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私は性悪ミストレス  作者: 銀ねも
犬の章
32/44

白い番犬

 

 スノーウィがやっつけた男子生徒たちは、急がないとパーティーに遅刻するって、言っていた。

 ミストレスを陥れる、イカれたパーティーがもうすぐ、始まる。一刻の猶予もない。隠密行動をやめて、全力疾走で校舎前に向かう。


 ちょうど、下校の時間だ。校舎の周辺はたくさんの生徒でごったがえしている。邪魔だ。生徒たちの間を縫って走るが、どうしたって、鈍くなる。邪魔な奴らは弾き飛ばした。避けて走るより早いので、邪魔者はみんな、蹴散らして走った。


 走っても走っても、ミストレスが見つからない。スノーウィは立ち止った。ぐるりとあたりを見回す。ゴミみたいに人が多過ぎる。


 スノーウィは、後悔していた。手柄を立てる為に、ミストレスの危機を待つなんて、番犬にあるまじきことだ。危険が迫る前に排除するのが、番犬の役目なのに。


 ミストレスに万が一のことがあったら、悪さをした男どもを、ぐちゃぐちゃの挽肉にしても、取り返しがつかない。


 ミストレス、どこにいる? 邪魔だ、ゴミみたいな人間ども。片っ端から潰せば、手っ取り早いのに。いっそのこと、そうしてしまおうか。背に腹は代えられない。


 スノーウィは業を煮やして拳を握った。きょろきょろしていると、人だかりが目に入る。物見高い野次馬どもの、醜悪な顔を見ると、嫌な予感がした。


 スノーウィは真っ直ぐに、そちらに向かった。鈴なりの人だかりを、薙ぎ払うようにして前に進む。


 スノーウィは、背が高い。だから、前に出るまでも無く、人だかりの中心で何が起こっているのか、見えていた。


 スノーウィは鼻が利く。ゲスの臭い、感じ取っていた。

 男が四人がかりで、抵抗するミストレスを押さえこんでいる。ミストレスを抱え上げて、まるで荷物みたく、車の後部座席に放り込んでしまった。ミストレスの小さな悲鳴が、聞こえる。


 怒りがみなぎり、体が一まわり膨らんだ気がした。心臓がぎゅうっと収縮し、体中の熱が頭に押し上げられる。視界が真っ赤に染まった。


 スノーウィは怒りに我を忘れた。あとはもう、本能の赴くままだ。

 雄叫びに驚いて、蜘蛛の子を散らしたみたく逃げ惑う、野次馬ども。

 面白がって眺めていたのだから、暴漢と同罪だ。死ねばいい。

 でも、殺すのはあとまわしだ。


 体ごと振り返った四人の男を、手前にいた奴から順に殴り、投げ飛ばす。スノーウィの拳が、まるで知性が感じられない間抜けな顔を陥没させる。一人、二人、三人。なすすべもなく倒れていった。


 四人目は身構えるだけの猶予があった。喚きながら、応戦しようとしたので、鳩尾に強烈な膝蹴りをお見舞いする。重さがのった一撃は、しっかりと骨まで届く。タフぶっていた男が、他愛なく体を折った。


 手加減はしていないものの、本気でもなかった。こいつらの始末は後回しだ。それよりもまず、ミストレスを助ける。それが最優先。


 男たちを跨ぐ時間も惜しかったので、踏み超える。スノーウィが迎えに行くより先に、ドアが開けっぱなしの後部座席から、ミストレスがぱっと飛びだした。


 立ったまま、ミストレスと向き合うのは、初めてだ。ミストレスは少し顎を上げて、スノーウィを見上げている。


 スノーウィはたじろいだ。

 ミストレスは、こんなに華奢で、こんなに小さかったのか。なんだろう、この気持ち。胸が甘く締め付けられる。

 スノーウィのミストレスはとても美しくて、とても可愛い。それに、きっと脆いだろう。


 やっぱり、スノーウィが傍にいないといけない。傍にいて、守ってあげなくちゃ。

 しかし、同時に恐怖心も芽生える。スノーウィが少し力加減を誤ったら、粉々に砕けて仕舞いそうで怖い。


 ところが、そんな心配は杞憂だった。ミストレスは、小さいけれど、その強い眼差しは、少しも臆することがない。角度では見上げているのに、態度では見下げている。

 これが、ミストレスの目だ。昔より、随分小さく儚く見えたから、驚いたけれど、やっぱりミストレスは、ミストレスだ。すとんと府に落ちて、さらに感動した。


「ミス、ト、レ……ス」


 スノーウィの唇は、持ち主の了解を得ずに、勝手に喋った。

 スノーウィの体はばらばらだ。足は勝手にミストレスに近づこうとするし、腕は勝手にミストレスを抱きしめようとする。大変だ。どのパーツもみんな、ミストレスを愛しているのだ。


 でも、そのどれよりも、スノーウィの心が一番、ミストレスを愛していることは、間違いない。


 ミストレスが目を見開く。なんて綺麗な黒い瞳だろう。吸い込まれそうだ。


 スノーウィは、暫くの間、ミストレスに見惚れていた。やがて、はっと我にかえって、無礼に気付く。おたおたと四つん這いになる。四つん這いを、最近、していなかったから、違和感がある。


 でも、ミストレスを見上げると、すんなりと体と心が馴染んだ。そうだ。こうやって、首を逸らして、ミストレスを見上げていた。こうやって、這い進んで、ミストレスに擦り寄っていた。これが、幸せなのだ。


 スノーウィが近寄ろうとすると、ミストレスはショルダーバックの肩紐をぎゅっと掴んで、一歩さがった。自分で自分の体を抱きしめるみたいな仕草は、怯んだように見えなくもない。

ミストレスに限って、スノーウィに怯えるなんてこと、あり得ないが。 


 ミストレスは均した声調でスノーウィに訊いた。


「こんなとこで、なにしてんの」


 スノーウィは、不思議に思って小首を傾げる。なにをしてる? スノーウィは、ミストレスの犬だ。どうして、そんなわかりきっていることを聞くのだろう。 


 ミストレスの瞳の奥で火花が散る。閃くのは怒りだ。スノーウィはへどもどした。


 そうか、怒っているのか。やっぱり。スノーウィがバカ犬だから。豚に騙されて、随分長い間、ミストレスから離れていたから。ミストレスのことを守れなかったから。

 スノーウィがずっと傍にいれば、あんなゴミみたいな男どもに、ミストレスがべたべた触れられることはなかった。


 ひょっとしたら、スノーウィがいなかった五年の間に、ミストレスは酷い目にあってしまったのだろうか?


 考えただけで、我を失いそうになる。怒りの火の玉になる。でも、ミストレスの視線が、吹雪みたく、スノーウィを凍えさせて、頭を冷やさせる。


 スノーウィはじりじりと後ずさりをした。


 ミストレスは、怒っている。どうしたら良いのだろう。どうしたら、許して貰える?


 スノーウィは、藁にもすがる気持ちで、シャツのボタンに指をかけた。

 腹に刻んだ印を見せれば、この五年間も、スノーウィがミストレスの犬だったと、わかってもらえるかもしれない。

 でも、スノーウィの指は震えて、うまくボタンを外せない。


 急がないと。ミストレスの目が、どんどん冷たくなっていく。焦れば焦るほど、上手くいかない。もたもたしていると、ミストレスは、吐き捨てるみたいに言った。


「あの、気色悪いギフトはお前の仕業ね」


 ミストレスの視線が、スノーウィの左の手の甲に突き刺さる。左手を退けると、潰れたネズミがあらわれた。さっきとったネズミを、握ったままだったことを、忘れていた。


 そうだ、ネズミだ。ミストレスは、スノーウィがネズミをとると、喜んでくれる。


 スノーウィは五年前と同じく、ネズミを口に咥えた。意気揚々と、ミストレスに近寄る。


 ミストレス、見て。スノーウィはミストレスの犬。五年前と何も変わらない。あなたの下に帰って来た。また、飼ってください。傍に置いて。もう二度と離れない。あなたのお役にたちます。


 ミストレスがすとんとしゃがみこむ。二人の距離がぐっと近づく。ミストレスの右手が大上段に振りあげられるのを、スノーウィは呆気にとられて見ていた。


 ネズミの死骸を取り落としたのは、ミストレスに頬を張られたからではない。ぽかんと口を開いてしまったからだ。

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