ノライヌ2
ミケイラを浚ってしまいたい。ミケイラを狭い檻に閉じ込めて、俺だけのものにしたい。
実行すれば、成功する確率は高いだろう。ガマガエルの庇護下にないミケイラは、驚く程に無防備だ。
そう、無防備過ぎるのだ。ミケイラはどんどん魅力的になるのに、危機感が足りない。あのままでは、何処の馬の骨とも知れない輩に頭から食われてしまうのも、時間の問題だ。
それだけは許せない。俺にとって、最も辛い事は、ミケイラを他の誰かにとられることだ。想像するだけで、胸が焼け焦げる程に、憎い。彼女に関わり得る全ての男が憎い。
俺は手を伸ばせばいつでも、ミケイラに手の届く距離にいる。でも今はまだ、遠くから見守っている。
俺はミケイラと、どうなりたいのか。ミケイラをどうしたいのか。よく考えて、二人の未来を選びとらなければならない。
そして、俺は決断した。俺はミケイラに許され、生れ変わりたい。ミケイラに愛されたい。そして、彼女に必要とされたい、頼りにされたい。俺がいなければ、生きていけない程に、俺に依存して欲しい。そうなれば、彼女だって幸せだ。なぜなら、俺は決して彼女を放さないから。
その為にどうするべきか。俺には考えがある。しかし、そのおぞましさに、背骨ががたつくようだった。俺は罪の重荷を背負い、罰の針の道を永延と歩かされるよりも、苦しむことになる
だが、それこそが、ミケイラの望みでもある。ミケイラは罰を与えられないから、俺を許さないと言った。つまり、過酷な罰を受けることが出来れば、俺は許されるのだ。
主人に許されて初めて、スノーウィは心安らかに弔われる。そうして、俺は本当に生まれ変われる。そうして、彼女を俺の檻に閉じ込める。彼女が気付かないうちに。
俺は行動を起こした。まずは、もぐりの闇医者に大枚をはたいて、顔をつくりかえた。
なかなか、しっくりこない。顔の造作だけなら、以前の女顔より気に入っている。だが、自分の顔だと思えない。こればかりは慣れるしかない。
俺は黙っていたのに、麻酔から覚めると豚がいた。包帯がとれるまで、豚は俺の傍にいた。
豚はバスケットに果物をいっぱい入れて見舞いに来る。リンゴの皮を、膨れた手で小さなナイフを器用に扱い剥いた。途中で切らずに螺旋状に剥けた皮を誇らしげに見せびらかす豚を、俺はぼんやりと眺めていた。包帯がとれると、豚は一瞬、悲しそうに目を伏せていた。
二年後、ミケイラは大学に進学した。近場だったので、引っ越しをする必要はなかった。
俺は水面下で動いていた。ミケイラの平和な暮らしを、俺の思惑が徐々に浸食していることを、ミケイラは知らない。
檻をつくろう。少しずつ、だか着々と、俺は檻を築きあげていく。鈍い彼女は、そこが広い檻の中だと気がつかないうちに、捕らわれるのだ。
暗雲が月を覆い隠す暗い夜更けに、ミケイラの家の暗くなった窓を眺めていると、ジーンズの尻ポケットで携帯電話が振動した。この番号を知っている人間は、二人しかいない。俺にこの携帯電話を買い与えた豚と、もうひとりだけ。
バイブレーションはメールの着信だった。送り主は、豚ではない。
メールの文面に目を通す。俺の語彙は乏しい。送られてきたメールは、こどもでもわかるような簡単な単語だけで構成されている。
『会って話せないか? 連絡を待つ』
俺は眉をひそめた。
明日は、珍しく仕事が入っていない。余暇を、ミケイラの為に使うつもりでいた。明日は朝から隠れ家のひとつに籠る予定だ。
俺は少し考えてから、電話をかけた。相手は1コール目で通話に応じたが、応答するまで時間がかかった。
「……スノー?」
心許なさそうな震える声で、相手はおどおどと言う。俺はわずらわしい挨拶を省いて、単刀直入に切り出した。
「会うのはむずかしい。十分で用がすむなら、電話で話せる」
俺の言葉も、出した条件もシンプルだったが、相手は無理難題を突き付けられたかのように、まごついていた。しきりに意味を為さない呻き声を出している。それが長々と続いて、俺はようやく、相手が俺の条件を不満に思っているらしいと悟った。悟ったからと言って、どうもしないが。
しばらくして、相手はつかえながら、やっと言った。
「きみ、君には……感謝してるよ。あの時、君がた、助けてくれなかったら……僕はたぶん、殺されていたと……思う」
俺は沈黙で先をうながした。要領を得ないが、話の腰を折ると、かえって長引きそうだ。俺がくれてやった時間は十分もある。こいつのような愚図でも、話すべきことを話せるだろう。
相手は一方的な話しを続けた。
「それだけじゃない。君がくれるお金で、妹は治療が受けられる。僕はせっかく合格した学校をやめずに、通うことが出来ている。全部、君のお陰だ。君は僕らの恩人だ」
相手は、自分が如何に俺に感謝しているかをまくしたてた。そうして、ふっつりと言葉が途切れる。
二人で黙っていても埒が明かない。俺は必要に迫られて口を開いた。
「礼には及ばないと言った。前者は不可抗力で、後者はお前の働きに対する報酬だ」
「ああ、うん。そうだね」
相手はとりとめのない口調で同調する。この会話は時間の浪費だ。俺は秘かに溜息をついた。
俺の言葉に嘘はない。俺は嘘をつかない。本当のことも言わないが。想像を膨らませて、俺を恩人だと崇めるのは相手の勝手だ。俺も都合がいい。
通話相手の男は、犬のように盲目的に俺に従っている。俺の犬だ。俺への恩義や忠誠心によるところも、多少はあるかもしれない。だが、一番の要因はそれではない。俺が手にとったリードは、俺の犬の心臓に食い込んでいる。犬が俺に逆らう理由はない。
しかしながら、返答の歯切れの悪さから察すると、犬は俺にイエス以外の言葉を伝えようとしているようだ。犬はもごもごと口を動かす。
「君が言うとおり、ミケイラと……その、親密な友人に、なって……少しずつだけど、彼女のことが、わかったような気がするんだ。彼女は、ちょっと気まぐれで、ワガママで、人を困らせて楽しむような、意地悪なところがある。僕は彼女に振り回されっぱなしだ。でも、そんなところが……なんていうのかな、子どもっぽくて、微笑ましいって言うのかな。彼女は、愛すべき女性だと思う。斜に構えてるけど、本当は誰よりも純粋なんだよ。……ええと、つまり、その……僕が、何を言いたいかって言うとね……」
犬は大きく息継ぎをする。目を瞑って引き金を引くように、犬は思いきって言った。
「スノー。君と彼女の間に、何があったのか知らない僕が、こんなこと言うのは、筋違いかもしれない。でも僕には、彼女が悪い人だとは思えないんだ。君が何をするつもりなのか、わからないけれど……彼女に、なにか酷い仕打ちをしようとしているのなら……考え直してくれないか?」




