ノライヌ
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こうして、俺はスノーウィを廃業した。ここにいる俺は、ゴミ屑みたいだが人間だ。俺は自分自身の意志で、ミケイラを狂おしく愛している。
俺は豚と別々に暮らしている。豚は家に帰って来いと言ったが、俺は断った。俺はミケイラの近くにいる。彼女の傍でやりたい事が山ほどある。
俺は身軽だ。いつでも動ける。
ミケイラを拉致しようとしたクズどもを片づけた後、ミケイラの引っ越し先を探り当てた。戦利品を抱えて彼女の近くに移り住んだ。
ミケイラの新居は、塀で囲まれた高級集合住宅だ。俺はミケイラの住む棟と、小さな中庭を挟んで向かい合った棟の部屋に入居することが出来た。豚のお陰だ。豚の交友関係は広く、高級物件を扱う不動産業者に友人がいた。
寝室の窓から、ミケイラの家の居間が見える。俺はここから四六時中、ミケイラを影から見守ることにした。見守りながら、俺とミケイラ、二人の未来について考える。
出来ることなら、ずっとミケイラに張り付いていたいけど、そうもしていられなかった。ミケイラの近くにいようとしたら、金がいくらあっても足りない。
俺は方々を訪ね、働き口を探した。裏社会の猟犬や番犬もやってみたが、あまりうまくいかなかった。俺は頭も要領も良くない。あるのは力だけだ。
追剥をしていた方が、楽に稼げる。だが、ハゲタカの真似は、やり過ぎると恨みを買ってしまう。恨まれるだけなら構わないが、追手がかかると厄介だ。表の社会であっても裏の社会であっても、お尋ね者は悪目立ちする。自由が利かなくなるし、何より、ミケイラの傍にいられなくなる。それは困る。
俺は流木みたいに、流れ流され、ゴールデン・アップルと言う場末のバーに辿り着いた。支配人兼バーテンダーの老人は、荒事の斡旋をしている。俺には主に『掃除』の仕事が回された。ゴミ屑の俺が、ゴミ屑みたいな奴らを掃除して、稼いでいるわけだ。傑作な話だと思う。
こすっからいクソジジイは、しばしば俺の取り分をピンはねしたが、俺は文句を言わなかった。毎月の家賃分さえ稼げれば良かったからだ。俺の欲しいものは、金では買えないと思っていた。
それに、クソジジイに絡む暇があったら、ミケイラのことを想っていたい。
俺は手早く仕事を済ませて帰宅する。寝室の窓辺に置いたベッドに、足を投げ出して座る。デリで買ったサンドイッチを咀嚼しながら、ミケイラの家に灯りがともるのを待ちわびる。帰宅したミケイラが照明をつけて、カーテンを引いて閉めるまでの僅かな時間だけ、俺はミケイラに会える。
ミケイラはカーテンを引く前に、窓を開け放つ。たそがれの空を、ぐっと身を乗り出して、仰ぎ見ていた。仄かな微笑みは、過ぎて行く一日を惜しむみたいに、幸福な切なさを湛えていた。
ミケイラは見違えるほどに落ちついていた。この短期間で、ぐっと大人びたようだ。さびしがり屋なのに、強がって平気なふりをする、可哀そうな小さなミケイラではなくなりつつある。毎日、昨日と違った。
これが、成長というものなのだろうか? 俺の知らないところでミケイラが、日毎に変わって行く。俺の胸には、悪いもやもやが鬱積していく。
変わらないで、俺の知っているミケイラのままでいて。
微笑まないで、俺が傍にいないのに、あなたが楽しく暮らしているなんておかしい。
あなたを幸せにして良いのは、俺だけなんだよ。
灯りの消えたミケイラの部屋を眺めながら、俺は眠る。夢の中のミケイラは、小さな女の子のままだ。寂しそうで、悲しそうで、不機嫌なふりをして虚勢を張っている。俺を見つけると、柳眉を逆立てて、幼い言葉で俺を罵った。
目を覚ますと、俺は遠い窓の奥にいるミケイラに話しかける。
「ねぇ、まだ怒ってるの? ねぇ、訳を教えてよ。あなたに許してもらえるなら、俺はなんだってするんだ」
窓硝子に額を打ち付ける。ごん、ごん、ごん。俺がいくらノックしても、ミケイラが閉ざした窓が、俺の為に開かれることはない。
これは窓ではない。外の世界と繋がらない。これは壁に掛けられた絵だった。俺とミケイラの世界は違う。
ミケイラは毎日が楽しそうだ。新しい高校生活が気に入ったのだろう。それに引き換え、俺の世界の暗い寂しいことと言ったら。
俺は思い知る。俺にとってミケイラは全てだが、ミケイラにとって俺は、味のしなくなったガムのようなものなのだ。味がしなくなったのだから、捨てて当然。その後、誰かの靴裏にくっつこうが、アスファルトに張りついて道路の一部になろうが、知ったことではない。
俺とミケイラの関係は、まったく釣り合いがとれていない。俺ばかり愛している。俺がいなくなっても、ミケイラは人生を順調に進んでいく。それも、彼女にとって良い方向に。
「どうしたら、俺のこと、愛してくれるの? ねぇ、答えてよ。なんだっていいから、声が聞きたいよ」
ミケイラが遠い。ミケイラの声が聞こえない。ミケイラは俺がここにいることを知らない。ミケイラは俺のことなんか、忘れてしまった。
理不尽な絶望に苛まれながら、俺は無い知恵絞って、ずっとずっと考えていた。ミケイラに愛されるには、どうしたらいいのだ?
「ねぇ、どうしたら、あなたは喜んでくれるのかな? スノーウィはバカ犬だったから、あなたをうまく喜ばせられなかった。それがいけなかったのかな。そうだな、きっと、そうなんだろうな。スノーウィはあなたが望んだことしか出来ない、つまらない犬だったよね。けど、俺は違うから」
「俺はもう、スノーウィじゃない。犬じゃない。俺はあなたに捨てられて、自由な人間になったんだ。あなたが俺をどんなに苛んでも、辱めても……俺はあなたを愛してる」
「愛してる。愛してる、愛してる、愛してる。愛してる! ああ、なんて素敵な響きだろうね。犬には言えないよ。どんなに愛していても、犬には言葉がない。犬って、可哀そうだな。どんなに愛していても、報われない。あなたのものにはなれるけど、あなたをものには出来ない。でも、人間は違う。俺は人間になったから、あなたを俺のものにすることだって出来る!」
「でも、無理矢理俺のものにしたところで、あなたは俺を愛してくれないだろうな。あなたは俺を許さない。あなたの罰は、俺にとっては罰にならないから、俺はあなたの許しを永遠に得られない」
「……それでも俺、やっぱり愛されたいよ。俺が愛しているのと同じくらい、出来ることならそれ以上、あなたに愛されたい」
俺はミケイラに愛される妄想をした。想像はどんどん膨らむが、俺は現実と空想の境を踏み超えることが出来ない。虚しい現実が、逃れることの出来ない影のように、俺に付きまとう。




