scene2 決意の朝
翌朝、陽も昇りきる前から、村中はどこか浮足立っていた。
実際には、村民の誰もが浮かれ気分であることは誰の目にも明らかだったのだけれど、王都からの使者や護衛隊、領主やそのお付きの者たちの手前、そしてレイヴの父や通信兵が亡くなっていることもあって、表立っては盛り上がり切れないのであった。
焼かれた麦畑をはじめとする村の復興には王都や領主からの支援が存分に受けられるとのことで、これは村から勇者を輩出したことによる特別な措置なのだった。
そういうわけなので、平時ならば麦畑の世話に行っているはずの農民たちは手持ち無沙汰で、その有り余る関心のほとんどが、いよいよ勇者として旅立つレイヴに向けられていた。
そんな中、僕は一人で麦畑を見回っていた。
焼け残った僅かな麦穂を見つけては、病気や害虫の有無を確かめる。
炎や熱から免れても、灰に塗れ煙に炙られた麦に大した価値は見込めず、だから僕の孤独な農作業は恐らく意味のないもので、だけどやらずにはいられなかった。
「ワキヤ!」
見晴らしの良い焼け野原の向こうで、二つの人影が僕の名前を呼んだ。声の主は、
「父さん!」
大きい方の影は父さんで、そしてその隣に立っているのはグレイプだった。
二人は僕の姿を見とめると、灰だらけになった麦畑を走って来る。
「何やってるんだ、ワキヤ」
息を切らしながら、父さんは責めるように呼びかけてきた。
隠し切れない中年太りを少し黄ばんだシャツに押し込めた服装は、農作業用でも普段着でもなく、滅多に着ることのない彼なりの正装であることを息子である僕は知っていた。
「何って……最近サボってた農作業だよ。今日なんて特に、誰もやらないだろうから、麦が不憫でさ」
「レイヴ君は、友達だろう。見送りは良いのか」
「見送りには、間に合うようにするよ」
そう返しながら、父さんと目を合わせることはできなかった。
こうして強い語調を向けられるのは、いつぶりだろうか。
少しの間沈黙が続いた後、グレイプが近寄って来て、遠慮がちに僕を見上げる。
「なあ、オレさ、しばらくの間、復興の手伝いってことでここに置いてもらえることになったんだ。ニンゲンはゴブリンのこと嫌いだけど、昨日一緒になって村を守ったからって、特別だって。ワキヤのおかげだよ。だからよぉ――」
大きな身振りで話すグレイプを制するように、父さんが一歩踏み出した。
「レイヴ君は、待ってるぞ。どうするんだ」
どうするんだ。
その問いの意味が分かってしまい、僕はやっぱり黙るしかなかった。
「父さんはお前に、危険なことをして欲しくはない。だが、彼と一緒に行くというのなら、それを応援したいとも思ってる。母さんも同じ気持ちだ」
「昨日の今日で、いきなり旅に出るだなんて無理だよ」
「いきなりじゃないだろう。勇者募集の報が村に届いたときから、ずっとお前は悩んでた」
「悩んで、その結果、僕には無理だって思ったんだ。僕はこのアルトチューリで農作業や害獣駆除をするのが性に合ってるし、これからは村の復興だってしなくちゃいけない」
「だったら、ちゃんと断ってこい」
父さんが声を荒らげるのは、珍しいことだった。
そうさせるほど、僕の態度が煮え切らないものなのだという自覚もあった。
本当に、一晩中悩み続けた。
昨日の疲れもあったというのに、ほとんど眠ることもできなかった。
万が一があっても良いように、荷造りだってした。
その鞄が、両親に見つかってしまったのかも知れなかった。
「なあ、ワキヤ」
不安そうにグレイプが割り込む。
「村の復興は、オレがワキヤのぶんまで頑張るよ。だからさ、ワキヤが少しでもなりたいんだったら、オレにも応援させて欲しいんだよ」
「グレイプは、勇者、嫌いじゃないのか?」
「オレの仲間や家族を殺した奴は大嫌いだよ! だけど、ワキヤはオレを助けてくれたんだ。だからワキヤには、そういう勇者になって欲しいんだ」
必死そうなグレイプの身振り。
思わず、吹き出してしまう。
「勇者になるんじゃないよ。勇者の仲間だよ」
「そう、その仲間になってよ、オレみたいな弱っちいやつを助けてやってほしいんだ。勇者がどんな野郎でも、そこにワキヤがいれば大丈夫だ」
「レイヴは、そんな奴じゃ――」
言いかけて、息をのんだ。
グレイプの黄ばんだ目が、強く煌めいているように見えたから。
朝日のせいだろうか。
「オレにとっちゃ、ワキヤは勇者よりもすげぇ奴なんだよ」
ゴブリンという種族は、勇者伝説の中で、いつも短絡的で凶暴な敵として描かれる。
弱くて、群れて、醜い悪役。
どうしてだろうか。
だからこそ、グレイプの不器用で真っ直ぐな言葉は、燻っていた僕の気持ちに衝撃を与え、貫いた。
「グレイプ、ありがとう。決心がついた」
ゴブリンの顔が、ぱあっと明るくなる。
「僕は、勇者にはできないことをするために、レイヴと一緒に行くよ」
真正面から父さんを見据える。
父さんはきまりが悪そうに目を逸らすと、
「家で母さんも待ってる」
早口気味にそう言って、居住区の方へゆっくりと歩き出した。
眩い朝日の中、焼け残った麦穂の傍らで、生まれ故郷を眺める。
この村で、ずっと変わらずに生きていくのだと思っていた。
それが幸せだとも思っていたし、実際、そうなんだろうという確信もある。
だけど、どうしてだろうか。
ずっと眺めていた風景の、その向こう側へ、背中を押されるままに行ってみたいと思ってしまったんだ。
勇者パーティーの、脇役。
ふとそんな言葉が浮かぶ。
こんな時にまで自虐的なのか、と内心で自嘲して、
なんだかそれが、やけに自分らしい気がした。
ワキヤクレイヴ 第一章 了




