↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
都落ちした黒髪メガネは今日も下町娘に振り回されています  作者: 曲尾 仁庵


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/13

現実

「八人!?」


 エルリックは思わず甲高い声を上げる。丸テーブルを挟んで向かいに座るテオは、想定通りと言わんばかりの顔で笑った。


「隊長殿とロズのおっさんを除けば、実質六人だな」

「待ってください。この町には、いったい何人の人間がいる?」


 額に手を当て、目眩に耐えるようにエルリックは視線を落とした。この町の治安を預かる衛士隊の総数が、たったの八人? それはいったい何の冗談だろう。


「だいたい二千人くらいだったかな?」

「それは居住者の数でしょう? 流動人口を含めればもっと多い」


 港町であるヘレシアは海路、陸路を問わず無数の外来者が訪れる。よそ者が来ることのほとんどない農村と違い、素性も定かならぬ者たちが短期間滞在しては去っていく場所だ。文化や事情の異なる人間が一つ所に集まればトラブルが皆無であるはずはない。それをたったの八人で対処するなど不可能だ。


「いったいどうやって今まで対処してきたのですか?」


 まったく想像がつかない、とエルリックは困惑の目をテオに向ける。テオは軽く肩をすくめた。


「対処なんてしてないよ」

「は?」


 当然のように答えたテオをエルリックはまじまじと見つめる。テオはエルリックの反応を楽しんでいるような笑顔を返した。


「対処なんてしていない。俺たち衛士隊は、この町で起きるトラブルの解決にほとんど関与していないのさ」


 エルリックは何度も目を瞬かせる。テオはどこか乾いた瞳でエルリックを見つめ返した。


「からかっていますか?」

「大真面目さ」


 エルリックは再び机に目を落とす。衛士隊が、トラブルの解決に関与しない? 関与しないなら、衛士隊は何をしている? 衛士隊という言葉の意味がこの町と王都で違うのか? テオは混乱するエルリックの肩を優しく叩いた。


「この町の『正義の味方』は俺たちじゃない。俺たちの仕事は、後始末と書類仕事さ」


 捕縛された犯罪者を牢獄に放り込み、書類を整え、法廷の場に送る。衛士の仕事はそれだけなのだとテオは笑う。法的には捜査権、逮捕権を持っていても、それを実行するだけの実力が伴わない。そんなことをしていたらあっという間に破綻する。テオの笑顔はそう語っていた。肩に置かれた手を払い、エルリックは険しい顔でテオを見る。「おっと」と驚いてみせてテオは手を引いた。


「それが事実だとして、では実質的に犯罪を取り締まっているのは誰なのですか?」


 エルリックの問いに、テオは「うーん」と悩ましげな表情を浮かべる。


「厳密に『犯罪を取り締まっている』と言われると、答えは『いない』だな。明確な根拠に基づいて犯罪を取り締まる組織はこの町に存在しない。だが、『町で起きたトラブルを解決している』なら『いる』」


 本当に聞きたいか、とテオの目が問う。エルリックはテオを強くにらみ返した。薄く苦笑いを浮かべ、テオは言葉を続ける。


「この町には何人か、『顔役』と呼ばれる人間がいる。ま、地域や職工のまとめ役だな。何か困りごとがある人間はまずそこに相談に行く。で、対処が必要だと顔役が判断すれば、実行部隊に連絡が行って、捜査やら制裁やらが行われるわけだ。闇の中で、ひっそりとね」

「……法が形骸化している、ということですか」


 エルリックが小さくつぶやく。その声音に含まれた感情を理解したのか、テオが表情を改めた。


「ひとつ、生真面目な隊長殿に忠告だ。何かを変えようだなんて考えは今すぐ捨てたほうがいい。この町は衛士隊に何も期待しちゃいない。今の在り方を変えることを望んじゃいないんだ」


 エルリックの目に冷たい光が掠める。テオは動じることなくその視線を受け止めた。


「前の隊長も真面目な人だった。あんたより堅物で、礼儀にうるさくて、ちょっと苦手だったけどね。法は平等に人々を照らさねばならない。誰かの恣意によって救われる者と救われない者が選別されてはならない。縁もゆかりもない土地からここに来て、誠実に仕事をしようとしてくれていた。だが、負けた。何も変えられずに逃げた。彼には家族がいたからね。自分は耐えられても、家族に危害が及ぶことに耐えられなかったんだろう」


 テオが諭すようにエルリックを見つめる。エルリックが表情を消した。聞き分けの悪い生徒を見るように、テオは首を振って小さく息を吐いた。


「……だったら、これだけは知っておいてくれ。この町の『顔役』を辿ると、必ず一人の男に辿り着く。その男はこの町の発展の基礎を作った立役者であり、今まさにこの町を発展させ続けている英雄だ。その男に逆らえば、消される。領主であるナセルもその男の言葉には逆らえない」


 テオの言葉に切実なものが宿る。


「レベリオ商会会頭、ヴィダ・レベリオ。それがこの町の支配者の名だ」


 薄暗い詰め所の室内に不吉な響きを帯びたテオの声が広がった。




――ちりん


 来店を告げるベルを鳴らして、エルリックは『木登り仔猫亭』を訪れた。時刻はすでに深夜を迎え、客の姿はまばらだ。お盆を胸に抱えたアーシャがエルリックに気付き、ぱたぱたと足音を立てて駆けてくる。


「おにーさん! いらっしゃい」


 もうすぐ日付が変わろうかというのに、アーシャの表情は翳る気配もない。カウンター席に案内され、エルリックは席に座り、眼鏡を外して小さく息を吐いた。


「なんやなんや、お疲れなん?」


 当然のように隣に座り、アーシャがエルリックの顔を覗き込む。少し顔を引いてエルリックは答えた。


「ええ、少し」


 この町の支配者の名を告げた後、テオは「真面目な話をし過ぎて疲れた」と言って席を立った。もう少し話を、と引き止めたエルリックを手で制し、テオは軽薄な笑みを浮かべる。


「しょせん俺たちは『月給官吏』さ。給料以上の仕事はしないよ。今日の俺は早番だから、お仕事はこれでおしまい。過剰な期待はダ・メ・よ♡」


 無駄に艶めいたウインクを残し、テオは振り向くこともなく去っていった。その後は誰も詰め所に戻らず、結局エルリックは独りでロズの残した書類と格闘することになり、気付けば深夜を迎えていた。


「お仕事ごくろうさま。初日から大変ね」


 店長が細長いグラスをエルリックの前に置く。柑橘の爽やかな香りがふわりと広がった。グラスの中でしゅわしゅわと泡が湧いている。


「私からのオゴリ。疲れが取れるわ」


 エルリックは顔を上げ、一瞬ためらいを浮かべる。しかしすぐに柔らかく微笑むと、グラスに手を伸ばした。おそらく遠慮はこの町の美徳ではない。


「……ありがとうございます」


 グラスから心地よい冷たさが伝わる。ひとくち含むと、口の中にかすかな甘みが広がった。おそらく絞った果汁を炭酸水で割ったものだろう。身体が少し軽くなった。


「どやった? 衛士隊は」


 興味津々、といった様子でアーシャが尋ねる。エルリックは少し困ったような笑みで応えた。ああ、と何かを察し、アーシャはなぜか言い訳のように言った。


「でも、悪いひとらやあらへんねんで。ロズのおっちゃんはおもろいひとやし、テオはいい加減でヘラヘラしとって、ナンパしとるとこしかみたことなぁて、でも、ほら、なんといいますか、なぁ?」


 助けを求めるようにアーシャは店長を振り向く。「なぁ、って言われてもねぇ」と店長は困ったように頬に手を当てた。アーシャは腕を組み、真剣な顔でしばらくぶつぶつと何かをつぶやくと、やがて膝に手をついてがっくりとうつむいた。


「……あかん。ええとこいっこも見つからへん」


 消沈したアーシャの姿に、エルリックは申し訳なさそうな表情になる。こうまで住民に期待されていないのか、と実感するのは、着任一日目の新米衛士隊長でも心に刺さるものがあった。アーシャが勢いよく顔を上げる。


「でもでも、頑張ってはんねんで。たまに、たまーに役に立つさかい」

「ええ。分かっています」


 エルリックは安心させるようにうなずいた。アーシャがホッとした表情で息を吐く。


「軽く食べるものをいただけますか?」

「ええ、任せてちょうだい」


 店長が包丁を取り出し、手早く調理を始める。無駄のない手際をぼんやりと見つめながら、エルリックは思考に沈む。

 ロズの用意していた資料は多岐に渡り、全てに目を通せたわけではない。だがほんの幾つかを開いただけでも、衛士隊の抱える問題が根深く容易に解決できないものであることはすぐにわかった。まず、衛士たちの給金が恐ろしく安い。専業では自分一人の生活もままならない水準だ。ということは彼らは副業をしている、あるいは賄賂などの正規の手段でない形での収入によって生活している可能性が高い。そんな状態では、衛士としての職分を全うせよと言ったところで虚しいだけだろう。

 隊士が持つ権限についてもはっきりとしない。政令にも隊規にも明確な記述がなく、最終的には領主の裁定を待たなければ何もできないようになっている。逆に領主が否定しない限り何をしてもよいようにも解釈できるため、隊士は『やってみて領主が怒ったら終わり』という命を賭けたトライアンドエラーに挑まねばならない構造になっている。これでは事なかれ主義を助長することはあっても、適正な法の執行を促すことはない。

 そして、会計処理が極めて不明瞭だ。使途の明らかでない支出が監査もされず承認されている。そもそも予算自体が少ないため誰も気にしていないのだろうが、少なくとも建付けの悪い扉を修理する程度の金額は優に賄えるほどの使途不明金が発生している。


「……ふぅ」


 エルリックは深いため息を吐く。問題は山積しており、簡単に解決できる魔法の杖はない。だが、エルリックは奇妙な違和感を覚えていた。ロズの用意した資料は、驚くほどに読みやすい。要点を簡潔にまとめ、関連資料が分かるよう注釈もある。無造作に積まれているように見えた書類は、上から順に目を通せば新参にも状況が理解できるよう整理されていた。これほど機能的に書類をまとめる能力は王都の高級官吏でもあまり見ない。ロズという男は、第一印象に引きずられると見誤る類の人間だ。おそらくロズは、エルリックが用意された資料から何を読み取り、どう動くのかを確認しようとしている。彼の信頼を得られるかは、これから――


「――おにーさん!」


 不意に呼び掛けられ、エルリックは思考から現実に引き戻される。顔の間近に心配そうなアーシャの顔があった。思わずのけぞって距離を取る。アーシャはカウンターをとんとんと叩いた。


「できたで。はよ食べ」


 カウンターに置かれた皿の上に、ほかほかと湯気を立てるパンが乗っている。パンには中央に切れ目が入れられ、焼いた鶏肉とゆで卵、葉物野菜と刻んだピクルスが挟まれていた。焦げた油のいい匂いが辺りに漂う。エルリックの腹がぐぅと鳴った。


「……いただきます」


 じゃっかん恥ずかしげにつぶやき、エルリックがパンを口に運ぶ。口の中に、どこかホッとするような温かさが広がり、エルリックの表情がほころんだ。


「うまいやろ?」


 アーシャが自慢げに胸を張り、店長がエルリックの様子を目を細めて見守っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。