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私は性悪ミストレス  作者: 銀ねも
犬の章
22/44

白い犬1

 

 ***


 苦痛に慣れた。正しくは、調教に慣れた。調教の目的、ぼくを良い犬にすること。父さんと、違う。父さんの目的、憂さ晴らし。ぼくの苦痛そのもの、父さんは、欲しがった。


 ここに連れて来られて、三年経った。ぼくには、朝も夜もない。時間がない。それでも、三年経ったと分かる理由、写真を数えるから。写真が三枚ある。ミケイラ様の写真、調教師はぼくにくれる。ミケイラ様の誕生日にくれる。三月二十二日。一年の中でただ一日だけの、素敵な日。


 ミケイラ様の写真、ぼくは大切にする。三枚の宝物。どれも可愛い、綺麗だ。この灰色の世界で、唯一つだけ、美しいもの。


 でも、気になる。一年たつごとに、少しずつ、唇の端が下がっていく。痛いのを我慢するみたく、噛みしめた唇が、真っ白。泣きそうな顔。


 どうして? なにが悲しいの? 


 ぼくは、舐めて綺麗にした床に、ミケイラ様の写真、丁寧に並べた。手は使わない。ぼく、犬だから。今日、それを忘れて、投げつけられた硝子玉、手でキャッチした。その罰で、ぼくの十本の指、全部折れている。


 今年のミケイラ様の顔に、大きな滴が落ちる。ぼくの涙だ。ぼくは泣いていた。ぼくはミケイラ様のことを考えると、涙脆くなる。ぼくはあわてて、ミケイラ様の顔の涙、舐めとった。


 ミケイラ様の顔、舐める。ミケイラ様の顔の上に落ちると、ぼくのしょっぱい涙、甘い蜜の味がする。ぼくは夢中になって涙、舐める。


 ミケイラ様、もう少し。ぼくは良い犬になる。急いで良い犬になる。ぼくが傍にいて、あなたを笑わせる。あなたの為なら、なんだってする。


 あなたはどうしたら、笑ってくれる? 調教師は、いい犬になれば良いと言う。ミケイラ様の為に、なんでもする良い犬になればいいと言う。


 ぼくのすべて、ミケイラ様にあげる。でもそれで、ミケイラ様、喜んでくれる? みんな、ぼくをいらないって言った。こんな出来そこないの僕、貰って、ミケイラ様、本当に嬉しい?


 ミケイラ様、喜ばせたい。父さんみたく、ぼくが苦しむのが好き? あなたが笑ってくれるなら、この手足切り落として、芋虫の真似、する。緑色の目玉が欲しいなら、瓶に入れてリボンを巻いてプレゼントする。


 だから、どうか。あなたがぼくを必要としてくれますように。


 調教師は、犬の作法だけじゃなくて、他にも大事なこと、教えてくれる。ミケイラ様の敵をやっつける方法。


『お前は、尻尾をふって愛想よくして、飼い主の顔を涎だらけにしていれば良いような、愛玩犬じゃない。強い狼にならなければならない。わかるな? お前のミストレスは、強い犬がお好きなんだ』


 ミケイラ様が強い犬が好きなら、強くなる。ミケイラ様に気に入られる為なら、ぼくはなんだって出来る。

 

 はじめのうちは、小さいネズミや猫で練習した。うまく仕留められるようになると、廃棄処分が決まった犬で練習をした。

 ぼくより大きな犬もいた。やりかえされることもあった。でも、最後にはぼくが勝った。


 ぼくは負けられない。ミケイラ様は強い犬が好き。ぼくより強い犬がいたら、ミケイラ様、そっちの方が良くなるかもしれない。


 それだけは、ダメ。絶対に、ダメだ。だから殺す。邪魔になる奴は、皆殺す。


 どの犬より、強い犬になった。犬が武器を持って襲ってきても、勝てる。敵の息の根をとめるときだけ、必要なら、二本脚で立ちあがっても、手をつかっても、道具を使っても良い。


 四年目の三月二十二日。調教師はぼくに、四枚目の写真をくれなかった。そのかわりに、言った。


『おめでとう』


 調教師は初めて、嬉しそうだった。でも、ぼく、嬉しくない。写真が欲しい。四枚目のミケイラ様の写真。


 調教師の脛に噛みついて、引き倒して、喉笛に食らいついて脅してやったら、写真を寄越すか? ダメだ。この人間、ぼくとミケイラ様を繋ぐ、唯一の掛け橋だから。


『ミケイラお嬢様がお前をお買い上げになった。お前は晴れて、ミケイラお嬢様の犬になったのだ』


 ケージに詰め込まれたぼくは、ぼんやりしていた。 


 ミケイラ様、ぼくを、買った? ぼくは、ミケイラ様のものになった?


 よく、わからない。ケージの中で、三枚の写真を咥えて、ぼくは泣いていた。胸が締め付けられる。苦しい。でも、甘い痛みで、胸がいっぱい。


 ごとごと、がたんがたん、がたごと、がたんごとん。


 ぼくは揺られる。ぼくは水をなみなみと湛えたコップみたい。いっぱいいっぱいで、不思議な気持ちが、溢れだしてしまいそうだった。


 ぼくのケージが運ばれて行く。いつもは、重いとぼやいてケージを蹴る調教師が、今日は愚痴一つこぼさない。


「おお、ミケイラ。世界で一番美しい、俺の白雪姫。お前にぴったりのプレゼントがある」


 脂ぎった声を合図にしてケージを開けたのは、調教師だ。調教師は奥で小さくなるぼくに、目で頷いた。緊張の糸が張り詰めている。調教師は、すぐにさっと脇に退いた。


 すると、ふわりとなんとも言えない、良い匂いが香った。天国から風が吹いたみたいだ。

 そして、小さな女神がぼくの前に現われた。



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