねえ、これ……妖怪? それとも……」
「……違う」
俺は震える声を絞り出した。
「これは、低周波による共鳴現象だ」
「えっ?」
「去年の今頃、俺の部屋でよく起きていた。この振動は……そう、これは床板の特定の分子が、俺の『猫に会いたい』という微弱な脳波と共振し、あたかもそこに猫がいるかのような幻想を、再現しているに過ぎない。」
「……草薙くん」
佐藤さんの声が、少し変わった。
「つまり、これは俺の脳が作り出した……最高に精巧な、ただの物理現象だ」
「今、自分で『猫』って言ったよね。猫に会いたいって、言ったよね」
彼女の瞳に、涙が溜まっていた。
震える指先が、四角い顔のエラの部分へ、吸い寄せられていく。
(――危ない! 下手に触れると古代の術式が――!)
「ゴロゴロゴロゴロ……」
沈黙。
(喉、鳴らしたああああ! 完全なるリラックスモードだ! 聖剣としてのプライドを全部捨てて、全力で女子高生に媚びを売ってやがる……ッ!!)
猫はエメラルド色の瞳を細め。
ゆっくりと、俺に向き直った。
「――よ、満足したか?」
低く、渋い声。
「ひっ!!? 猫が喋った……!?」
佐藤さんが飛び上がる。だが、どこかで聞いた渋い声。
「せっかく近くにいるにちっともワシに気づかないから、演出を考えたんだ」
(いやいや、流石に猫は喋らねぇ!)
「音声の骨伝導による錯覚だ! 完璧に科学的に説明がつく!」
そんな俺にはお構いなしに天叢雲は喉をゴロゴロと鳴らす。
「あっちの世界は静寂が過ぎてな。カケルの、あの賑やかな異能叙事詩が懐かしくなったのだ」
その言葉が、封印していた「あの頃」の記憶を強制的に呼び戻した。
それはまだ、俺が自分を「選ばれし存在」だと本気で信じられた頃。




