人形繰り
クレリアは道化のような格好の人形に支柱を通して立たせると、自らは椅子に座り、道化の背から伸びる糸を左右の足の親指に嵌めた銀のリングにつないだ。トランクに入っていた黒子のヴェールを被り、椅子から立ち上がると、残りの二体――銀の鎧の騎士の人形に繋がる操り糸は右手の五指に、黒い鱗を持つ竜の操り糸は左の五指につないで、引っ張って糸の調子を確かめる。だらんと腕を下げていた騎士人形が、まるで意志を持ったかのように剣に手を掛け、黒竜がゆっくりと首をもたげた。
「な、なんや、すごいな。急に生きとるみたいなった」
アーシャが目を丸くし、店長が「ほう」と息を吐く。マーガレットは技を見極めるように人形とクレリアを見つめた。エルリックはハッと声を上げる。
「もしや、『ノーザランの移動人形劇団』ですか?」
「本当によくご存じですね。おっしゃる通りです」
「なになに? なにそれ?」
アーシャが前のめりにエルリックに尋ねる。それは、と解説しかけたエルリックを遮り、クレリアはよく通る声で語り始めた。
『さあさ、今宵道化が皆様に語りまするは、正義の騎士と邪悪な竜の戦いの物語。お姫様への愛を胸に剣を掲げる銀の騎士は、国を脅かす黒竜を見事討ち果たすことができるでしょうか? 皆様どうかその結末まで、片時も目を離されませぬようお願い申し上げます』
道化人形がまるで自身がしゃべっているかのように口を開き、手足を動かし、芝居めいたお辞儀をする。クレリアの足に繋がる糸が生き物のように動いた。
『時は今より遥か昔のこと、遠く離れた異国の地に、一人の騎士がいた。武勇に優れ忠義に厚く、清廉な人柄で人望を集める銀の騎士。彼は国の柱石として励み、能く王を支えていた』
道化の右手が騎士を指すと同時に、騎士の銀の鎧がぼうと光る。アーシャが思わず「え、なんで? どうなってん?」と声を上げる。エルリックに「シーッ」とたしなめられ、アーシャは慌てて自分の口を両手でふさいだ。
『我こそは銀の騎士! この剣で王国に永遠の繁栄と安寧をもたらさん!』
騎士は腰の剣を抜き、天高く掲げる。関節が擦れる硬質な音が聞こえる。少しの間を取って鎧の光が消え、代わりに黒龍が暗紫色の光を放った。
『ある日、昏く深い地の底から闇色の鱗を持つ邪竜が現れ、人々を脅かし始めた。邪竜は毒と呪いの吐息で麦を枯れさせ、水を腐らせ、人を喰らって幾つもの町を滅ぼした』
邪竜はルビーのような紅い瞳を妖しく光らせ、右の前足でドン、と床を叩く。
『安寧に肥え太った愚かな人間どもよ! 我が物顔で地に蔓延る傲慢を砕き、貴様らがただ贄に過ぎぬことを教えてやろう!』
アーシャが「おお」と気圧されたようにうなる。再び騎士の銀の鎧が光を帯び、騎士は剣の切っ先を邪竜に向けた。
『闇より生まれし邪なる竜よ! これ以上、我が王国の民を苦しめることは私が許さぬ! 我が正義の刃を受け、滅びよ!』
アーシャが「おお!」と拳を握った。邪竜は口をカタカタと鳴らして笑う。
『一介の騎士風情に何ができよう! 返り討ちにしてくれるわ!』
騎士は剣を振りかぶり、邪竜に斬りかかった。剣は光跡を描き、邪竜は剣を左の爪で弾く。カチンと硬質な金属音が響く。騎士は右下から左上に剣を斬り上げた。邪竜は右の爪で受け止める。白と暗紫色の光が交錯する。
『どうした。正義の刃とやらはそんなものか!』
『いいや、まだまだ!』
アーシャがわずかに身を乗り出し、戦いの行方を凝視する。騎士はくるりと右に一回転して横薙ぎの斬撃を放った。邪竜の腹に刃が当たり、カチンと音を立てる。邪竜は苦し気にうめき、長く棘のついた尾を突き出した。左手で剣身を支え、騎士は尾の一撃を受け止める。邪竜はカカカと笑い声を上げた。
『人間にしてはやるではないか! だが、貴様では我に勝てぬ。なぜか分かるか?』
『戯言に付き合うつもりはない!』
騎士はまっすぐに剣を突き出す。邪竜は両の前足でそれを受け止める。乾いた音。邪竜は首を伸ばし、騎士の耳元で囁く。
『お前は、独りだからよ』
騎士の動きが止まった。邪竜は優しく語り掛ける。
『国の大事に立ち向かうのがお前独りなのはなぜだ? 民の嘆きを背負うのがお前独りなのはなぜだ? なぜお前の背を守る者がただの一人もおらぬのだ? それはな、本当は誰もが、国のことなどどうでもよいからよ。他人のことなどどうでもよいからよ』
『黙れ!』
騎士が再び剣を振るう。その斬撃は邪竜の爪一本で簡単に受け止められた。邪竜はなおも諭すように言葉を続ける。
『皆、己の身の可愛さに他人を見捨てる。それが人間よ。憐れよな。お前のような英雄は、何も為さぬ怠惰な民衆に使い潰されて果てるのだ。そして忘れられる。明日には誰もお前を覚えておらぬ』
『黙れっ!』
騎士は強く踏み込み鋭い突きを放った。邪竜は右の爪を上から叩きつけ、剣が騎士の手から零れ落ちる。邪竜はあぎとを大きく開いた。
『我がお前を解き放ってやろう。正義から、道徳から、忠義から義務から。お前を捕らえる全ての桎梏を解き放ち、お前の欲するところを為すがいい!』
道化が邪竜を指さし、緊迫した声音で叫ぶ。
『邪竜の体内に満ちた毒と呪いが、吐息となって騎士を襲った!』
ふしゅ―という空気音と共に邪竜の口から紫煙が吹き出し、騎士は苦悶の声を上げて煙に包まれる。アーシャが「ああ!?」と声を上げ、隣にいるエルリックの腕を強く掴んだ。クレリアの右手が動き、騎士は全身から力が抜けたように手足をだらりと下げた。各関節も離れ、繋ぐ糸が見える。そして次の瞬間、
――カタカタカタカタ
騎士の鎧が小さな板状のパーツに分かれ、乾いた音を立てて裏返る。クレリアが糸を引くと、清廉な銀の騎士は漆黒の鎧に身を包んだ悪魔の騎士に変わっていた。クレリアの口から小さく吐息が漏れる。騎士は両手で頭を掴み、苦悶の叫びを上げた。邪竜の嘲笑が響く。
『行くがいい。お前を生贄に安寧を貪る愚者どもを、この世から一掃せよ!』
騎士から不意に苦悶が消える。騎士は緩慢な動作で手を降ろし、自らの両手を見つめた。騎士は小さくうなずくと、ゆっくりと膝を突き、落ちた剣を拾う。立ち上がった騎士の目が紅玉の怪しい光を帯びた。
『何という悲劇! 正義の騎士は邪竜の虚言に惑い正道を失った。悪魔となった騎士は、その剣を人々に向けるのか? 騎士を救う者は果たして現れるのか? 王国の未来や如何に!? 続きが大いに気になるところではございますが、口惜しくもお時間が来たようでございます。騎士に待ち受ける運命の結末、見たいとお思いになりますれば、次回の公演も是非、ご来場くださいませ。それでは皆様ごきげんよう、さようなら』
道化が口上を終えて大仰にお辞儀し、クレリアが大きく息を吐く。アーシャがよろけるように一歩前に出て叫んだ。
「えぇ!? これで終わり!?」
クレリアは申し訳なさそうにうなずいた。
「ごめんなさい。ここまでしかできないんです」
「そんなぁ」
アーシャががっくりと肩を落とす。エルリックはああ、と声を上げた。
「人形が足らないのですね」
クレリアが「はい」とうなずく。
「お姫様の人形がないと、この先は演じられないのです」
クレリアは操り糸を緩める。今まで命ある者のように動いていた騎士と邪竜が、カシャンと乾いた音を立てて床に散らばった。アーシャは「くぅ」と口惜しそうに唇を噛むと、切り替えるように表情を明るくした。
「でも、凄かったわ! お人形さんが生きてるみたいに動いて、魔法みたいやった!」
興奮気味のアーシャの言葉に驚いたように目を見張り、クレリアはすぐに微笑みを浮かべた。
「ありがとう、アーシャさん。でも、これは魔法でも何でもないの。ノーザランの人形繰りたちが何百年もかけて培ってきた工夫と研鑽の結果なのよ」
両手両足を使って三体の人形を操る技は、少ない人数でも壮大な物語を演じるため。人形が裏返って別の姿になるのも、人形の数を抑えながらたくさんのキャラクターを登場させるため。長い歴史の中で、名も残らない誰かが、血の滲むような創意と工夫の果てに生み出した技が今に繋がっている。人形を手繰り寄せ、手でそっと触れながらクレリアはそう言った。
「語り部も人形なのねぇ。人形劇は幾つか見たことがあるけど、語り部役の人形って初めて見た気がするわ」
店長のつぶやきに、クレリアは嬉しそうに答える。
「語り部人形はノーザランの人形劇の特徴の一つなんです。ノーザランの人形劇では、見ただけでは伝わりづらい場面で『説明』が入ることがあります。さっきのお話なら、邪竜が毒と呪いの吐息を騎士に浴びせる場面ですね。でも操者が、あるいは別の人間がそれをすると、観劇する皆さんの没入感を削いでしまう。人形以外の存在を観客に意識させない――語り部人形は『説明』を人形劇の枠内に閉じ込めるための工夫なんです」
そ、そうなの、と、店長はクレリアの熱に気圧されたようにうなずいた。人形劇のことを語るクレリアは誇りに満ちて堂々としている。リリがアーシャの袖を引っ張り、自慢げに胸を張った。アーシャはしゃがんでリリの頭を撫でる。
「リリのお母ちゃんは凄いなぁ」
リリはむふーっと息を吐く。マーガレットは冷静な表情で言った。
「それが貴女の『一番』なのね?」
クレリアはハッと息を飲み、目を伏せる。
「……人形繰りは、好きです。でも、仕事にするつもりはありません」
「なんで!? こんなに凄いのに!」
身を乗り出して叫ぶアーシャに、クレリアは小さく首を横に振った。
「私の両親は夫婦で移動劇団をしていて、私は幼いころから人形繰りを学んできました。でも、十六で結婚して人形劇からは遠ざかりました。今の私は人形繰りとして、両親にも、十六の時の自分にも及びません。お金を頂いて演じるわけにはいかないのです。そんなことをしたら、ヘレシアの皆さんに『ノーザランの人形劇はこんなものだ』と思われてしまう」
クレリアは胸に手を当て、挑むようにアーシャを見つめた。
「ノーザランの人形劇は、もっと凄い」
演者としてのまっすぐな矜持に、アーシャは感嘆のため息を吐く。クレリアは皆に向かって深く頭を下げた。
「私のために時間を割いてくださって、心から感謝します。けれど、人形劇を仕事にはできない。本当に、申し訳ありません」
リリが寂しそうに目を伏せる。はっきりとした拒絶にアーシャは口を閉ざした。「無理強いすることじゃないしねぇ」と店長がつぶやく。マーガレットは厳しい顔でクレリアを見つめ、
「……もったいないわね」
小さな声でそうつぶやいた。




