白い犬2
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僕は、驚く。息も忘れた。ぼくの女神が、小さな長四角の写真から飛び出した。
写真よりきれい。とても、きれい。写真より小さいような? 写真と同じ、不機嫌な顔でぼくをちらっと見て、引っ込んでしまう。
「……パパ」
ミケイラ様は声もきれい。ぼくはうっとり聞き惚れる。
そうしていたら、がつん。ケージを蹴られた。調教師の声がする。
「出て来い、ご主人様に御挨拶しろ」
ぼく、はっとした。ミケイラ様、ぼくの、ミストレス。礼儀正しくしなきゃいけない。気に入って貰えるように。
ケージ、出なきゃ。でも膝、凍ったみたく、動かない。
僕のミストレス。要らないぼくを拾ってくれる。ぼくは彼女のお陰で生きてきて、彼女の為に生きている。
大丈夫? ぼく、いい犬になった? ミストレスは、ぼくのこと、必要? 要らないって、言われない? 捨てられない?
ミストレス、立ったり座ったり、近づいたり、遠ざかったりする。スカートの裾、低く囁くみたく、音をたてる。青く渦巻く、不思議な良い香りが、する。
ダメだ、ぼく。勇気振り絞れ。ミストレスの為のぼく。いらないって、言われたら、ぼくはそれで終わり。
でも、それならせめて、もう少しだけ、ぼくの女神を、見つめていたい。
一歩一歩踏みしめて、ケージを出る。途中でごんごん、頭、ぶつけた。
出てきたぼくを、ミストレスが、見る。それから、きれいな顔を、顰める。隣のガマガエルが、げらげら。笑った。ミストレス、もっと顔を、顰める。
ミストレスは、そのガマガエルが、嫌い? ぼくは、さっと姿勢を、低くする。ガマガエル、ミストレスに指一本でも触ったら、余計につき過ぎた脂身を齧り取ってやる。
ミストレス、大丈夫。ミストレスが嫌う奴、みんな、ぼくが殺す。ミストレスが笑っていられるように、ぼくは、命、かける。
ミストレス、ガマガエルを睨みつける。姿勢を低くして、浅く速い呼吸する、ぼく。体をばねにして、飛びかかろうとする……よりはやく、ミストレスが、ぼくを指差して、言った。
「綺麗な仔犬を買ってくれるって言うから、楽しみにしていたのに。私、サモエドの仔犬が欲しかった。裸の男の子じゃなくて!」
絶望が、空から降って来た。ぼく、ぺしゃんこにされた。
欲しくなかった? 裸の男の子、いや?
違う、違います。ミストレス。ぼくは男の子じゃない。人間の男の子じゃない。ぼくは犬。あなたの犬。あなただけの仔犬。さもえどって、なに? それにならなきゃいけないなら、ぼくはなる。何をしてでもなってみせる。だからお願い、待って。ぼくを捨てないで。
ぼくの傍らに、調教師が、しゃがみこむ。ぼくの首根っこ押えた。耳元で、小さな声で、囁く。
「バカが、最初から何もかも、うまくいくと思っていたのか? お前はミストレスと、初めて出会った。信頼関係などない。ゼロからのスタートに決まっているだろうが。難しいのも、大変なのも、これからだ。お前はミストレスに気に入られる良い犬にならなければならない。俺はその為の術を、すべてお前に教えた。信じろ、お前はいい犬だ」
調教師の手が、ぼくの首を撫でさする。ぼく、少しずつ、落ちついてきた。
そうだ。ぼくはまだ、ミストレスに何もしてあげられてない。ミストレスの為、がんばる。ミストレスの良い犬になる。さもえどの仔犬になる。
ぼくは頭、擡げる。手始めに、あのガマガエル仕留める。
だけど調教師は、ぼくの首をぐっとおさえつける。ふるふると頭を振った。
「ミストレスのお隣にいらっしゃるのは、ミストレスの父君だ。ミストレスのボスだぞ」
調教師の、忠告。ミストレスはぼくのボス。ミストレスのボスも、ぼくのボス。ミストレスの為、噛みつかない。敬意をもって、傅く。
もう一度、ガマガエルを見る。醜い醜い、ガマガエル。毒の滴るような、嫌な笑顔。ミストレスも、嫌そうにしてる。
でも、殺したらダメらしい。我慢。ミストレスも、我慢してる。
おかしい。ぼくは我慢が、得意。でも、ミストレスが、我慢するなんて、ダメ。我慢は、辛い。ミストレスが、辛いのは、ダメ。その為に、ぼくがいる。それなのに。
ぼくの、ミストレス。ぼくは彼女の為に生れて来た。彼女のボス? だから、なんだ? もしも、本当にミストレスを傷つけるなら、殺してやる。
調教師が、ぼくの首筋を叩く。噛んで含めるみたいに、言い聞かせる。
「ほら、行け。お前のミストレスだ。ついに会えたんだぞ。お傍へ行け」
ぼくは、ミストレスを、見上げる。ミストレスも、ぼくを見てる。鋭くささる視線。黒い氷を嵌めこんだみたいな、冷たい目。噛みしめた唇。
ぼくのミストレス、あなたは寒い? 寒いのは、嫌だよね。
ミストレスに、吸い寄せられる、ぼく。近づくたびに、まるで、魔法にかかったみたい。とても、素敵な魔法。
ぼくの世界、ミストレスだけ。ミストレスだけがいる、ぼくの世界。なんて、素敵。なんて、嬉しい。なんて、幸せ。
ぼくは、ミストレスだけに、ついて行く。顔を、蹴られた。小さく声を、出してしまった。痛くても、ぼくは声を上げない。そういう風に、調教された。ミストレスに蹴られても、全然痛くない。痛いから、声が出たんじゃない。
触れて貰えるのが、嬉しい。すごく、嬉しい。体中、電気みたく、ビリビリ駆け巡る、幸せ。だから声が、出てしまう。ミストレスは、嫌そう。ぼくは、あわてる。
そんな顔、しないで。ぼくは、あなたを笑わせる。その為に、生れて来た。
ミストレスは、調教師と話しをする。ミストレスが、ぼくを捨てたときの為の、話。調教師から、よく言い聞かされてる。
殺処分するまでもない。ミストレスに捨てられたぼく、死ぬ。そのままにしておいても、死ぬ。
捨てられる、捨てられる、捨てられる。嫌だ、捨てるくらいなら、あなたの手で終わりにして欲しい。
ミストレスはぼくを見下ろして、言い捨てた。
「いちいち、あんたに連絡するなんて、面倒くさい。いらなくなったら、いつも通り、私が殺すわ」
ぼくの喜び、言い表せない。ミストレス、ぼくのミストレス。こんなひとは、他にいない。ぼくの女神さま。




