浚われた白い犬
風が強い日。ミストレス、豚に会う約束、ダメになった。豚の都合で、おじゃんになること、よくある。
でも、今回は違う。ミストレスの母親、ミストレスが遊ぶの、禁止した。ミストレス、驚いてた。ミストレス、スノーウィの鼻の頭、人差指でとんとんして、独り言、言う。
「ママ、いつもはそんなこと言わないのに……変なの」
でも、ミストレス、言いつけ守る。ミストレスの母親、弱いけど、ミストレスのボス。ミストレス、良い子。母親のこと、困らせない。
ミストレス、スノーウィをがらんとした部屋に、連れて行った。ミストレス、スノーウィに餌くれる。
「はい、お食べ。私、たぶん今日は、お夕食までお部屋に軟禁されるから、お前も断食ね。一緒に苦しみなさいよ」
ミストレス、可愛い唇尖らせる。桃みたいな頬、膨らませる。スノーウィ、見惚れる。
今日のご飯、変な味、する。でも、ミストレスがくれたご飯。残さず食べる。
ミストレス、スノーウィに「待て」させて、部屋を出て行く。スノーウィ、見送った。
いってらっしゃい、ミストレス。スノーウィ、待ってる。ミストレスのことだけ、待ってる。
スノーウィ、ミストレス見送った。ミストレス、いないの、とても寂しい。けど、我慢。ミストレス、言ってた。ミストレスの軟禁、夕方まで。太陽沈めば、会える。太陽、沈め。はやく、沈め。
スノーウィ、窓の向こう睨んで、念じた。太陽、まだ昇りきってもいない。長い時間、かかる。ミストレス、いないと、スノーウィの時間、薄く伸ばされる。無意味な時間、砂時計の砂みたく、降り積もる。その砂に埋もれる。スノーウィ、虚しい。
スノーウィ、いつもは、まんじりともしないで、ミストレス、待つ。だって、待て、言われてる。ミストレスがいつ「来い」って言っても、すぐに駆けつけられるように、待ってる。
でもこの時は、スノーウィ、眠くなった。普通じゃない。抗えない眠気、スノーウィを襲う。スノーウィ、ぐらぐらした。限界まで抗ったけど、最後には、断ち切られるみたく、意識、落ちる。床に転がったスノーウィ、扉が開く音、聞いた。
***
スノーウィ、ゆらゆらたゆたう、ぬるま湯みたいな、まどろみの中。ミストレスの母親の声、聞こえた。
「この可哀そうな子は、あの人が、特別な奴隷商人から買ってきたの。家に来たときには、こう……犬みたいにされていたわ」
「言葉は、話せないのか? 二足歩行は?」
豚の耳障りな声だ。どうして? 今日、ミストレス、豚に会えない。なのに、豚、どうしてミストレスのお邸にいる。ミストレスの母親と、話してる?
「ミケイラが、色々試したみたいだけど、ダメだったんですって」
「……この子の腹に酷い傷をつけたのも、ミケイラなんだろう。……父親に似ちまったな」
ミストレスのこと、呼び捨てするの、ミストレスの両親と、豚だけ。
スノーウィ、起きなきゃ。嫌な予感がする。急がないと、手遅れになる。
でも、スノーウィの体、雁字搦めにされたみたい。自由が利かない。瞼、あかない。縫いつけられた? 瞼、引きちぎれても良いから、目、あけないといけない。
揺りかごみたいに、揺られる、スノーウィ。体、鉛みたい、重い。ままならない焦りだけ、募ってく。
ミストレスの母親、物憂げな溜息、ついた。
「あなたにお願いするのは、心苦しいけど……この子のこと、よろしくお願いします」
「……いや、俺だから、頼まれるんだ。俺はこの子を救いたい」
スノーウィの頭に、熱くて湿った掌、置かれる。スノーウィ、総毛立つ。皮膚の下を、虫が這いまわるみたい、不快感。その手、噛み千切ってやりたい。でも、出来ない。もどかしい。
スノーウィの頭、撫でていいの、ミストレスだけだ。
豚、スノーウィにべたべた触りながら、少し声のトーン落として、言った。
「あんた、本当に一緒に逃げないのか? この子を逃がしたら……あんたの身に危険が及ぶんじゃ?」
「あんな娘でも、ミケイラは私の娘よ。一人残してはいけないわ」
スノーウィ、耳、疑った。
あんな娘? ミストレスのこと、あんな娘、言ったのか?
ミストレス、優しい娘。ミストレスのこと守れない、弱い母親のこと、責めない。ミストレスのこと怖がる臆病な母親のこと、愛してる。
ミストレス、とても良い娘。それなのに、ミストレスのこと、こんな女が、悪く言った?
スノーウィ、もしも動けたら、ミストレスの母親のこと、噛み殺してた。
ミストレスの母親、酷い母親。スノーウィの母親より、酷い。
でも、ミストレス、母親のこと、愛してる。ミストレス、母親のこと殺したスノーウィのこと、嫌いになる。だから、殺さないで済んで、良かった。
でも、スノーウィの胸に渦巻く怒り、竜巻みたいに、スノーウィを揉みくちゃにする。
ミストレスの母親、いけしゃあしゃあ、言う。
「ミケイラは私を愛してるの。そして、あの人はこの世界で、ミケイラだけを愛してる。歪んでるけど、愛には違いないのよ。ミケイラが、私の死を望まなければ、私は殺されない筈よ……あなたもね」
スノーウィの体、跳ねあがった。二人分の悲鳴、上がる。スノーウィ、飛びかかろうとして、失敗。車の低い天井に頭、ぶつける。スノーウィ、四肢の自由、奪われてた。
スノーウィ、怒り狂った。こいつら、ミストレスの愛、利用してる。ミストレスの愛、こいつらにとって、この小さな車と同じ。
許せない。貴様らが足蹴にしたのは、この世界で一番尊いものだ。ぼくが、喉から手が出るほど欲しいものだ。
ミストレスの真心、踏みにじりやがって!!
***
スノーウィ、浚われた。ミストレスと引き離された。スノーウィ、豚の小屋に連れて来られた。小さい頑丈な檻の部屋に、スノーウィ、閉じ込められた。
豚は一度、スノーウィを家の中に放した。スノーウィ、おとなしいふり、していた。楔から解き放たれた瞬間に、弾けるみたく、豚に躍りかかった。
でも、体、強張る。思うように動けなかった。薬、しつこくスノーウィの中に残ってる。
豚、転がって、スノーウィの牙から逃れた。スノーウィ、豚、しとめようとした。そしたら、豚、スノーウィを攻撃した。スノーウィ、知ってる。電流の味。痛み鋭く、体は痺れる。強い武器。いくら食らっても、痛みに慣れても、体は動かなくなる。変わらない。
スノーウィをケージに押し込んで、豚、嘘っぽい、泥水みたいな涙、ぼろぼろ零す。
「俺は君を、人間に戻してやりたいんだ」
スノーウィ、心の中で、嘲笑う。
戻してやりたい、だって? 恩着せがましい。そんなこと、誰が頼んだ? スノーウィ、そんなこと望んでいない。スノーウィの望み、ひとつだけ。ミストレスのところ、帰る。
ついでにこの豚、殺す。ミストレス、悲しむだろう。でも、この豚、ミストレスを裏切った。ミストレス悲しませた。万死に値する。生かしておけない。
豚、スノーウィに水とご飯、与える。でもスノーウィ、口付けない。薬、入ってるかもしれない。そもそも、スノーウィ、ミストレスの犬。ミストレスの「待て」まだとけてない。
豚、スノーウィのケージの前で難しい顔、する。
「早速だが、引っ越さなきゃならん。この隠れ家が見つかるのも、時間の問題だからな。その為に、君には大人しく、車に乗っていて貰わなきゃならんのだが」
スノーウィ、素直な目で豚を見上げた。思った通り、豚、ご飯に薬仕込んで、スノーウィを眠らせようとした。でも、うまくいかなくて、焦ってる。豚、時間がない。きっと、ミストレス、スノーウィを探してる。
豚、もう待っていられない。スノーウィ、ほくそ笑む。
ケージ、開けろ。それがお前の人生、最後の作業だ。豚は捌いてやる。惨めな断末魔、上げるがいい。
豚の手、小刻みに震えてる。豚、スノーウィの体当たりで拉げたケージの錠に、手、かける。スノーウィ、今か今かと、待ちわびる。
「……俺は、ミケイラに頼まれたんだ」
豚、小さな声で言った。スノーウィと目が合うと、豚、大声を出した。
「君を人間にしてくれって! 君を連れ戻そうとしてるのは、ミケイラの父親だ。君を高い金で買った! 手放すのが惜しいのだ。だが、犬のままの君が戻っても、ミケイラは君を受け入れんぞ! ミケイラは、君を人間にしたいんだ!」
スノーウィ、豚の戯言、信じない。豚、スノーウィに言う事聞かせようとして、口から出まかせ、言ってるだけ。スノーウィ、知ってる。ミストレス、スノーウィに人間の真似、させようとした理由。豚のご機嫌、とる為だ。
スノーウィの気持ち、愚鈍な豚にも、強い眼差しで伝わった。豚、項垂れる。ぶよぶよした顎の肉、前掛けみたいに垂れ下がる。噛みちぎってやったら、どんなに爽快だろう。
豚、醜い贅肉を揺すって、上ずった声で言い募る。
「君が、人間の言葉を喋って、二本の足で歩けるようになったら、人間らしくなったら、ミケイラは君を迎えにくるよ。ほら……ミケイラも、君が人間になることを、望んでいただろう? な? ミケイラにとってのペットってのは、一時の慰みでしかねぇんだ。ペットは、所詮はペットでしかねぇのよ。ミケイラが本当に欲しいのは、人間の友達だ。なぁ、わかるだろ? 俺の言っている意味が?」
スノーウィ、豚を相手にしちゃいけない。わかってるのに、考えてしまう。
ミストレス、いつも一緒にいる犬のスノーウィより、たまにしか会えない豚が好き。スノーウィ、豚より、ミストレスのこと、わかってる。大事に想ってる。でも、ミストレス、スノーウィより、豚が好き。
理由、ひとつだけ、思いつく。豚が、人間だから。スノーウィが、犬だから。
ミストレス、人間の男、大嫌い。でも、豚は例外。
もしかしたら、スノーウィ、人間になったら、スノーウィも、例外?
スノーウィ、ミストレスのこと、愛してる。スノーウィも、愛されたい、願ってしまった。
そしてスノーウィ、取り返しのつかない、間違い、犯した。




