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都落ちした黒髪メガネは今日も下町娘に振り回されています  作者: 曲尾 仁庵


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巡礼者

 昨日と変わらず薄暗い詰め所に昨日とは違う気配を感じ、エルリックはゆっくりと扉を開けた。軋む扉に振り向いた見知らぬ二人組がエルリックを驚いたような顔で見る。一人はひょろりと背の高い堅物そうな男。もう一人は大柄の――有体に言えば太った――男だった。二人はハッと何かに気付いたように背を伸ばすと、敬礼してエルリックを出迎えた。


「隊長殿でありますか? 自分は、キースと申します」

「昨日はご挨拶できず失礼しました。私はレスターです」


 キースと名乗った大柄な男はニカッと人懐こそうな笑みを浮かべ、堅物そうなレスターは無表情に直立している。二人ともおそらくは三十前後、テオドールより少し年上といったところだろう。エルリックは詰め所の中に入ると、後ろ手に扉を閉め、二人に敬礼を返した。


「昨日付でヘレシアの衛士隊長を拝命したエルリックです。まだこの町に不慣れなことも多い。どうか力を貸していただきたい」


 レスターは意外そうに軽く目を見張る。キースは嬉しそうに声を上げた。


「お任せください! 自分たちはこの町の生まれ。王都風の高級料理店から知る人ぞ知る穴場の名店まで、どんなところでもご案内いたしますよ!」


 敬礼の手を降ろし、何となく違和感のあるキースの言葉にエルリックは眉を寄せる。レスターが補うように口を挟んだ。


「こいつは主に飲食街を巡回しているんです」


 ああ、とエルリックはうなずく。担当地区のことなら詳しく説明できる、というような意味なのだろう。にこにこと笑みを浮かべ、キースはがしっとエルリックの手をとった。


「それじゃ、行きましょう!」

「え?」


 キースは腹に力を入れて引っ込め、つま先立ちになってエルリックの横に回り込むと、「ちょっとすみません」と言いながら詰所の扉を開ける。たった今閉じた夏の湿った空気が詰め所内に吹き込んできた。キースは手を離さず、エルリックは半回転して外の景色と向き合う。


「いや、私はこれから書類を――」

「何をおっしゃいます。食とは文化。この町の食を知らずしてこの町を語るなかれ、ですよ!」


 手を引っ張られ、前につんのめりながらエルリックはレスターを振り返る。レスターはにこやかに手を振り、


「いってらっしゃいませ」


と二人を見送る。戸惑うエルリックを強引に連れ出し、キースはなぜか胸を張った。


「必ず『うまい』と言わせてみせますよ! 期待してください、隊長殿!」


――この人は、ただ昼飯が食べたいだけなのでは――


 そこはかとない不安を胸に、エルリックは意気揚々と歩き出すキースの背を追った。




 港町ヘレシアはこの十年ほどで徐々に発展し、今なお膨張し続けている若い町だ。それ以前は近海の町との取引しかない、主要産業が漁業のどこにでもある地方港でしかなかった。自分が子供のころの景色とはずいぶん変わったのだと、キースは石畳を歩きながら言った。


「町の再開発だと言って、強引に家を立ち退かせたりね。当時はいろいろありましたが、今となっちゃ大抵の人間は感謝してますよ。ヴィダ・レベリオというひとにね」


 キースは目を細めて街並みを見つめる。石畳で舗装された広い道も、港と町を隔てる石壁も、港にほど近い場所に集められた商館も、古い街並みを更地にした上に築かれたものだ。ヴィダ・レベリオという一人の商人が、強引な手段を用いてもそれを成し遂げたからこそ、ヘレシアの今の姿がある。


「ここも再開発でできた区画の一つ。異邦人たちを迎えるゆりかご。宿に食堂、賭場、娼館が集まる繁華街です」


 キースが街区の入り口を指し示す。その表情から人懐こさが消えた。鮮やかな原色で彩色された木製の門がエルリックを出迎える。


「外からの客は大半がここで過ごします。必要なものがここに揃ってますからね。この町にあって、ここはちょっとした異界ですよ」


 門の向こうからかすかに聞こえる声に、異国の言葉の響きが混じっている。キースは再び笑顔に戻ると、


「行きましょう。余所では見ないような珍しい料理もたくさんあるんですよ!」


 そう言って街区の門をくぐった。




 街区の道は大人が両手を広げた状態で十人が並べるほどに広く、各区画は格子状に区切られている。沿道には木が植えられ、火災の際に防火帯として機能することを期待されていた、らしい。建築様式は王都風に統一され、ヘレシアにおけるこの場所の異質さの演出に一役買っていた、のだという。路地の奥にも日差しの射し込む、整然とした美しい街並み――だったのだろう、おそらく、この街区が誕生したときは。


「ここの住人は、まあ、その、自由人でして」


 キースが苦笑いと共に周囲を見渡す。広い幅があるはずの道は誰かが勝手に置いた荷物や勝手に増築された部屋や勝手に開いた露店に占拠され、本来の幅の半分もない。沿道の木はとうに切られ、おそらくは違法増築の建材に生まれ変わったのだろう。増築部分はヘレシア風を始めとして様々な――おそらくは増築者に馴染みのある――建築様式が個々に採用され、もはや景観に統一性はない。格子状に走っていたはずの街区の道は住民が放り出した荷物でしばしば塞がれている。道を塞ぐ荷物は日ごとに代わり、昨日通ることができていた道が今日は通れない、ということが普通に起こるのだと、キースは言った。


「良くも悪くも、得体のしれない熱みたいなもんが、ここにはあるってことですよ」


 通りを行き交う異邦人の懐を狙って露天商が大げさな褒め言葉を並べ立て、宿の客引きが袖を掴んで強引に建物に引きずり込む。言葉の通じぬ者同士が身振りと勢いで値切り交渉をしている。まだ昼だというのに、この街区のあちこちに日差しの届かぬ場所がある。安物の香水と香辛料の匂いが混ざった空気を吸い込み、エルリックは迷いなく進むキースにはぐれぬよう少し足を速めた。




「ここです!」


 心なしか声を弾ませ、キースは一軒の食堂の前で立ち止まった。こぢんまりとした佇まいのその店の入り口には、シンプルに皿とグラスが象られた鉄のオーナメントがぶら下がっている。店の中から肉の焼けるうまそうな匂いがして、エルリックは唾を飲んだ。キースは待ちきれないというように引き戸を開けて中に入る。


「いらっしゃい。……おや、キースの旦那」


 カウンターの奥で手を動かしながら、店主はキースに顔を向けた。キースはにこやかに店主に手を振る。


「どもどもー。お、今日は席空いてる。ツイてますよ、隊長殿!」


 店内はカウンター席が六席とテーブル席が二つ。テーブル席は一つが埋まり、カウンターには三人の客が座っている。キースは一直線にカウンターに向かい、店主の正面に座った。おそらく六十前後であろう店主は、目尻のシワを深くしてキースを見る。


「お連れさんとは珍しい。ご親戚で?」

「いやいや、上司。ほら、ずっと空席だったでしょ?」


 ああ、とうなずき、店主はエルリックに目を向けた。


「あなたが新しい隊長さんですか。こりゃずいぶんとお若い――おっと、失礼でしたかね? どうぞお許しを」


 首を横に振り、エルリックはキースの隣に座る。キースは期待に溢れた表情で言った。


「隊長殿は昨日着任したばかりだ。つまり、この町の食を知らない。だからここに連れてきた。隊長殿にヘレシア料理の何たるかを教えてあげてほしい」

「そりゃ、責任重大ですな」


 冗談めかして笑い、店主は柔和な表情でエルリックに尋ねる。


「苦手なものはおありですか?」


 何でも食べます、とエルリックは答えた。店主は嬉しそうに笑うと、腕を組んで思案を始める。腕を組んで「肉か、魚か」と真剣に悩む店主の姿に、エルリックは小さく笑った。料理をすることそのものが好きなのだということが伝わってくる。


――ガラガラガラ


 店の扉が開き、エルリックとキースは同時に振り返った。フードを目深に被り、真っ白な装束に身を包んだ三人の男女――体格と歩き方から恐らく男性二人、女性一人――が店内に入ってくる。店主が思考を中断し、顔を上げた。


「いらっしゃい。そちらのテーブル席にどうぞ」


 小さく頭を下げ、三人は無言でテーブル席に座る。その胸元には手のひらほどの大きさの、鈍色に光るメダリオンがあった。


「――北方教会」


 カウンターに向き直り、エルリックはつぶやくように言った。キースは小さくうなずきを返す。


「巡礼者のようですね」


 真白の装束に鉄のメダリオンといういでたちは北方教会信徒が巡礼の際に身にまとう定番の姿だ。およそ二百年前、中央教会の腐敗を糾弾した一人の司祭が王都を追われ、東の果ての港から北方へと逃れてノーザランに辿り着いた。レダンという名のその男が説いた『神の御言葉に帰れ』という言葉は北の地に根付き、やがて『北方教会』と呼ばれる一大会派を形成した。北方教会の信徒はその生涯において、一度は必ず聖者レダンの受難行――王都からノーザランの北方教会大聖堂までの苦難の道のり――を巡る義務を負う。そしてヘレシアはレダンを北の地に送り出した港であるとされていた。

 キースはふむ、と腕を組んでうなる。北方教会の信徒は清貧を旨とし、厳格な戒律を守る人々であり、治安上の問題を起こすことはほとんどない。ただ同時に、戒律に反するものに対しては容赦なく、北方教会の歴史は常に血の臭いをまとっていた。特に魔法に対する嫌悪はすさまじく、ノーザランでは未だに『魔女狩り』が行われているという。レダンが中央教会を追放された理由は腐敗を追及したからではなく、行き過ぎた魔女狩りを主導したことにあるとする学説もあるほどだ。エルリックが王都にいたときには、北方教会の巡礼者は行動監視の対象だった。キースも衛士隊として巡礼者に警戒感を持っているのだろう。


「……うん、やっぱりそうしよう!」


 何かを決意したようにキースは真剣な表情で立ち上がった。椅子の足が床に擦れて耳障りな音を立てる。まさか巡礼者に何か仕掛けるつもりかと、エルリックはキースの横顔を見上げる。キースはカウンターに両手を突いて身を乗り出し、店主に言った。


「おっちゃん、厨房貸して!」

「は?」


 エルリックが思わず甲高い声を上げる。キースはその声に構わず、興奮を抑えられぬようにまくしたてた。


「前からずっとノーザランの料理を作りたいと思ってたんだ。これはもう運命だよね。神様が作れと言っているに違いない。この情熱が冷めないうちに一刻も早く作らないと!」

「あなたが作るんですか!?」


 自分の予想とかけ離れたキースの情熱を感じ取り、目を丸くしてエルリックは言った。店主はやや呆れたように「どうぞ」とうなずく。どうやらこれが初めてというわけではなさそうだ。腕をまくり、キースは使命感さえ滲ませた顔でカウンターの内側に入る。


「ノーザランの代表的な食材はヘラジカだけど」

「さすがに仕入れてないねぇ」

「鹿肉で代用するか。まずは作ってみないとね。燃えてきたぞ!」


 目をキラキラとさせてキースは包丁を握る。その姿は完全に若き料理人のそれだった。キースは衛士隊として北方教会の巡礼者を警戒したのではなく、料理人として彼らの郷土料理に思いを馳せていたのだ。


――ヘレシア料理の何たるかを教えてくれるんじゃなかったのか?


 嬉々とした表情のキースを見つめ、エルリックはそんなどうでもいい言葉を飲み込んだ。


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