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私は性悪ミストレス  作者: 銀ねも
ミストレスの章
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私の誕生日とサプライズ

 小春日和。その日の講義を全て受講し終えて、友人たちと大学近くのカフェに立ち寄ると、大きなホールケーキが運ばれてきた。私の好きなチョコレートケーキに、蝋燭が十九本刺さっている。呆気にとられる私に、友人たちは声を合わせて言った。


「ハッピーバースデー、ミケイラ!」


 私は携帯電話で日付を確認した。なるほど、日付は三月二十二日。私の誕生日である。

 私が心底驚いていると、正面の友人は呆れた様子で笑った。


「自分の誕生日を忘れる? まぁお陰で、サプライズは大成功だけど」


 すると、右隣の友人が意地悪く笑って言った。


「でも、私たちのせいで、フィリップのサプライズは大失敗よ」


 左隣の友人は肩を竦めた。


「肝心の夜を譲ってあげたんだから、フィリップは私たちに感謝するべきじゃない?」


 友人とお喋りをしていると、携帯電話にメールの着信が入った。友人に断りを入れて確認する。フィリップからだ。


 今夜はデートの約束をしている。今晩八時に「ゴールデン・アップル」。知らない店だ。携帯の液晶画面を、額を寄せ合って覗き込んだ友人たちは、一斉に私を囃したてた。


「ほらきた! 大本命が動きだしたわ!」

「ゴールデン・アップル? なんの店だろ? レストラン? 高級フレンチ? 三ツ星?」

「あの倹約家のフィリップが、高級レストランに恋人を呼びだすとしたら……それはもう、一世一代の大勝負ね!」

「ちょっとやだ、ミケイラあなた、お洒落していきなさいよ。ジーンズスタイルじゃ、ドレスコードに引っ掛かるから!」

「そうよ、気合い入れなさい! プロポーズされるかもしれないわ!」


 きゃー! と黄色い悲鳴を上げてはしゃぐ友人たちの勢いにのまれ、私は「そんなバカな」と言いそびれた。



「コーディネートしてあげようか?」という三人の申し出を丁重に断ると、残りのチョコレートケーキを押し付けられ「グッドラック!」とサムズアップされて、カフェから追い出された。


 私はマンションに帰宅すると、シャワーを浴びて着替えた。いつもは動きやすいパンツスタイルが多いのだが、フィリップはフェミニンな柔らかい色合いとデザインのスカートが好きだから、そっちにする。 

 申し訳程度に化粧もする。私はもともとの顔立ちがくっきりしているので、やりすぎるとかえって印象が良くない。それにフィリップはけばけばしいのはダメだ。


 プロポーズされるなんて、思っちゃいない。私たちはまだ学生だ。それも、フィリップは食いつめる程の苦学生。その分際でプロポーズなんてしてきたら、私は感動するどころか白けるだろう。


 でも、フィリップが私の誕生日を祝おうとしているのだから、私だってそれなりに綺麗にしていかないといけない。それが礼儀だ。


 早くに家を出たのは、初めて行く店を見つけるのに手間取っても、遅れることがないように。これも礼儀だ。誕生日を祝ってもらうのだから。


 メールにあった住所を頼りに、私は猥雑な下町を彷徨った。道中、いかにも頭と下半身が直結していそうな男どもに絡まれたけれど、悉く無視をした。目抜き通りの雑踏のど真ん中を歩けば、路地裏に引きずり込まれることはない。


 私は椅子が三つしかない床屋の前で立ち止まった。その二階にある「ゴールデン・アップル」というバーの、張り出したネオンサインを見上げる。


 ネオンサインは猥雑な夜を煌々と照らしている。その下にある両開きの扉の前に立った。

 ……思っていたのと、ちょっと違う。間違っても、高級レストランではない。場末の酒場って感じ。

 これが、フィリップのサプライズだろうか。扉を開くと、外観からは想像もつかないような空間が広がっているとか? 私は思いきって扉を開いた。


 幅が狭く急な階段を上ると、両開きのスイングドアの仕切りがあった。ドアがぱたぱたと揺れ、まるで大きな口がもぐもぐと咀嚼しているみたい。軽い扉だったが、堅強な城門のように感じられる。押し開き、中にはいった。


 ほどほどに幅があり、奥行きのある部屋だ。不潔ではなく、照明はムーディーな演出の一環としてほんのりとしている。陽気と言うには怪しく、陰気と言えない熱がこもっていた。

 ……なんというか、良くも悪くも外観を裏切らない内装だ。場末の酒場……いや、隠れ家的と言っておこう。


 隅のテーブルを照らす円錐形の灯りの下で、強面の男たちが額を寄せて囁き合っている。左手の壁には無人のバー・カウンターがあった。白い丸テーブルがぽつぽつと置かれており、思い思いに腰を下ろしているのは皆、男だろう。壁際に静かに佇む男たちの、モアイのように陰影を浮べる横顔。


 なんだここは。ゲイバーか? 私は店を間違えたのかもしれない。足を止めて、店内を見回す。フィリップが居なかったら、とりあえず、店を出よう。

 すると、初老のバーテンダーと目があった。バーテンダーはにっこり微笑む。お呼びじゃない、ってわけではなさそう。ゲイバーという線は消えた。


 だとしても、場違いであることには変わりない。まわれ右をしようとする私に、バーテンダーが声をかけた。


「いらっしゃいませ、ミス。お早いおつきでしたね。どうぞこちらにお掛けになって、お連れ様をお待ちになってください」


 私はくるりと振り返る。バーテンダーは奥から二番目のスツールを引いて、私を待っていた。

 どうやら、この店で間違いないらしい。私はぎくしゃくと足を動かした。あさく腰掛けると、バーテンダーはカウンター内に戻る。バーテンダーはこの店に似つかわしくない、紳士然としたロマンス・グレーだ。私にとってせめてもの救いである。


 私はバーテンダーにおすすめの酒を注文した。酒には詳しくないし、好きでもないが、酒場に来てぼんやり座っているだけなのは不自然だと思う。


 程なくして出された、カクテルグラスに注がれた酒の微妙な色合いの水面を眺める。バーテンダーは流麗な動作でグラスを出す時に、この酒の長ったらしい名前を教えてくれたが、そもそも興味がない私は、一秒後にもう忘れた。

 舐めてみると、舌をやく辛みがある。


 酒を舐めている間に、時間が経過した。


 手首を返し、腕時計で時間を確認する。あと三分で待ち合わせの時間だ。いつもなら、私より先に待ち合わせ場所に来て待っているフィリップが、まだ来ていない。


 何かあった? まさか、忘れてるわけじゃないだろうな。連絡をとってみようか。いや、せめて待ち合わせ時間まで待とう。待てよ、これもサプライズの一環か?


 つらつらと考えていると、私の隣の席、一番奥のスツールが引かれた。

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