作戦
「……振り出しに戻ってしまいましたね」
気まずい沈黙に包まれた室内でエルリックがぽつりとつぶやく。クレリアが所在なさげに身を縮める。アーシャは難しい顔で腕を組んだ。リリがアーシャの服を掴む。店長はマーガレットに顔を向けた。
「私の知り合いに当たってもいいんだけど……マーガレットさんはどう?」
マーガレットは小さく息を吐き、しぶしぶといった様子で口を開いた。
「あなたの紹介じゃ、狼の群れに子羊を放り込むことになりかねないでしょう。わかった。私のほうで探してみるわ。少し時間を頂戴」
「あ、ありがとうございます!」
クレリアが勢いよく頭を下げる。マーガレットは軽く手を上げて応えた。店長がホッとしたように厳つい顔に笑みを浮かべる。アーシャは納得しない表情だったが、何も言うことはなかった。
「そろそろ部屋が空いているころね。案内するわ。いいかしら?」
「は、はい。ありがとうございます」
マーガレットは表情を柔らかくする。クレリアは急いで人形を片付け、トランクを締めた。カシャンと乾いた音が響き、リリがしゅんとクレリアを見上げる。クレリアはリリの頭を撫で、手を繋いだ。
「行きましょう」
マーガレットは踵を返し、颯爽と入り口に向かう。クレリアはアーシャたちに頭を下げると、リリを連れてマーガレットの後を追った。
「……女神と天使が行ってしもた」
クレリアたちの姿が見えなくなるのを見計らったように、椅子に腰を落としてアーシャが言った。店長が神妙な顔でうなずく。
「そして、マーガレットさんのアパートから知らない誰かが追い出されたのね」
「諸行無常やな」
「色即是空ね」
意味の通らぬ言葉で通じ合っている二人に苦笑いし、エルリックは言った。
「クレリアさんたちのことはマーガレットさんにお任せしましょう。我々は、手が必要な時に言ってもらえれば」
そうね、と店長がうなずく。アーシャは表情を険しくして言った。
「いーや、ウチはまだ納得してへん。あんな凄い技があるのに埋もれさせんのはあかん! なにより、ウチはあのお話の続きが見たい!」
なぜかアーシャににらまれ、エルリックは頭を掻いて店長を見る。店長は軽く肩をすくめた。アーシャは拳を握って吠える。
「あんなええトコでおしまいやなんて生殺しやん? 騎士はどうなんの? お姫様どう絡むん? あのお話どうやって終わんの? あー、続きが見たい見たい見たいっ!」
駄々をこねるようにアーシャは足をバタバタとさせた。店長は少し考える仕草をして、口を開く。
「……クッキー食べる?」
「食べるっ!」
ちょっと待ってね、と言って店長は奥の部屋に向かった。エルリックはハッと店長の背を見つめる。逃げられた――気付いたと同時に、アーシャの人差し指がエルリックにずびしと突きつけられた。
「おにーさん、ノーザランの人形劇に詳しいみたいやん? どうにかして」
「ど、どうにか?」
具体性の無い要求にエルリックは答えに詰まる。アーシャは大きくうなずいた。
「人形劇やっとったクレリアさんはキラキラしとったし、リリもめっちゃうれしそうやった。二人から人形劇をとったらあかん。せやから、どうにか続きを見させてもらう方法を考えてほしい」
二人のためなのか自分のためなのか、動機が混線しているアーシャの言葉の理解をいったん脇に置き、エルリックは右手で眼鏡に触れる。
「……まず、問題点を整理しましょう。問題は大きく二つあります。物理的な問題と精神的な問題です」
ほう? とアーシャは感心したように息を漏らした。エルリックは自らの視界を遮るように手を広げる。
「物理的な問題は、物と人、です。アーシャさんはノーザランの人形劇についてどの程度ご存じですか?」
「なーんも知らん。今日初めて見たし」
どこか自信に満ちたアーシャの断言を聞き、エルリックは小さくうなずいた。
「ノーザランの人形劇の最小構成単位は二人六体と言われています。クレリアさんが持っているのは三体の人形ですから、脚本通りに演じようと思えば操者がもう一人、人形が三体足りない、ということになります」
「半分足らんやん」
アーシャが「えーっ」と顔をしかめる。エルリックは「そうですね」と受け流し、言葉を続けた。
「精神的な問題は、クレリアさんが自分の技術に対して『観客に見せる水準にない』と思っていることです。私もノーザランの人形劇について表面的な知識はありますが観劇の経験はほとんどありません。彼女の自己評価が正当なのか不当なのか、判断することは私にはできません」
「不当です! だってあんなに凄いねんで!?」
アーシャは身を乗り出し、右手を挙げて主張する。軽く目を見開き、エルリックはふっと口元を緩めた。
「……そうですね。でも、それをクレリアさんに伝えるのは難しい」
うっ、とうめき、アーシャは挙げた手をおずおずと下げた。エルリックは表情を改める。
「私たちはすでにクレリアさんに好意的です。私たちがどれほど『凄い』と伝えても、彼女はそれを鵜呑みにはしないでしょう。代金を支払って純粋に人形劇を見に来た客の厳しい目で評価されなければ、彼女の自信にはつながらない」
「でもでも、そしたら堂々巡りやん。技術がないからお金取られへん、でもお金取らんと評価されても信用でけへん。そやったら一生自信つかへん」
どうしたら、とアーシャの揺れる目がエルリックを見る。ふむ、と腕を組み、エルリックは小さくつぶやいた。
「遊び、ましょうか」
「遊び?」
アーシャが不可解そうに眉を寄せる。エルリックはうなずきを返した。
「仕事としてでなく、まずは素人遊びに付き合ってもらう形で巻き込んでみるんです。例えば、そうですね。アーシャさんが近所の子供たちに人形劇を見せることになったから手伝って、というのはどうでしょう?」
アーシャは小さく首を傾げる。
「それで自信になるん?」
エルリックは小さく首を横に振った。
「一足飛びの解決はありません。まずは一歩、人形劇にクレリアさんを近づけることを優先しましょう」
それに、とエルリックは表情に自信を滲ませる。
「クレリアさんの操演は観客の心を動かすに充分です。劇の終わりの子供たちの表情はきっと、彼女によい変化を与えると思います」
なるほど、とうなずき、アーシャは気合の声を上げた。
「よっしゃ、それでいこ! じゃあ、あとは物と人やな」
「人の問題は解決していますよ」
叫びに答えたエルリックの言葉に、アーシャはきょとんとした目を向ける。
「え、そうなん? いつの間に?」
エルリックは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「『アーシャさんが近所の子供たちに人形劇を見せることになった』という建前ですよ?」
うん? とアーシャは首を傾げる。エルリックはアーシャを見つめた。アーシャの顔が徐々に青ざめていく。
「うち!?」
「はい」
目を丸くするアーシャにエルリックは朗らかに笑い掛ける。口を開きかけたアーシャを制するようにエルリックは言った。
「できないとは、言いませんよね?」
ぐぬぬ、と言葉に詰まり、アーシャは絞り出すように言った。
「……一人で三体の人形使うとか、無理、です」
「クレリアさんと同じことをする必要はありませんよ。むしろされたら困る」
エルリックの反応に、アーシャは拍子抜けしたように目を見開いた。意地悪な表情を収め、エルリックが真剣な表情に戻る。
「一人で三体の人形を扱えないなら、三人で三体を操ればいい。目的は人形劇を成立させること。子供たちを喜ばせて、その姿をクレリアさんに見せることです。素人の操演は未熟でいい。知り合いの子供たちなら、アーシャさんの失敗も笑ってくれるでしょう」
アーシャは考えるように視線を床に落とした。
「……それなら、何とかなる気がする」
言い聞かせるようにつぶやくアーシャに、エルリックは少し声の調子を柔らかくした。
「あくまで最初の一歩です。うまくいかない確率のほうが高い。それでも、何もしないよりずっといい。そうでしょう?」
アーシャはうなずき、顔を上げる。
「せやな。よっしゃ、やったんで!」
アーシャは真剣な表情で拳を握った。エルリックは表情をほころばせる。
「人形については私のほうで当たってみましょう。ヘレシアにはノーザランからの船も行き来しています。ノーザランの人形劇で使われる人形は美術品としての価値もありますから、交易品の中にあるかもしれません」
アーシャはぱちんと手を打ち鳴らした。
「それじゃ、うちは店長らに話通して、場所やらの手配するわ。人形が見つかったら教えてな。日程決めて、練習もせなあかんさかい、クレリアさんと相談するわ。おにーさんもちゃんと練習参加してな。すっぽかしたらあかんで」
「は?」
エルリックが甲高い声を上げる。アーシャは不思議そうに言った。
「なに? 変な声出して」
エルリックは戸惑ったような目でアーシャを見る。
「いえ、私は……」
アーシャは半眼でエルリックをにらむ。
「……もしかして、自分はイチ抜けた、思てた?」
「それは……」
エルリックはサッとアーシャから視線を逸らせた。アーシャは立ち上がり、エルリックに詰め寄る。
「一人で人形一体なら、三体やったら三人いるわなぁ」
「そ、そうですね」
アーシャはぐっとエルリックに顔を近づける。エルリックはほぼ真横に顔を向けた。アーシャはガシッとエルリックの腕を掴み、
「逃・が・さ・へ・ん・で」
凄絶な笑みを浮かべる。エルリックは消え入りそうなか細い声で
「……はい」
と答えた。




