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都落ちした黒髪メガネは今日も下町娘に振り回されています  作者: 曲尾 仁庵


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猛犬

 突然割り込んできた声に、


「あぁ!?」


 男たちは不快そうな声を上げて声の主を見る。アーシャは笑みを浮かべて男たちの視線を堂々と受け止めた。女の子がアーシャの手を解き、女性に駆け寄って足に抱き着く。


「リリ? あれ、今まで、どこに――」


 今気付いた、というように、女性の顔から一気に血の気が引く。女性はしゃがみ込むと、リリと呼ばれた女の子を強く抱きしめて固く目を閉じた。


「ごめん、ごめんなさい、リリ。ごめん――」


 リリは女性の胸の中で首を振る。自分の中の最悪な想像が否定され、エルリックは小さく息を吐いた。


「おにーさん、知っとる?」


 アーシャは男たちから目を離さないままエルリックに呼びかける。エルリックは軽く眼鏡に触れ、冷たく男たちを見据えた。


「この町の港湾規則に『旅客の荷物に管理料を取る』という規定はありません」

「適当なこと言ってんじゃねぇぞ! 部外者はすっこんでろ!」


 凄む男にアーシャはくだらなさそうに鼻を鳴らした。


「適当言うてないし、部外者でもないで。このお人は衛士隊の隊長さんでな、規則がぜぇんぶ頭に入ってはんねん」


 衛士隊という言葉に受付の両脇にいる男たちがぎょっとした表情を浮かべる。受付の男が立ち上がり、にこやかな笑みを浮かべた。


「隊長さんとは知らず失礼しました。そういえば新しい方が着任したと聞いていましたよ。しかしここは境海門の向こう側。町とは少し違うルールで動いているのです」


 エルリックは「ほう」と興味を示し、続きを促す。受付の男はうなずいて話を続けた。


「乗船客の荷物を預かり、保管し、持ち主に返す。大したことではないと思われるかもしれませんが、荷物は壊れるかもしれないし、盗まれるかもしれないし、渡す相手を間違えるかもしれない。預けた荷物が受け取れるのは、我々が人手を割いてそれらの危険から荷を守っているからです。人が動くということは、金が掛かっているということだ。他の作業ができるはずの時間を、荷を守るために割り当てている」


 どこか芝居じみた流暢さで男はよどみなく話し続ける。エルリックは表情を変えずに話を聞いている。


「荷物を受け取るというのは、皆が思うほど簡単なことではないのです。奉仕の精神では続かない。だが、誰かがやらなければ荷物は安全に届けられない。船旅でいつも荷を失う覚悟をしなければならないのはおかしいでしょう? だから我々は、皆様に確実に荷物を受け取ってもらうための必要経費として、『管理料』を頂いているのです。これは港に長年続く慣例だ。昨日今日ここに来た隊長さんが知らないのも無理はないが、余計な口出しは無用に願いますよ」


 男が薄ら笑いを浮かべてエルリックを見る。新参者がこの町の何を知っている、とその目が告げていた。女性がリリを抱きしめる力を少し強める。エルリックは「ふむ」とつぶやき、アーシャに顔を向けた。


「そうなのですか?」

「さっきも言うたけど、そんなルール、うちは聞いたことないで」

「町衆が港に口出しするんじゃねぇよ。黙ってろ!」


 男は鼻にシワを寄せてアーシャに怒鳴る。アーシャはまるで動じる様子もなく男をまっすぐに見つめ返した。


「つまり、管理料の徴収は港湾規定にはないが慣例として公認されており、違法性はないということですか?」

「その通り! さすがは隊長さん。理解が早い」


 男が嬉しそうに声を上げる。エルリックは人差し指で眼鏡を押し上げた。慣例だと言われればエルリックにその真偽を確かめる術はない。この男たちの言葉をそのまま信じる気にはなれないが、否定する材料がこちらにはない。どう攻めようか思案するエルリックの横でアーシャが笑った。


「ほな、確かめてみよか」


 男たちが眉を寄せてアーシャを見る。アーシャはゆっくりと男たちに近付きながら言った。


「あんたら、トニオさんとこの若いのやろ?」


 男たちがハッと自分の右肩に目を遣る。男たちの服の右肩には牡牛を意匠化した刺繡があった。アーシャはゆっくりと歩みを進める。エルリックはアーシャを追って隣に並んだ。


「……トニオさんとは?」

「港湾人夫の元締めさん」


 エルリックの小声の疑問に短く答え、アーシャは男たちの目の前で立ち止まる。


「トニオさんとこ行って聞いてくるわ。『船客の荷物返すのに管理料取ってます?』て」


 トニオの名を聞いた男たちの顔が青ざめる。受付の男は引きつった笑いを浮かべてアーシャをにらんだ。


「吹いてんじゃねぇぞ。てめぇごときが親方に会えるわけねぇだろ」

「会える思うで」


 アーシャは殊更に明るい声で答える。


「トニオさんはうちの常連や。ちっさいころから可愛ごうてもろてんねん」


 男が目を剝いて言葉に詰まる。アーシャはにっこりと笑った。


「トニオさんが笑顔で『取ってる』言うたら、そらこっちの物知らず、あんたらに言いがかり付けたことになる。そん時は誠心誠意謝らせてもらうわ。けど『取ってない』言うたら――」


 アーシャの顔から笑顔が消え、瞳が獲物の喉を窺う肉食獣のそれに変わる。


「――このアーシャ姉さんの知り合い騙くらかして金巻き上げよういう話なら、それなりの落とし前付けてもらうことになるで」


 静かに、染み入るように広がるアーシャの言葉に、男たちの顔から一斉に汗が噴き出す。距離を取るように一歩下がり、受付の男が唾を飲んだ。脇に立つ男の一人が何かに気付いたように声を上げた。


「……アーシャ――まさか『猛犬』アーシャか!?」

「あの、誰彼構わず噛みつくというイカれ女!?」

「本当は『狂犬』と呼びたかったけど怖すぎて『猛犬』と表現をマイルドにせざるを得なかったという、あの!?」

「ちょお待て。その『狂犬』と呼びたかった言うとるやつの名前教えぇ。後で話聞きに行くさかい」


 アーシャの声が一段重さを増す。受付の男はアーシャと仲間たちにせわしなく視線を向けた。アーシャの目を鋭い光が掠める。


「退くならここや。トニオさん巻き込んでもうたら、お互い後には退けんくなるで。勝算あるなら止めへんけど、意地張っとるだけならやめとき」


 受付の男が怒りと恐怖がないまぜになった目でアーシャをにらむ。アーシャは凪いだ瞳で視線を受け止めた。男とアーシャの視線が交錯し、しばし。「ちっ」と舌打ちをして男はアーシャから視線を逸らせる。アーシャは小さく鼻を鳴らした。


「……行くぞ」


 受付の男は両脇にいる男たちにそう言うと、苛立ちをぶつけるように地面を蹴り、アーシャたちに背を向ける。しぶしぶといった様子で仲間の男たちもそれに従った。去ろうとする背を、


「ちょお待て」


 アーシャは呼び止める。受付の男は苛立った表情で振り返った。アーシャは男をにらみつける。


「荷物、返したれや」


 男は目を血走らせてアーシャをにらみ返すと、荷置き場に残っていた人の大きさほどもあるトランクを取り、乱暴にアーシャに押し付けた。アーシャはにっこりと微笑む。


「おおきに。ありがとさん」


 男は大きく息を吸い、激しい憎悪を漲らせると、何も言わぬまま拳を強く握り、肩を怒らせて去っていった。アーシャはベーっと舌を出し、勝ち誇ったように笑った。




「……猛犬、と呼ばれているのですね」


 男たちが去り、空気が少し清浄になった荷受け場で、エルリックがぽつりとつぶやくように言った。隣にいるエルリックに向けてアーシャは不満そうに口を尖らせる。


「失礼な話やろ? どっちか言うたら、うちネコ科やで」


 気になるポイントはそこなのか、とエルリックは新鮮な驚きでアーシャを見る。アーシャはカラッとした笑いをエルリックに向けた。


「ありがとうな。ずっと横で、向こうが手ぇださんようにーて、にらんどってくれたやろ?」


 エルリックはわずかに目を逸らす。アーシャはおかしそうに笑って、地面に座る女性に近付くと、トランクを彼女に差し出した。


「はい。ごめんなぁ、恐い思いさせてもうて」


 女性は慌てて立ち上がり、アーシャに深く頭を下げる。


「ありがとう、ございます。ありがとう」

「ええて。この町のアホが迷惑かけてんから、この町のもんがどうにかせな」


 女性はトランクを受け取り、素早く足元に引き寄せる。旅の疲れだろうか、目の下は黒くくすみ、肌の白さも手伝って今にも儚く消えてしまいそうだった。アーシャは柔らかい表情を作り、ゆっくり、声の大きさを抑えて言った。


「お姉さん、この町は初めてやんな? 知り合いはおる? これからどっかに行く予定?」

「いえ、知り合いは――」


――ぐぅ


 女性の言葉を遮り、腹の虫が盛大に鳴る。皆は一斉に音源に目を向けた。リリは胸を張ってアーシャを見上げる。


「……もう腹減ったん? さっき肉食うたのに?」


 リリは力強くうなずく。気が抜けたように吹き出し、アーシャは女性に言った。


「よかったらうちの店に案内させてくれへん? 一緒にごはん、食べてくれたら嬉しいねんけど」

「い、いえ、でも……」


 女性は戸惑ったように言いよどむ。リリは女性のスカートを左手で握り、右手でアーシャの袖を掴んだ。女性は驚いたようにリリを見下ろす。リリは女性に向かって大きくうなずいた。


「リリちゃんもこう言うてるし、お願いします」


 アーシャは手を合わせ、少し屈んで上目遣いに女性を見る。


「……ダメ?」


 女性はじっとアーシャを見つめる。そしてふっと表情を緩めると、


「……お願いします」


 そう言って再び頭を下げた。


「よかった!」


 アーシャは胸に手を当て、嬉しそうに笑った。


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