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都落ちした黒髪メガネは今日も下町娘に振り回されています  作者: 曲尾 仁庵


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12/13

今日から

「……ごちそうさまでした。本当に、美味しかった」


 シチューの皿を空にして、クレリアは店長に頭を下げる。泣き腫らした顔は幾分、こわばりが取れたように見える。「よかった」と店長は目を細めた。リリがスプーンを力強く天に掲げる。どうやらシチューはリリの合格点をもらえたらしい。アーシャが吹きだすように笑った。


「これからの当てはあるの?」


 店長の言葉にクレリアは首を横に振る。


「……ヘレシアは景気がいいと聞いて、働き口もあるだろうと」


 アーシャは腕を組み、思案げに視線を上げる。


「ほな、まず家やな」

「そうね。住むところがないと始まらないわね」


 アーシャと店長が互いに顔を見合わせる。クレリアは小さく首を傾げた。リリがアーシャの袖を引っ張る。アーシャは「よっ」とリリを抱えて膝に乗せた。リリは満足げにうなずく。収まりがいいらしい。


「店長、ええとこ知らん?」

「若い女の子に紹介できるところはねぇ。マーガレットさんに相談してみましょうか」

「せやな。婆ちゃんやったらどうにかしてくれるやろ」


 なー、と言ってアーシャはリリの顔を覗き込む。当然だ、というようにリリはうなずいた。アーシャが笑い、店長が吹きだす。クレリアは戸惑いを顔に浮かべた。


「あの……」

「あとは働くとこやな」

「そうね。家と働き口があれば当面なんとかなるわよね」


 クレリアの遠慮がちな声を無視して、アーシャと店長は話を進める。


「ええとこない?」

「うーん。私の知ってるところは女の子向きじゃないのよねぇ」

「力仕事なん?」

「いいえ、血生臭いやつ」

「そらあかんわ」


アーシャは眉間にシワを寄せて小さくうなる。リリも真似をしたのか、眉を寄せて「むふー」と息を吐いた。店長は右手を頬に当てる。


「こっちもマーガレットさんかしらね」

「婆ちゃん、顔広いしな」

「あ、あの!」


 クレリアが振り絞るように大きな声を上げる。アーシャと店長はきょとんとクレリアを振り返った。


「なに? 急におっきい声出して」


 クレリアは大きく息を吸って吐き出し、はっきりとした口調で言った。


「お気持ちは嬉しいけれど、これ以上皆さんにご迷惑はかけられません」


 胸に右手を当て、クレリアは小さく微笑む。


「……見知らぬ私たちに、こんなに親切にしてくださった。それだけで充分。これ以上を望んではいけない」


 潤む目を隠すように深く頭を下げ、少しかすれた声でクレリアは言った。


「……ありがとうございました。この御恩は生涯忘れません」

「あかん」


 後に続く言葉を遮るようにアーシャが声を上げる。


「ごめんけど、それ無理や」

「そうね。却下ね」


 想定した反応ではなかったのだろう、クレリアは顔を上げ、不可解そうにアーシャを見る。アーシャは真顔で言葉を続けた。


「だって見てもうてんもん」

「……なにを?」

「泣いてるとこ」


 クレリアが気まずそうに視線を落とす。店長はうんうんとうなずいた。


「あれ見た後に、はい、さようなら、ってわけにいかないでしょう?」

「そんなんしたら、自分が情けのうて寝れんくなるわ」

「でも――」

「『でも』はなし!」


 再び顔を上げたクレリアの言葉をアーシャがピシャリと遮る。店長は諭すように言った。


「ねぇ、クレリア。あなたはね、もっと、もっと望んでいいの。リリちゃんと、あなた自身の幸せをね」


 クレリアが目を見開く。店長は穏やかに言葉を続ける。


「いいじゃない、迷惑かけたって。それであなたが幸せになれるなら。あなたが不幸になるよりよほどいい。あなたに迷惑かけられたって、私たちはびくともしないわ。だからあなたは、まず自分とリリちゃんのことだけを考えなさい」


 クレリアは信じられないものを見るように店長を見つめる。店長は小さく笑った。


「一人で出来ることなんてたかが知れてる。迷惑かけて、頼って、生きていきましょうよ。そしていつか、誰かの迷惑を引き受けて、頼られるようになったらいい。独りで、誰にも迷惑かけずにぽつんと生きるより、そっちのほうがきっと素敵よ」


 クレリアの目から再び涙がこぼれ、彼女は慌てたように涙を拭った。アーシャは膝からリリを降ろし、クレリアに近付いて抱きしめる。


「なんや、クレリアさん、泣き虫さんやね」

「……ごめ…なさ……こん……はじめて……い……た、から……」


 アーシャはぽんぽんとクレリアの背を叩く。クレリアはアーシャの肩に顔を押し付けた。




「ちゅーわけで、部屋貸してください! お願いします!」


 アーシャが地面に着く勢いで頭を下げる。クレリアもそれに倣い、さらにそれを真似てリリがお辞儀する。おそらく何の説明もないまま『木登り仔猫亭』に連れてこられたであろうマーガレットは、アーシャ、クレリア、リリの順に目を遣り、最後に店長を見る。店長は拝むように手を合わせた。小さく息を吐き、マーガレットは三人に顔を上げるよう促した。


「つまり、このお嬢さんに部屋を貸してほしいのね?」

「さすが婆ちゃん! 何でもお見通し!」


 よくこの少ない情報から理解に辿り着いたものだ、とエルリックは感嘆の眼差しをマーガレットに向ける。マーガレットはアーシャを軽くにらんだ。


「あなたはもう少し言葉で説明なさい」

「ええやん。伝わってんから」


 へらっと笑うアーシャにマーガレットは無言で近付き、額を手のひらでパシッと叩いた。


「あたっ!」

「反省なさい!」


 額を押さえ、アーシャは不満げに口を尖らせる。「まったく」と息を吐き、マーガレットはクレリアに向き直った。見透かせるようなマーガレットの目に、クレリアはわずかに身を固くする。マーガレットは無言のまま、じっとクレリアを見つめ――不意に視線を下げ、膝を突いてリリを抱きしめる。リリは特に動じることもなく、マーガレットの背に手を回した。マーガレットはうなずき、立ち上がる。


「合格」


 リリはマーガレットを見上げ、大きくうなずいた。何かが通じ合ったのだろう。クレリアは戸惑った様子で二人を見る。マーガレットは今度はクレリアの前に立ち、大きく手を広げて抱きしめた。クレリアの戸惑いが深さを増す。


「あ、あの……」


 硬直するクレリアから手を離し、マーガレットは険しい表情で言った。


「あなたは痩せすぎ。もっとお食べなさい。グレゴリ!」

「は、はい!?」


 急に名を呼ばれ、店長の声が裏返る。マーガレットは鋭い視線で店長を射抜いた。


「一か月でこのお嬢さんを健康的に太らせなさい。できなければ罰金」

「私が!? どうし…て……はい」


 抗議めいた店長の声は、マーガレットの圧力に屈して霧散する。クレリアが慌てたように声を上げた。


「待ってください! 店長さんは――」

「あなたがしっかり食べないと店長が破産するわよ。頑張って」


 クレリアの言葉を一顧だにせず、マーガレットは言い放つ。言葉の続きを失い、クレリアは目を瞬かせた。『破産』の言葉に怯えたのか、店長がぽつりとつぶやく。


「……罰金って、いくらなのかしら」

「一発ハコテンちゃう?」


 アーシャの無責任な発言に店長は「ひっ」と悲鳴を上げた。蒼白な顔の店長を放置し、アーシャはおそるおそる尋ねる。


「……ほんで、部屋はお貸しいただけるんでしょうか? ちゅーか、婆ちゃんのアパート、空きあったっけ?」


 マーガレットはこの町に三棟ほどのアパートメントを所有する大家だと、エルリックは以前彼女を送り届けたときに聞いていた。マーガレットは表情を変えることなくさらりと答える。


「空きがなければ作ればいいのよ。ちょうど家賃を滞納している若いのがいるから、今日にでも叩き出すわ」

「おお、婆ちゃん、過激」


 怯えたようなアーシャの小声にマーガレットは鼻を鳴らす。


「博打に手を出して身ぐるみ剝がされたから家賃は払えない、なんて平気で言う男よ。一度本気で痛い目を見ないと変わらないわ」


 罪悪感を覚えたようにクレリアは口を開く。


「それは、少し――」

「あなた、荷物は? あのトランクかしら? 中身はなに?」


 マーガレットはクレリアの足元に置かれたトランクに目を向ける。「それは――」とクレリアは言いよどんだ。続きを待たずマーガレットは問いを変える。


「着替えは? あの中にある?」

「いいえ、そういうものは、何も――」

「そう、では買いに行きましょう」


 マーガレットはぱちんと胸の前で手を叩いた。


「靴も新しくしたいわね。髪も整えたほうがいいわ。あなた、美人だから何でも似合いそう。ふふ、楽しみね」


 マーガレットは視線を上げ、楽しそうな笑顔を浮かべる。展開の速さについて行けないというように、クレリアは言葉にならない戸惑いを口にした。


「あの、でも……」

「今日から、変わるの」


 マーガレットはクレリアの目を見つめる。


「だから、今日、変えるのよ。服も、靴も、髪型も、全部。昨日までがなんだって、今日からは全部新しくなる。新しいあなたになるの」


 マーガレットは笑って片目を瞑った。


「とっても、ワクワクするでしょ?」


 クレリアは大きく目を見開く。そして、力を抜くように息を吐き、


「……はい」


 微笑んでうなずいた。


「うん。よいお顔ね。とてもきれいよ」


 マーガレットはクレリアの手を取る。


「それじゃ、行きましょう。年寄りは気が短いのよ。そちらの小さなレディにも、可愛い服を着せたくて仕方がないの」


 右手でクレリアの、左手でリリの手を掴み、マーガレットは二人を引っ張る。力強さに目を白黒させながら、クレリアは一歩前に踏み出し――ハッとしたように声を上げる。


「あの、トランク――」

「グレゴリ! そのトランクを預かっておきなさい! 無くしたりしたら――」

「全力を以て死守いたします!」


 背筋を伸ばし、店長が最敬礼する。


「さ、はやくはやく」


 子供のようにはしゃいでマーガレットは二人を急かす。勢いに押され、戸惑いながらクレリアは小さく笑って、


――カラン


 『木登り仔猫亭』の扉を開け、まぶしい日差しの空の下に、三人は出ていった。


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