第10話 SE-001
誰にも頼まれず始めたものが。
ある日。
自分1人では、自由に変えられないものになる。
少し寂しくて。
でも、それはきっと。
誰かが一緒に持ってくれた証拠でもあります。
材料も。
Earth Portも。
テザーも。
まだありません。
今回は。
宇宙エレベーターに初めて「仕事としての名前」が与えられる話です。
成田空港に着いたのは。
土曜日の朝、6時20分だった。
機体が滑走路へ降りた瞬間。
相馬直人は。
ほとんど起きていなかった。
隣の席。
佐伯宗一郎は。
着陸態勢に入ってからも、妙に平然としていた。
直人は。
それが少し腹立たしかった。
「佐伯さん」
「何だ」
「寝ました?」
「寝た」
「何時間」
「6時間くらい」
直人は。
信じられないものを見る目で佐伯を見る。
「嘘でしょう」
「なぜ」
「俺、2時間です」
「知らん」
前の席から。
榊原美緒が振り返る。
「お2人とも」
「まだ入国前です」
「静かにしてください」
直人。
「すみません」
佐伯。
「相馬が」
「佐伯さん」
榊原は。
小さくため息をついた。
キリバス。
フィジー。
日本。
1週間近い出張。
政府。
企業。
技術。
国。
未来。
所有。
直人の頭の中には。
まだ。
いろいろな言葉が残っていた。
だが。
飛行機のドアが開き。
朝の成田の空気を吸った瞬間。
最初に思ったのは。
宇宙エレベーターではなかった。
――帰ってきた。
それだけだった。
◆
自宅へ着いたのは。
9時を少し回った頃だった。
キャリーケースを引き。
玄関の鍵を開ける。
「ただいま」
少し間。
奥から。
「おかえり」
沙織の声。
直人は。
それを聞いて。
ようやく。
本当に帰ってきた気がした。
リビングへ入る。
相馬沙織。
部屋着。
髪を簡単にまとめ。
朝食の片付けをしていた。
直人を見る。
「顔ひどいね」
「帰って最初にそれ?」
「寝てないでしょ」
「少し寝た」
「何時間」
「2時間」
「寝てないじゃん」
聞き覚えのある会話だった。
直人は。
鞄を床へ置いた。
「ただいま」
もう1度言う。
沙織は。
少し笑った。
「おかえり」
そして。
「どうだった?」
「何が?」
「キリバス」
直人は。
少し考えた。
「遠かった」
「そうじゃなくて」
「暑かった」
「直人」
「はい」
沙織は。
食卓の椅子へ座る。
「宇宙エレベーター」
「建つことになった?」
直人。
「全然」
即答だった。
沙織。
「じゃあ何しに行ったの」
直人は。
答えようとして。
少し止まった。
以前なら。
候補海域の調整。
ホスト国との協議。
建設条件。
そんな言葉を使ったと思う。
でも。
今は。
少し違った。
「一緒に造っていいか」
直人は言った。
「聞きに行った」
沙織は。
直人を見る。
「で?」
「まだ分からない」
「また?」
「最近」
直人は椅子へ座る。
「分からないことばっかり増える」
沙織。
「進んでるの?」
「たぶん」
「分からないのに?」
「分からないものが分かった」
沙織が。
少し考える。
「それは」
「学校なら成績上がってる?」
「研究なら上がってる」
「建設は?」
直人。
「……たぶん」
沙織が笑った。
その時。
廊下から。
足音。
寝癖。
パジャマ。
相馬結衣が。
半分閉じた目で現れた。
「お父さん?」
「おう」
「帰ってたの」
「今帰った」
結衣は。
直人を見る。
それから。
キャリーケースを見る。
「おみやげ」
直人。
「そこ?」
「そこ」
「久しぶりに会った父親より?」
「おみやげ持ってる父親」
「条件付いた」
沙織が笑う。
直人は。
キャリーケースの外ポケットを開ける。
「ほら」
「何?」
「お菓子」
「普通」
「海外のお菓子に何を求めてるんだ」
結衣が袋を取る。
「キリバスって」
「どこだっけ」
直人。
「太平洋」
「広すぎ」
「赤道の近く」
「暑い?」
「暑い」
「海きれい?」
直人は。
少し思い出す。
青い海。
広い空。
その場所で。
100,000km先の未来について。
話した。
「きれいだった」
結衣。
「いいな」
袋を持って。
ソファへ座る。
そして。
何でもないように聞いた。
「そこに造るの?」
直人は。
少し間を置いた。
「まだ分からない」
結衣。
「そればっかり」
沙織。
「お父さん、分からないこと増やして帰ってきたらしいよ」
「仕事した?」
直人。
「したよ」
「本当に?」
「1週間働いてきた」
結衣は。
袋を開ける。
直人は。
そんな娘を見た。
13歳。
もし。
宇宙エレベーターが。
2050年に完成したら。
結衣は。
37歳。
今の自分と。
ほとんど同じくらいになる。
直人は。
その数字を。
以前から知っていた。
計算したこともある。
でも。
キリバスから帰って。
娘を見ると。
初めて。
その時間が。
具体的に感じられた。
自分たちが造ろうとしているものは。
自分たちだけが使うものではない。
子供たちが。
大人になった時にも。
残っているものだ。
結衣が。
菓子を1つ食べる。
「微妙」
直人。
「返せ」
「もう食べた」
「感想が早い」
沙織が言う。
「直人」
「ん?」
「先に寝たら?」
「そうする」
「月曜から仕事でしょ」
直人。
「うん」
少し間。
「たぶん」
「月曜から」
「もっと仕事になる」
沙織は。
その言葉に。
何かを感じたようだった。
だが。
聞かなかった。
「じゃあ寝なさい」
直人。
「はい」
宇宙は。
逃げない。
以前。
沙織に言われた言葉。
今は。
少しだけ。
違う意味に聞こえた。
宇宙は逃げない。
でも。
人は。
歳を取る。
子供は。
大人になる。
だから。
いつまでも。
夢のままにはしておけない。
◆
月曜日。
8時41分。
東亜建設総合株式会社。
本社。
直人の端末には。
朝から。
会議招集が届いていた。
《軌道エレベーター構想 社外サウンディング・政府協議・キリバス予備協議 総括報告》
場所。
経営会議室。
開始。
10時。
直人は。
表示を見て。
小さく息を吐く。
越智悠斗が。
隣から覗いた。
「帰国早々ですか」
「うん」
「キリバスどうでした?」
直人。
「遠かった」
越智。
「それ、もう3人から聞きました」
「誰」
「黒田さんと森川さん」
「佐伯さんは?」
「普通でした」
「だろうな」
越智。
「で」
少し声を落とす。
「本当に造るんですか?」
直人は。
少し考えた。
以前なら。
この質問が。
好きだった。
迷わず。
造る。
と言えたから。
今は。
違う。
でも。
答えにくくはなかった。
「まだ分からない」
越智。
「相馬さんまでそれ言うんですね」
「言うようになった」
「大人になりました?」
「38歳だぞ」
「今さら?」
直人。
「うるさい」
2人が笑う。
その時。
井上剛志が。
遠くから言った。
「相馬」
「はい」
「行くぞ」
直人の笑いが消える。
「はい」
そして。
また。
あの会議室へ向かった。
◆
報告は。
2時間を超えた。
社外サウンディング。
政府。
金融。
海外企業。
国際制度。
そして。
キリバス。
森川が。
結果をまとめる。
《継続協議可能》
《国際制度設計必要》
《ホスト国共同参画方式要検討》
《技術実現性評価継続》
《事業性未確定》
《安全性評価未完》
《資金調達方式未確定》
《実施主体未確定》
《正式建設判断には時期尚早》
最後。
社長が。
資料を閉じた。
直人は。
静かに待つ。
以前なら。
胸が騒いでいたと思う。
承認されるのか。
否決されるのか。
今は。
少し違った。
どちらでも。
理由を聞こう。
そう思っていた。
社長が。
佐伯を見る。
「キリバスは」
「はい」
「賛成したのか」
佐伯。
「していません」
「反対は?」
「していません」
「何と言っている」
佐伯は。
少しだけ。
直人を見る。
それから答えた。
「共同で」
「問いを作る協議なら続けると」
社長は。
ゆっくり頷いた。
「なるほど」
次。
榊原から共有された制度面の論点。
政府との連携。
研究開発。
安全。
国際組織。
全部。
社長は。
最後まで聞いた。
そして。
直人を見た。
「相馬君」
「はい」
「君に聞く」
直人は。
背筋を伸ばした。
「この計画」
少し間。
「まだ、続ける価値はあるか」
直人は。
迷わなかった。
「あります」
社長。
「造れるか」
直人。
「まだ言えません」
「安全か」
「まだ言えません」
「採算は」
「分かりません」
「キリバスは受け入れるか」
「まだです」
「国際合意は」
「ありません」
社長は。
直人を見る。
「それでも?」
「はい」
直人は言った。
「分からないことが」
「前より増えました」
何人かの役員が。
わずかに表情を動かす。
直人。
「でも」
「何を分からなければいけないのかは」
「前より分かっています」
社長は。
何も言わない。
直人。
「材料だけじゃない」
「安全」
「事業」
「制度」
「キリバス」
「運営」
「誰が造るか」
「誰が使うか」
「誰が止めるか」
「誰が責任を取るか」
「何を残すか」
少し間。
「そこまで調べて」
「それでも成立しないなら」
「やめる判断もできると思います」
社長。
「やめられるか」
直人は。
少し笑った。
「個人的には」
「かなり嫌です」
会議室に。
小さな笑い。
直人。
「でも」
「会社の仕事なら」
「俺1人の好き嫌いで決めるものじゃない」
社長の目が。
少しだけ。
細くなる。
直人は続けた。
「だから」
「造ると決めるためじゃなく」
「造っていいのかを決められるところまで」
「進めたいです」
会議室が。
静かになった。
社長は。
しばらく直人を見る。
そして。
森川へ。
「予算は」
森川が資料を開く。
「本体建設ではありません」
「事業化可能性調査」
「材料研究」
「構造解析」
「安全性評価」
「国際制度検討」
「ホスト国共同検討」
「事業モデル」
「外部専門機関への委託」
「これらを含む先行検討費です」
金額を示す。
正式建設費に比べれば。
遥かに小さい。
それでも。
個人研究とは。
桁が違う。
財務担当役員。
「年度内?」
「はい」
「次年度は?」
「成果を見て再申請します」
社長。
「人は」
井上が答える。
「既存メンバーを核に」
「兼務を含む正式チームを編成します」
「責任者」
「私が持ちます」
「対外」
佐伯。
「私が」
「材料」
宮前。
「私です」
「安全」
片桐。
「私が見ます」
社長。
「全体技術は?」
一瞬。
誰も答えなかった。
井上が。
直人を見る。
嫌な予感。
直人。
「……何ですか」
井上。
「お前だ」
直人。
「俺?」
「そうだ」
「役職足りなくないですか」
「役職で計算するのか?」
「いや」
「でも」
佐伯が言った。
「海外企業に言われただろ」
直人は。
思い出した。
――100の優れた技術を集めても。
――100個の部品ができるだけです。
――誰かが全体を1つの工事にしなければならない。
直人。
「全体を」
井上。
「ああ」
「1つの工事にする」
直人は。
少し黙った。
材料。
海。
構造。
ロボット。
電力。
宇宙。
安全。
どれも。
自分が世界一ではない。
それでも。
それらを。
工事へ変える。
そこなら。
もしかすると。
自分の仕事なのかもしれない。
「……分かりました」
井上。
「軽いな」
「じゃあ重く言います?」
「いらん」
社長が。
机の上に置かれた決裁資料を見る。
そして。
ペンを取った。
◆
決まったのは。
宇宙エレベーター建設ではなかった。
着工でも。
受注でも。
政府事業化でもない。
《軌道エレベーター事業化基礎検討プロジェクト》
東亜建設総合株式会社。
正式社内プロジェクト。
目的。
技術的実現可能性。
事業成立性。
安全性。
材料量産性。
建設方法。
国際制度。
ホスト国との共同検討。
環境影響。
運営制度。
長期的な産業波及。
それらを。
統合的に検証する。
正式予算。
正式担当者。
正式な情報管理。
正式な文書体系。
そして。
正式な管理番号。
会議終了後。
森川が。
1枚の資料を直人へ渡した。
直人は。
何気なく受け取る。
上を見る。
《Project Code》
その下。
**SE-001**
直人の目が。
止まった。
「……何ですか、これ」
森川。
「案件管理番号です」
「何の」
森川は。
直人を見る。
「宇宙エレベーターの」
直人は。
もう1度見る。
SE。
Space Elevator。
001。
「001」
「はい」
「最初?」
「この分類では」
「そうです」
直人は。
しばらく。
何も言わなかった。
井上が横を通る。
「何だ」
「番号」
「ついたな」
「本当に?」
井上。
「番号だけはな」
直人。
「もっと」
「こう」
井上。
「何だ」
「何かありません?」
「何が」
「正式プロジェクトになったんですよ」
井上。
「だから?」
直人。
「……いや」
「分かんないですけど」
井上は。
少し笑った。
「おめでとうって言ってほしいのか」
「別に」
「おめでとう」
「言わせたみたいになった」
「実際言わせた」
直人は。
また。
SE-001を見る。
アルファベット2文字。
数字3桁。
たったそれだけ。
18年。
その重さにしては。
あまりにも。
短かった。
◆
午後。
正式プロジェクト用の共有領域が作られた。
アクセス権限。
機密区分。
担当者。
変更管理。
承認ルート。
文書番号。
直人は。
画面を見ていた。
《基本構想書》
開く。
見慣れた図。
自分が。
何年も。
何度も。
書き直してきたもの。
修正したい場所があった。
マウスを動かす。
クリック。
編集。
できない。
直人。
「……あれ」
もう1回。
できない。
隣の森川が言う。
「どうしました」
「編集できない」
「当然です」
「何で」
「正式文書なので」
直人が森川を見る。
「俺が作ったんですけど」
「知ってます」
「直したいところが」
「変更申請してください」
「変更申請?」
「はい」
「俺が?」
「はい」
直人。
「俺の資料ですよ」
森川は。
一切迷わず答えた。
> 「もう違います」
直人は。
黙った。
森川。
「相馬さん?」
「いや」
「分かってます」
少し間。
「分かってますけど」
画面を見る。
自分が作った図。
自分が書いた言葉。
自分が18年かけて積み上げたもの。
なのに。
もう。
勝手に変えられない。
直人は。
不思議な気持ちだった。
嬉しい。
たぶん。
でも。
少し。
寂しい。
「取られた感じするな」
小さく呟く。
後ろから。
宮前玲奈の声。
「取られたんじゃないわよ」
直人が振り返る。
「宮前さん」
宮前は。
画面を見る。
> 「持ってもらったの」
直人は。
その言葉を聞く。
以前。
沙織にも。
似たことを言われた。
1人で持てないなら。
大勢で持ってもらえばいい。
宮前。
「18年」
「1人で持ってたんでしょう」
直人。
「まあ」
「だったら」
宮前は笑う。
「そろそろ分けなさい」
直人。
「随分持っていかれましたけど」
「30兆円の夢なんだから」
「1人分なんて誤差よ」
「酷い」
宮前は。
自分の席へ戻っていく。
直人は。
もう1度。
画面を見る。
SE-001。
そして。
少しだけ。
笑った。
◆
その夜。
直人が帰宅すると。
結衣が。
リビングで宿題をしていた。
沙織は。
食卓で学校の書類。
いつもの光景。
「ただいま」
「おかえり」
「おかえり」
直人は。
鞄を置く。
沙織。
「月曜から遅いね」
「ごめん」
「何かあった?」
直人は。
ネクタイを緩める。
「今日」
「番号ついた」
沙織が顔を上げる。
「何に?」
「宇宙エレベーター」
沙織。
「……番号?」
結衣も。
宿題から顔を上げた。
「何それ」
直人は。
椅子へ座る。
「会社の案件番号」
「正式に」
「仕事として扱うことになった」
沙織は。
少し黙った。
それから。
「じゃあ」
> 「もう、趣味じゃないんだ」
直人は。
その言葉を聞いた。
趣味。
誰にも頼まれない研究。
大学3年。
20歳。
Ver.1。
Ver.7。
Ver.15。
Ver.28。
Ver.37.4。
18年。
直人。
「……うん」
少し笑う。
> 「仕事になった」
沙織は。
直人を見ていた。
「そっか」
それだけ。
でも。
直人には。
十分だった。
結衣。
「番号何?」
「SE-001」
「001?」
「うん」
「じゃあ最初?」
「そうらしい」
結衣。
「すご」
直人。
「もうちょっと感動ない?」
「001はちょっとすごい」
「ちょっとか」
結衣は。
また宿題へ戻る。
数秒後。
「ねえ」
「何」
「これ完成する時」
「私何歳?」
直人は。
少し驚いた。
「順調なら」
「37歳くらい」
結衣の鉛筆が止まる。
「おばさんじゃん」
沙織。
「結衣」
「何」
「今、37歳の人がここにいる」
結衣が。
ゆっくり母を見る。
「……若いです」
沙織。
「よろしい」
直人は。
笑った。
そして。
少しだけ。
胸が詰まった。
37歳。
今の沙織と。
同じくらい。
あの時。
小さかった娘が。
「最初に乗せて」
と言った。
直人は。
「もちろん」
と答えた。
2050年。
もし。
そこまで。
本当に。
届いたなら。
自分は62歳。
沙織は61歳。
結衣は37歳。
長い。
あまりにも。
長い。
でも。
今日。
その長い時間の。
最初の番号がついた。
◆
深夜。
家族が寝た後。
直人は。
自宅の机に座っていた。
個人用端末。
開く。
フォルダ。
《軌道エレベーター施工計画_Ver.37.4》
画面に。
18年分の。
痕跡。
昔の図。
間違った計算。
今なら使わない施工案。
大学時代のメモ。
橋。
地下。
海。
超高層。
研究。
全部。
直人は。
ファイル名をクリックした。
カーソル。
《軌道エレベーター施工計画_Ver.37.4》
一瞬。
考える。
SE-001。
名前を変えることもできた。
でも。
やめた。
これは。
これでいい。
SE-001ではない。
相馬直人が。
誰にも頼まれず。
18年かけて。
書き続けたもの。
そのまま。
残しておく。
直人は。
ファイルを閉じた。
代わりに。
会社貸与端末を開く。
認証。
VPN。
プロジェクト領域。
そこに。
新しいフォルダ。
**SE-001**
直人は開く。
《基本構想》
《材料》
《構造》
《施工》
《安全》
《Earth Port》
《国際制度》
《事業》
《キリバス共同検討》
フォルダが。
並んでいる。
以前の個人ファイルには。
なかった言葉。
直人は。
新規文書を開く。
文書番号。
SE-001-TI-0001。
件名。
《技術統合基本方針》
白い画面。
カーソルが。
点滅している。
直人は。
入力した。
《目的》
少し考える。
そして。
書く。
《関係国、地域、企業、研究機関その他の関係主体と共同し、安全かつ持続的な軌道輸送インフラの実現可能性を検証する。》
止まる。
キリバス。
ベテロ。
――人類という言葉には、我々も入っていますか?
直人は。
文章を見直した。
そして。
1語。
追加する。
《関係国、地域、企業、研究機関その他の関係主体と共同し、安全かつ持続的で、公平に利用可能な軌道輸送インフラの実現可能性を検証する。》
直人は。
しばらく。
その文章を見る。
完璧ではない。
きっと。
明日には。
誰かが直す。
榊原なら。
制度の言葉を足すだろう。
片桐なら。
安全の定義を聞くだろう。
森川なら。
「公平とは何ですか」と言うかもしれない。
ベテロなら。
「誰にとって?」と聞くだろう。
それでいい。
もう。
自分1人で。
完成させる文書ではない。
直人は。
保存を押した。
画面の上。
**SE-001**
たった。
6文字。
材料は。
まだ。
1mも伸びていない。
Earth Portも。
ない。
テザーも。
ない。
クライマーも。
ない。
条約も。
ない。
建設費も。
集まっていない。
キリバスとの合意も。
ない。
宇宙には。
何一つ。
造られていない。
それでも。
相馬直人が。
18年近く。
誰にも頼まれず。
1人で引き続けてきた線は。
今日。
初めて。
他人の仕事になった。
会社の仕事になった。
研究者の仕事になった。
政府の仕事になり始めた。
そして。
遠い国の人たちと。
一緒に考えるものになった。
直人は。
椅子へ背を預ける。
窓の外。
東京の夜。
宇宙は。
見えない。
静止軌道まで。
35,786km。
そのさらに先。
100,000km近く。
まだ。
途方もなく遠い。
直人は。
少しだけ笑った。
夢というより。
未着工。
昔から。
そう思っていた。
今も。
未着工だ。
だが。
もう。
**未着手ではない。**
【第一部『夢が工事になるまで』 了】
第一部『夢が工事になるまで』は、ここで一区切りです。
始まりは、相馬直人の個人端末に入った1つのファイルでした。
《軌道エレベーター施工計画_Ver.37.4》
そこから。
材料が加わり。
仲間が加わり。
会社が加わり。
政府、金融、海外企業、国際制度、そしてキリバスへと線が伸びていきました。
それでも、宇宙エレベーター建設そのものが決まったわけではありません。
造れるのか。
安全なのか。
事業として成立するのか。
誰が所有し、誰が運営し、誰が止めるのか。
そして、その未来を誰と共有するのか。
答えの出ていない問いは、始まった頃より増えています。
けれど。
「分からないことがある」と知ることもまた、巨大な工事を始めるための前進なのだと思います。
個人の夢には、Ver.37.4という名前がありました。
みんなで持ち始めた夢には。
**SE-001**
という番号が付きました。
未着工。
でも、もう未着手ではありません。
ここから先。
宇宙への道を「考える」物語は。
少しずつ。
宇宙への道を「造る」物語へ変わっていきます。




