第97話:三回目の配信(盆栽×エイム)
――ジャイアントバットの眉間を綺麗に撃ち抜いた、初配信のアーカイブ。
それを観終えたセナが、楽しそうに次のファイルを再生した。
モニターの中で、銀髪の少女が動いていた。
画面は、俺が初めて大きくバズったとされる、ミノタウロス戦の切り抜き映像だ。
薄暗いダンジョンの第三層。目の前には、身長3メートルを超える牛頭の巨獣。
華奢なJK姿の「俺」は、ハンドガンをホルスターへ戻し、右手のコンバットナイフを一本だけ抜いた。
逆手。
刃を寝かせ、親指の腹で柄頭を軽く支える、いつもの握り方だ。
「……ん?」
俺は画面を凝視した。
動画のなかの俺は、ミノタウロスが戦斧を振り下ろす風圧を避けるため、重心をわずかに右へ落としていた。
その時の、肩から先。
「セナ。ここ、止めてくれ」
「了解」
セナがタブレットを叩き、画面が静止する。
俺はモニターに顔を近づけ、自分の腕の筋肉の陰影を、指先でなぞった。
肩甲骨を下げ、鎖骨の余計な緊張を抜き、肘を内側へ畳んで脇を締める。
手のひらの中心に重心を乗せ、鋏の刃先を――いや。
「……同じだ」
「何が?」
セナが怪訝そうに首を傾げた。
「このナイフを握る直前の、右肩と手首の落とし方。……俺がベランダで、真柏の枝に鋏を入れるときの癖と、まったく同じだ」
頭のなかの言葉より先に、右手の指が空中で動いていた。
親指と人差し指を軽くすぼめ、残る三本の指で柄を包むように。
その形のまま、指先を2ミリだけ傾ける。
真柏の不要な新芽を、一番根元から切り落とすときの角度だ。
「そう。まさにそこ」
セナがタブレットの画面に、新しいデータを展開した。
それは先日、プロゲーマーのSHOOTが送ってきた分析動画の切り抜きだった。
画面上で、銃を構える俺と、鋏を握る俺の筋肉の動的グラフが重なり合う。
「SHOOTさんが指摘してた通り。銃のエイムも、ナイフの構えも、盆栽の鋏も、師匠の身体は全部同じ『軸』を基準にして動かしてるの。身体の中心から、一番効率よく力を刃先に伝えるための重心設計が、最初から一貫して組み込まれてる」
「……一貫、か」
俺は自分の両手を見つめた。
五十二年間の経験そのものは、まだ霧のなかだ。
だが、この肉体には、記憶の代わりに『技術のつながり』がそのまま残されている。
銃を撃つための身体と、盆栽を育てるための身体が、実は同じ一本の幹から枝分かれした技術だったのだ。
生かすために切るか。
殺すために切るか。
やっていることの本質は、何も変わらない。
「ねえ、師匠」
セナがタブレットを抱え直し、不敵に目を細めた。
マッドサイエンティストが、新しい実験を思いついたときの顔だ。
「これ、今夜の配信のネタにしない?」
「ネタ?」
「うん。昨日のSHOOTさんの動画、ネットでめちゃくちゃ考察されてるの。『本当に同じ構えなのか』って。
だから、本人が実際にカメラの前で、ナイフの構えと鋏の構えを交互にやって、筋肉の数値を実測するの。題して――『盆栽とエイムの物理学』!」
「……やんごとなき戦闘技術を、そんな理科の実験みたいに言うな」
「でも、同接は絶対に跳ね上がるよ」
セナの言う通りだった。
俺には「非課税」という強い味方がいる。稼げる時に稼ぎ、老後の肥料代を蓄えておくのは、極めて合理的な判断だ。
それに、身体が覚えている「軸」を自分で確かめるためにも、実言してみるのは悪くない。
「……いいだろう。ただし、長い時間はやらないぞ。身体が冷える」
「やった。キララさんにも連絡しておくね!」
◇
午後七時。
寮の部屋にリングライトが灯り、配信が始まった。
今日の同接カウンターは、開始3秒で50万人を超えていた。
前回の「盆栽配信」が世界的に話題になったこともあり、視聴者の熱気は最初から限界突破している。
『マジで配信始まった!』
『今日のタイトル「盆栽×エイム」って何だよwww』
『SHOOTの動画へのアンサー配信か?』
『ハルカちゃん、本当に銃撃つの?』
「あー、テステス。聞こえているか」
俺はカメラに向かって軽く手を上げた。
今日の俺は、セナが用意した簡易的なモーションセンサー(太めのヘアバンドみたいな黒い輪)を、右腕と肩に装着している。
「SHOOTというプロが、面白い分析をしていた。盆栽の鋏と、銃のエイムは同じ筋肉を動かしている、と。……ここで実際にやってみせる。まずは、いつもの鋏だ」
俺は棚から真柏の鉢を机に載せ、鋏を握った。
余分な新芽を、二本。
パチン、パチン、と軽い金属音。
モニターに、俺の右肩の筋肉の収縮グラフが、綺麗な波形を描いて表示される。
「次に、ナイフだ」
俺は鋏を置き、右太腿のホルスターからコンバットナイフを抜いた。
逆手。
カメラの前で、ミノタウロス戦と同じレディポジションを取る。
――ピキ。
モニターのグラフが、鋏のときと「まったく同じ」波形をなぞって、ぴたりと静止した。
『ファッ!?』
『マジで一致してる……!』
『嘘だろ、ノイズすら同じ形じゃねえか』
『銃を構えるときと、枝を切るとき、完全に同じ力加減なのか』
コメント欄が爆発したような勢いで回り始める。
画面が赤や虹色のスパチャのエフェクトで埋め尽くされていく。
「言っただろ」
俺はナイフを鞘へ戻し、冷めた煎茶を一口飲んだ。
「枝を選ぶ目と、敵を選ぶ目は同じだ。生かすために、殺すものを決める。……どっちも、余計なものを削ぎ落とす、ただの『掃除』だ」
俺が淡々と告げると、コメント欄の流速が、一瞬だけぴたりと遅くなった。
中身の「おっさん」の部分が、言葉の隙間から漏れ出していた。
だが、それが逆に「塩対応が尊い」「ハードボイルドすぎる」と、別の方向へ評価されたらしい。
『名言きたわ……』
『生かすために、殺すものを決める。重すぎるだろJK』
『これ、かつて何百人もクリアリングしてきた人間の台詞だろ……』
『背筋凍ったけど、ハルカちゃんが言うとエロい』
「……エロい、だと? どこのどいつだ、腕立て伏せ百回を命じるぞ。失礼な奴だな」
俺が眉をひそめると、セナがカメラの向こうで慌てて「スルーして!」と手信号を送ってきた。
結局、配信は一時間足らずで終了した。
最終同接数は、驚くべきことに180万人。
◇
配信機材を片付ける。
「お疲れ様、師匠。大成功だね」
「……疲れた。やはり、他人の目を気にしながら鋏を動かすのは、燃費が悪い」
俺はソファに深く沈み込んだ。
右肩の奥に、少しだけ鈍い怠さが残っている。
だが、それは呪いのペナルティではない。ただの心地よい疲労だ。
廊下の外から、コツ、コツとアーサーの軽い足音が近づいてきた。
扉が開く。
彼は部屋に入るなり、直立不動で敬礼した。目元が、また少し潤んでいる。
「主君! 『生かすために、殺すものを決める』……かつて、中東の塹壕で私に教えてくださった、あの言葉そのものです! 私は、感動に震えております!」
「……声がでかい、アーサー。あと、お前は毎日泣いてるな。水分が足りなくなるぞ」
「泣いておりません! これは、聖剣の加護による目汁です!」
「目汁って何だよ。汚いな」
セナがタブレットを抱えたまま、呆れたように吹き出した。
俺は、二人の賑やかなやり取りを見つめながら、手元に残った冷めた煎茶を静かに啜った。
「師匠、煎茶のおかわり、淹れてあげようか?」
「……ああ、頼む。それとアーサー、泣くなら外で泣け」




