scene1 勇者と村娘
「昨日のことが、すごく昔みたい」
夕闇の石畳で、ジーナがぽつりと言った。
僕は彼女の言う昨日が何のことを指すのかに思考を巡らせてから、すぐにその答えに辿り着くと実感を込めて「ああ」と返した。
害獣討伐の宴の後、レイヴに思いを馳せながら歩いたあの夜のことが、そういえばもう随分と前のことであるように感じる。
ジーナに言われなければ、それが昨日のことだと気づかなかった程度には。
麦畑の消火作業が終わり、瓦礫の処理が一旦切り上げとなった後、僕はジーナとともに新居住区を歩いていた。
村のみんなに言われて、レイヴを慰めに行くために。
突然父親を殺され、奪われた彼を慰める方法なんて思いつきもしないけれど、かといって、僕やジーナ以外で傷心の彼に声をかけられる者もいないだろうという自負もあった。
口数も少なく歩いていくうちに、ストリーブ邸の前まで辿り着く。
この、新居住区の中でも比較的大きな石壁の家で、勇者は生まれ育ったのだった。
ジーナの暮らす村長宅に並ぶ広さは、護衛隊の詰め所や武具の保管所として活用するためのものでもある。
今は、レイヴの他に勇者一行のメンバーと、王宮からの遣いの者がいるはずだった。
厚い堅木の戸を叩いても返事は無く、しかし屋内で誰かの動く気配のした後、扉は内側から開けられた。
「あ、ええと……」
言葉に詰まってしまったのは、出てきたのがレイヴではなかったからだ。
視線を下げる。
女の子――としか言いようがない。
十代の前半であろうか、長い金髪の少女。
くりくりと大きいながらも、幼さよりもどこかさばさばとした印象を受ける瞳は、僕と目が合うと一度の瞬きのうちに無邪気さで染まった。
直接話したことはなかったけれど、勇者一行の中には、若年にして王都からの遣いを任されている少女がいると村長から聞いていた。
「おおー、レイヴさんのお友達のかたですよね。今、呼んでくるので――」
「よう、ワキヤ」
軽い調子の声に視線を上げる。
少女の後ろに、見知った顔があった。
「ジーナもいるじゃねぇか。来てくれたんだな、二人とも」
目が合うと、凛々しい勇者の顔はくしゃりと砕け、幼馴染の笑顔に変わる。
僕が「やあ」と気の抜けた声を発するのと同時に、ジーナが思いつめたような顔で前に出た。
間に挟まれた少女は一瞬気まずそうな表情になった後、にやけながら屋内へ引っ込んでいった。
「レイヴ! さっきは、あの――」
「なんだよ、落ち着けよ、ジーナ」
ジーナの肩に手を置きながら、レイヴは家を出て後ろ手に戸を閉めた。
「ありがとうな、来てくれて」
「わ、私の方こそ、ありがとう、だよ。助けてくれて――じゃ、なくて、ええと」
言葉を詰まらせるジーナに優しげな笑みを向けた後、僕に力なく笑いかけ、そして勇者は空を見上げた。
夕陽が逆光になるせいで、彼の表情を知ることはできなかった。
「おめでとう、って言ってくれよ。ガキの頃から憧れていた、勇者になったんだぜ、俺は」
少しの沈黙。
彼の希望にいきなり応えられるほど、僕もジーナも無神経にはなれないようだった。
それでもジーナがなんとか口を開きかけたその時、レイヴは彼女の肩から手を離し、前庭の半ばへ進み出て、その場であぐらかいた。
どこか消沈したような小さな背中に見えるのは、僕の気のせいだろうか。
「ここに来る前、領主の城に行ったんだ。勇者に選ばれたって報告するためにさ。そこで親父と落ち合って――喜んでくれたよ。俺のことを、誇りだとも言ってくれた」
彼が父親と二人で暮らしたこの家で、剣の稽古をつけてもらっていたこの庭で、何を想うのか。
想像もつかなかったけれど、わずかに震えた声色は、それでもさっぱりと心地良く乾いていた。
「領主の所からここに来るまでの間も、ずっと一緒でさ。親父と村の外を歩くなんて久しぶりだったから、なんか、楽しくて。村の異変に気付くまでの間、いろんな話をした」
だから――
かすれた声。
小さな背中は泣いていて、そしてその涙は、ずっと堪えていたであろう、たった一滴の涙だった。
一度うずくまった後、レイヴはすぐに立ち上がる。
勇者とは、これほどまでに強いものなのか。
昔から勇者に憧れ、とうとう本当に勇者になってしまった僕らのレイヴは、こんなにも強い。
「だから、慰めも励ましもいらねぇ。お前らには、おめでとうって言って欲しいんだ」
振り返る幼馴染の顔は、思わずどきりとしてしまうほどの、凛々しい笑顔だった。
僕もジーナも、そう言われてもなお、何も言えなかった。
彼の求める言葉をかけられるほど、強くなかった。
そして、僕らの沈黙を許せるほど、彼は強かった。
黙っている僕の肩に、レイヴが腕を回す。
幼い頃と同じで、気安くて強引で親愛に溢れた、重くて熱い腕。
「なあ、ワキヤ。一緒に来てくれないか」
そっとつぶやくような声に、どきりとした。
ああ、まだ――
まだ、僕をその位置に置いてくれているのか。
「冗談はやめてくれよ、レイヴ」
思わず口から零れた拒絶の言葉。
言いながら、後悔した。
もっと別に言い方はあったはずで、それなのに最悪な言葉を選んでしまったという自覚があった。
肩に回された腕が、少しだけ震えるのが分かった。
「さっきの戦いでだって、僕はレイヴに全く及ばなかった。君の期待に応えようとしたって、どうせ足を引っ張ることになる」
僕が真実レイヴに並び立つことができていれば、彼は父親を失わずに済んだかも知れない。
レイヴが僕に期待していなければ、彼はもっと違う戦い方をしていたのだろうし、そうすればもっと良い結末もあったのかも知れない。
そんな僕の思考を、
「ワキヤ!」
よろけそうになるほどの一喝で、勇者は吹き飛ばした。
耳元で放たれた激しいそれは、紛れもなく怒声だった。
気まずい雰囲気の中で彼の腕は僕の肩から離れ、お互いに目を合わせられないままで向き合う。
「俺が昔から憧れてた勇者パーティーの中には、ずっとお前がいたんだ。今日、魔王軍との戦いでお前が隣にいてくれて、俺がどんなに嬉しかったか、わかんねえだろ」
声が震えていた。
「これは俺のわがままだ。だから、断られたんならそれも仕方ないと思ってる。だけどな、俺の信じてるワキヤを、お前自身が見損なうなよ」
レイヴの言葉に、立っているのがやっとだった。
視界の縁で小石を踏む音がして、張りつめていた空気がにわかに弛緩した。
ジーナが身をよじったのだった。
「――なんか、悪いな。久しぶりだってのに変なとこ見せちまって」
レイヴの気楽な声に、ジーナは小さく首を横に振った。
「俺、勇者として世界を救ってさ、すげぇ大物になってやるから。あの日、俺のこと振らなけりゃよかったって後悔させてやるから。その時に改めて、おめでとうって言ってくれよな」
昔から変わらない、強くて爽やかなレイヴの強引さ。
目を潤ませて勇者を見つめる、どこか上気したようなジーナは言葉を詰まらせていて――だけど、本当は何か、言いたくても言えない、明確な言葉があるのに違いなかった。
昨夜の別れ際、彼女が見せた表情を思い出す。
幼い頃から知っているはずのジーナ・ミオーサが、レイヴ・ストリーブが、遠く感じる。
あるいは、近くに感じていたこと自体が、幻だったのか。
「明日の朝、俺たちは出て行く」
彼方から声をかけられたような気がして見ると、自宅に戻ろうとしているレイヴが横目にこちらを見据えていた。
「だからその時に、返事を聞かせてくれ」
そう言って、昔から勇者に憧れていた、護衛隊長の一人息子は屋内へ姿を消した。
その後、ただの幼馴染でしかない農民は、
勇者の思い人である、村長の末娘と一緒に、それぞれの家路についた。




