衛士隊
「ようこそ我がヘレシアへ。王都からの長旅、ご苦労だった」
労いの感情などひとかけらも含まれていない口調で、ヘレシア領主ナセルは薄笑いを浮かべた。着任初日、まずは挨拶のために領主の館を訪れたエルリックだったが、おおよそ歓迎とは程遠い雰囲気は扉をくぐった瞬間から彼に突き刺さってきた。同情、侮蔑、憐憫――種類は違えど負の感情であることに変わりはない。ナセルの前で背を伸ばし、エルリックは無感情に答えた。
「お気遣い、痛み入ります」
ナセルはふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らす。堂々としたエルリックの様子が気に入らないのだろう。
ナセル・グレイホーン男爵。百年ほど前に王都での政争に敗れ、東の端に逃れた没落貴族の現当主。多湿なヘレシアの風土に似つかわしくない王都風の装束に身を包んだ、どこか神経質そうな男だ。痩せた身体に目だけがギラギラとしている。商人からの賄賂や密貿易の噂も絶えない、叩けばいくらでも埃がでそうな、そういう人物。
「君の王都での『活躍』はこちらにも届いている」
含みのある物言いでナセルは粘着質な笑みを浮かべた。
「己の地位も将来も全てを犠牲にした、君の『正義』に敬意を表する。死を賜ってもおかしくない君をこうやって受け入れたのはその証だ」
回りくどい言い方だ、とエルリックは冷ややかにナセルを見つめる。ナセルが言いたいのは、要するに「余計なことはせず大人しくしていろ」ということだろう。自分が受け入れなければお前は居場所を無くしていたのだ、と恩を着せ、いつでも送り返せるぞ、と脅して、いいように操りたいのだ。ナセルは誤解している。エルリックは王都での出来事に後悔を抱えてここに来たのではないし、与えられた公的な立場を失うことを怖れてもいない。命を捨てることを前提に、あの時エルリックは拳を握ったのだ。
「王都とは何もかもが違う、粗野で野蛮な町だ。戸惑うことも多かろうが、己の領分を弁え、職責を果たせ。お前の献身に、私は大いに期待している」
確かな優越を瞳に湛え、ナセルは尊大にエルリックを見下した。エルリックは「はっ」と敬礼を返す。満足そうにうなずき、ナセルは退出を促す。「失礼します」と事務的に応え、エルリックは踵を返した。
館を出て、エルリックは小さく息を吐いた。まとわりつくような悪意と視線が風にさらわれて消える。朝の、動きだして間もない町の様子を、エルリックはしばし眺めた。領主の館は町を一望できる小高い丘の上にある。
ふと、風に混じる花の香りに気付いて、エルリックは館を振り返った。来る者を高圧的に見下ろすような、主の精神を具現化した建物に不似合いな、可憐で品のよい香りだ。周囲を見渡してもそれらしい花は見当たらない。小悪党のような領主と上品な花の香の取り合わせに違和感を覚えながら、エルリックは町に続く道を下りはじめた。
衛士隊詰め所はヘレシアのほぼ中央に建物を構え、町のどこへでも迅速に駆けつけることを旨としている、らしい。その理念は素晴らしいのだが、今、エルリックの目の前にあるそれは、いささか彼の思い描いていた『衛士隊』とは距離があった。詰所の入り口に立ち、エルリックはズレた眼鏡で建物を見つめる。これは少し、いやかなり――
「……狭い」
外から見るだけですでに狭い。建物の幅が、大人が両腕を横に広げたくらいしかない。両脇を三階建ての商店に挟まれ、圧迫感が増している。商店の影にすっぽりと覆われ、にぎやかなヘレシアの空気の中にあってここだけが呪いのように重苦しく沈んでいる。そもそもこの建物にいったい何人が入れるのだろう。仮にもヘレシアの治安を預かる組織だ。その全員がこの建物に入ることができるのか――いや、もしかしたら、ものすごく奥行きがある建物なのだろうか? 全員が一直線に並んで仕事をするような、そういう配置?
「……入ってみれば、分かるか」
ここで建物を眺めていても何も分かりはしない。エルリックは覚悟を決めたように大きく息を吐くと、人差し指で眼鏡を押し上げ、扉を押し開けて詰め所の中に足を踏み入れた。
「いやいやいや、ようこそ、ようこそいらっしゃいました、はい」
手拭いで汗を拭きながら、小太りの、おそらく五十絡みの男がエルリックを出迎える。詰め所は外観を裏切ることのない極小建築で、手前と奥の二部屋しかないようだった。手前の部屋には小さな丸テーブルが一つと椅子が二脚。ここに一般隊士が控え、奥の部屋が幹部用、ということのようだ。詰め所の中に入ったエルリックは手前の部屋にいた若い隊士に身分を告げ、彼が奥に上司を呼びに行き、上司が姿を現して、現在に至る。
「わたくし、衛士隊の副長を務めさせていただいております、ロズと申します。いや、お若いとは聞いておりましたが、これほどとは思っておりませんでした。いや、そのお年で衛士隊長の重責を担われるとは、いや、とても素晴らしいことで、いやはやわたくし感服いたしました、はい」
口を差しはさむ余裕を与えぬ勢いで、ロズと名乗った副長はまくしたてる。ただでさえ狭い部屋の圧迫感が無意味に増す。何かやましいことでもあるのかと勘繰りたくなるように、ロズはしゃべり続けた。
「ささ、奥へどうぞどうぞ。必要な資料の類は一式、用意してございますので、はい」
ロズが奥の部屋の扉のドアノブに手を掛ける。建付けが悪いのか、扉はギギギと擦れる様な音を上げ、何度もつっかえながら開いた。奥の部屋も手前と同じような広さで、少しだけ大きな机とひじ掛けのついた椅子がある。ロズの言葉通り、机には書類が山と積まれていた。エルリックは部屋に入り、机の上の書類を見つめる。下手に触ると崩れてしまいそうな書類は、奇跡のようなバランスで形を保っていた。エルリックが部屋に入ったことを見届け、ロズがぺこりと頭を下げる。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします、はい。いや、実はわたくし、本日は非番でございまして、隊長殿をお迎えするためにこうして朝から控えておったのでございますけども、いかんせんすでに休日の予定はずいぶん前から埋まってございまして、妻がたいそう楽しみにしておりまして、それを朝の一時間だけと説得してこうして参りました次第で、早く戻らねば家庭内での居場所に関わると申しますか、命に関わると申しますか、いずれにせよもはや一刻の猶予もございませんので、またの会う日を楽しみに、ごきげんよう、さようなら」
顔を上げずにロズは背を向ける。「えっ?」とエルリックが振り向いたときにはもう、ロズは姿を消していた。バタンと閉まる詰所の入り口をエルリックは呆然と見つめる。手前の部屋にいた若い隊士が、口に手を当てて忍び笑いを漏らした。
笑う若い隊士を、エルリックは恨みがましい目で見つめる。隊士は視線に気付くと、慌てて立ち上がり、背筋を伸ばして敬礼した。
「失礼しました。隊長殿!」
しかし彼はものの数秒ももたず吹き出す。目尻に涙が浮かんでいる。よほどの笑い上戸か、彼の笑いのツボを突いてしまったのか――エルリックはやるせない表情を浮かべた。栗色の髪をした、おそらく二十代半ばの、美形と言っていい整った顔立ちの男だが、爆笑する姿は美しさよりも愛嬌が勝る。憎めないような、腹立たしいような、不思議な雰囲気を持っている。
「あなたは?」
笑いが収まるのを待ち、エルリックは隊士に問う。隊士は再び敬礼し、
「テオドールと申します、隊長殿!」
と声を張り上げる。エルリックはじっとテオドールと名乗った若者を見つめ、短く言った。
「小芝居は結構」
「あ、バレた?」
ふにゃ、と表情を崩し、テオドールは襟元を緩めると、どこか期待するような目でエルリックを見た。
「敬語、いる?」
「いえ。あなたのほうが年上のようですし」
胸に手を当て、テオドールは大げさに息を吐く。いちいち仕草が芝居じみて、言動が軽薄に見える。それが意図したものなのか、本来の姿なのかは判別しがたい。
「いやぁ、堅苦しいのは苦手でさ。礼儀にうるさい奴が来たらどうしようって心配だったんだけど」
人懐こい笑みを浮かべ、テオドールは右手を差し出した。
「話が分かる上司でよかったよ」
エルリックはじっとテオドールの顔を見つめ、ゆっくりと手を取る。テオドールは思いがけぬ強い力でエルリックの手を握り、ぶんぶんと縦に振った。
「俺のことはテオを呼んでくれ。これからよろしく頼むよ、隊長殿」




