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私は性悪ミストレス  作者: 銀ねも
ミストレスの章
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私の恋人

 スノーウィと決別して三年がたち、私は十八歳になった。この頃の私の目下の悩みごとは、卒業後に待ちうける煩わしい日々について。


 大学を卒業したら家業を手伝うよう、親父からかねがね言われていた。異論はない。物心ついた頃から親父のあとを継ぐつもりでいる。

 親父はもういい年だ。親父がくたばる前に、裏稼業のイロハを頭と体に叩き込まなければいけない。


 問題は、親父が私の早期の結婚を望んでいることだ。


「目の黒いうちに、お前の花嫁姿が拝みたい。いや、せめて孫の顔を見てからくたばりたいなぁ」


 この台詞だけなら父親として、当然の願望に思えるだろう。しかし、この父親面に騙されてはいけない。父親面と言うより、悪人面だけど、それはそれ。


 親父は世間一般の善良な父親像から遠くかけ離れている。私の子どもが女の子なら、親父の目には触れさせたくないくらいだ。また、悪い病気が再発したら一大事である。


 ともあれ、親父が気にかけているのは、私とママではなくファミリーの行く末だ。


 親父には情がない。ママが心を病んだら、すぐさま精神病棟に突っ込んで、ほったらかしにしている。

 でもそれを言うなら、私もそうだけど。ママの見舞いには一度も行っていない。これからも行かないだろう。次に会う時は、ママが棺に入った時だ。その時には、ママを許せたら良いと思う。


 親父は、私に相応しい男を見つけるように言いつけた。猶予はそんなにないが、私に選べと言うのは、親父のなけなしの親心かもしれない。親父の下で働くような荒くれ男を、私が毛嫌いしていると知っているから。


 私は周りの男に目を向けた。そして、同じキャンパスで学ぶ、眼鏡の男子学生に目をつけた。


 背が高く、引き締まった筋肉質の体型だが、ひ弱な印象だ。コソ泥のように、人目を避けてこそこそしている。

 フレームのカラーが剝げかけた眼鏡をかけていて、いつも似たようなチェック柄の、皺だらけのシャツを着ていた。もじゃもじゃの髪はダークブラウン。

 ナードのお手本みたいな男。でも、私の価値観で言うと、ジョックスよりずっとマシ。 


 それに、何よりも瞳の綺麗なエメラルドグリーンが、私の目にとまった。どうしても気になった。


 私はぽつねんとしている彼の隣に座った。彼は気の毒なくらい狼狽えて、水をかけられた狂犬みたいに、おかしな風に身を捩って逃げようとした。私は咄嗟に、彼の首根っこをつかまえて引き留めた。彼はぐえっ、と潰された蛙みたいな声を出した。


 話しかけてみると、彼は白い顔を真っ赤にして、へどもどした。口が利けないのかと訝り、私が眉をひそめると、彼はしどろもどろになりながら、なんとか言った。


「ごめ、ごめん。き、き君みたいな、美人が……このぼ、ぼくに話しかけてくれるなんて……思わなくて……ほんと、ごめん」


 彼の名前はフィリップ・ターナー。一つ上のクラスの学生だった。私は積極的に働きかけ、彼と交流を重ねた。

 私たちは最初のうち、仲良くおいかけっこをする猫とネズミのコンビみたいだった。

 

 男に追いかけられる経験は、うんざりするくらいしていたけど、逃げられたのは初めてだった。

 私はフィリップを追いかけた。小さい頃から、私はこういう「この私にこんな態度をとるなんて」というタイプに執着する性質らしい。


 フィリップは毒にも薬にもならない男だ。悪くなくてもすぐに謝る。いつも穏やかで、感情を露わにすることがない。


 こういう男は、優しいんじゃない。本当は何に対しても関心が薄いのだ。だから怒る必要も、悲しむ必要もない。面倒だから、真っ先に謝って、それ以上の関わりを絶とうとする。


 こういう男が、私の夫……つまり私の傀儡かいらいにはうってつけだ。


 私はフィリップに照準を合わせた。周りがひくくらい、彼に猛アタックした。 

 フィリップが私に夢中になることは、わかりきっていた。初めて目と目が合ったとき。フィリップが焦げるほどに、私を見詰めていた。何事にも関心が薄い男が、この私にだけ注意を払っていた。


 それなのに、フィリップはなかなか強情だった。私と深く関わることを、恐れているみたいだった。

 フィリップがやっと、自分の気持ちを認めたのは、春の気配が漂いだした頃だった。


 晴れて、私たちは交際をスタートさせた。

 なぜ、フィリップのことが気になるのか。その理由をずっと考えていた。最初こそ、毛色の変わった者への興味と打算だった。でも、わからなくなりつつある。

 私は彼の澄んだ瞳の謎に、魅せられているのかもしれない。彼はいつも、どこか悲しそうに私を見つめる。


 フィリップは私にノーを言わない。なんでも私に合わせる。私の言い為り。いつも私のご機嫌伺いをしている。私を愛しているから? 本当に? それなら、この違和感はなに? 


 私はどうして、こんなにフィリップが気になるのだろう。ひょっとして、彼にシンクレアの面影を見たのだろうか。


 しかし、それはない。あり得ない。だって、もしそうだとしたら、それは愛じゃないのだから。


 フィリップは私を愛している。だってこんなに、私だけを見つめている。そう、まるで、スノーウィみたいに。


 フィリップは私の恋人だ。私の周囲は驚いている。釣り合わないと声を上げるお節介者もいた。


 釣り合わない? そんなの当たり前。私と対等に付き合える男なんて、シンクレアくらいなんだから。釣り合わなくてもいいの。


 フィリップは私に丁度いい。私に従順で、私だけを愛している。


 さらに、フィリップは天涯孤独の身の上だった。早くに両親を亡くして、年の離れた妹と二人、親戚の家を盥回しにされて育ったらしい。


 まだ赤ん坊だった彼の妹は、里親に引き取られたそうだ。しかし、フィリップのことは引き取ってくれなかった。兄妹は生き別れて、それきり、会っていないとか。


 彼が周囲に無頓着なのは、こどもの頃に周りの大人たちが彼を気に掛けなかったからかもしれない。


 フィリップには不幸でしかない身の上だが、私にとっては好都合だった。


 交際は順調だった。だが、気になることがある。 フィリップには時間も金もない。学費を工面するだけで精一杯らしい。

 面と向かっては言わないけれど、それはおかしい。フィリップは奨学金を受け取っているし、寝る間も惜しんで働いている。それなのに、ぎりぎり決着で生きているのはどうしてだ? 収入と支出が釣り合わない。


 まぁ、フィリップに限ってギャンブルやクスリなんて、やってないだろう。もしかしたら、妹に仕送りでもしているのかも。


 それでも、なけなしの時間と金をつかって、フィリップは私をデートに誘う。そういうところがいじらしいと感じた。愛しいとは思えないけれど、可愛いと思う。頭をぐしゃぐしゃと撫でてやりたい。


 こんな風に和やかな気持ちになって、ふと我に返ると、私はスノーウィのことを思い出した。


 私を女神のように愛していたスノーウィ。彼は私を親父から守ろうとしてくれたし、オークウッド達から救ってくれた。


 シンクレアのことは、未だに心のしこりとして残っている。  

 

 私は複雑な気持ちを抱えている。そこには、彼に対する罪悪感も含まれている。小さじ一杯程度だったとしても。


 交際して半年で、私はフィリップと寝た。彼は消極的だった。全裸になるのを恥ずかしがって、最後までダサいシャツを脱がなかった。けれど意外なことに、バージンでは無かった。私もバージンではなかったけど、フィリップは驚かなかった。


「君みたいな女の子は、男が放っておかないよ」


 そう言って、フィリップはへらりと笑う。私はなんだか胸がムカムカした。フィリップは、私が男と遊び歩いているとでも思っているのか。私は大の男嫌いだ。男と好き好んで関係を結んだことは一度たりともない。


 私にベッドから蹴り落とされたフィリップはおろおろしていた。シーツに包まって壁際で固まる私の背中を、彼の手がおずおずと撫でる。


「過去は関係ないんだ。ミケイラとこうやって一緒にいられる。幸せだよ。幸せ過ぎて、怖いくらいだ」


 フィリップが私を背中から抱きしめたけれど、私はフィリップの手を振りほどかなかった。フィリップが顔を押し付けている背中がじわりと濡れている。私を抱きしめる腕は、生れたての小鹿の足のようにぷるぷる震えていた。


 フィリップは、私と二人きりでいると、突然泣きだすことがあった。理由を訊ねると「幸せなんだ」と、鼻声で答えるだけ。

 それは本心ではないと思う。幸せなら、あんなに辛そうに泣かないだろう。彼は酷くおののき、うろたえているようだった。


 気が付くと、フィリップは私に縋りついている。神の家で跪き、懺悔でもするかのように。教会なんて一度も行ったことがないけど。


 フィリップは何か問題を抱えている。私はいつしか、その問題を分かち合えれば良いと思うようになっていた。けれど、自分から働きかけない。


 私はフィリップの柔らかな掌に頬を押し当てる。

 

 フィリップが自分から、私に打ち明ける決心をするまで待つ。まがりなりにも、私は彼をパートナーに選ぶつもりだ。彼を信頼し尊重しなければいけない。私だったら、ズカズカ土足で踏み荒らすより、そうして欲しい。


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