第90話:FPSプロゲーマー再登場
平日の夕方。盆栽棚の手入れを一通り終えたところで、タブレットの通知音が、いつもより少しだけ大きく鳴った。
机の前で、セナがタブレットを覗き込み、一度だけ口を閉じた。
「師匠、DMが来てる」
「珍しいのか」
「うん、珍しい。差出人がね、SHOOT、って人」
「シュート」
「うん。初期配信のとき、師匠の動画を世界に拡散したFPSプロゲーマー」
俺は鋏のケースに伸ばした手を、途中で止めた。
「初期配信」と聞いても、思い当たる輪郭はない。
ただ、SHOOT、という五文字を口の中で一度だけ転がした時、舌の奥より少し下、肺の入り口のあたりに、軽く引っかかる感覚があった。
「読んでもいい?」
「頼む」
◇
セナがDMを声に出した。
『七瀬遙さんへ。SHOOTです。最初のバズ動画の頃から、ずっとあなたのファンでした。
あなたが鋏を握るときの構え。あれは、エイム時の構えと、ほぼ同じ筋肉群を使っています。
偶然ではないと思います。許可をいただけたら、分析動画を出させてください。
承諾いただけなくても、配信は引き続き拝見します。SHOOT』
短い。だが、無駄がない。
文字の置き方に、相手の慎重さがそのまま現れていた。
「……」
「師匠、どうする」
「許可する」
「……早くない?」
「最後の一行を聞く前から、たぶん、許可するつもりだった」
セナが、少しだけ笑った。
初期配信の頃の俺は、見ず知らずのプロゲーマーに、無償で世界へ運ばれた人間らしい。
その恩を返す、という発想は、まだうまく湧かない。
ただ、「同じ筋肉群を使っています」という一行のところで、視線が一秒だけ余計に止まった。
◇
セナがその場で返信を打ち、三日後にSHOOTから分析動画の公開連絡が届いた。
公開と同時に二人で見るリアクション配信を、と、キララが盆栽配信の派生回として企画書を回してきた。
数日後の夕方、研究室。
セナがカメラを机の方へ向け直し、リングライトを点灯させる。
「これ、配信中だぞ」
「うん。だから、変な発言は控えてね」
「考えておく」
モニターに、SHOOTの動画が映った。
タイトル『盆栽配信に学ぶ、エイムの基礎』。
画面が二分割されている。
左、初配信の頃の俺。サプレッサー付きハンドガンで、ジャイアントバットの眉間に二連射を撃ち込む瞬間。
右、先週の俺。盆栽棚の前で、真柏の枝に鋏を入れる瞬間。
二つの映像が、SHOOTの落ち着いた声に乗せて、フレーム単位で重ねられていく。
『この二つ、同じ筋肉が動いています』
画面に赤線が引かれた。
肩甲骨の位置。親指と人差し指の間隔。肘の角度。視線と手元の距離。
『どちらの場面でも、彼女の身体は同じ「軸」を作っています。違うのは、軸の先にあるものが、銃口か、鋏の刃先か、それだけです』
俺は画面を見ていた。
左側の自分の動きは、初配信の頃の自分らしいが、見覚えはなかった。
右側の自分の動きは、先週の自分だ。これは覚えている。
二つの映像が並んだ瞬間。
俺の身体の側が、勝手に判定を下した。
うん、と。
その「うん」は、誰かに返事をしたものではない。
俺の肩甲骨と腰の側が、画面の動きを見て、納得した音だった。
「セナ」
「うん」
「これ、たぶん、当たる」
「……当たる、って何が」
言ってから、自分の言葉に少し遅れて気づいた。
「銃が」
セナがマイクの前で、瞬きを一度、忘れていた。
「師匠、変な発言、控えるんじゃなかった?」
「そのつもりで、口を開いた」
「それ、口のほうが先に出てるよ」
モニターの隅、配信のコメント欄が、滝のように流れ始めていた。
『キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!』
『「銃が当たる」って言ったぞ今』
『中身おっさん、復活確定』
『SHOOT、感謝』
『まじで思い出してきてるのか?』
◇
配信終了後。
セナはマイクの電源を落とし、両手で顔を覆ってから、一度だけ笑った。
「師匠、五分も持たなかった」
「すまん」
「コメント、あの一瞬で十万件超えた」
「……それは、SHOOTのおかげか、俺の失言のおかげか」
「両方」
俺は右手を、目の高さまで持ち上げた。
肘の角度と、肩の落とし方。
画面の中の二つの自分と、今の俺が、確かに同じ系統で動いていた。
「セナ」
「うん」
「『銃が当たる構え』というのは、たぶん俺も知っている」
「うん。知ってる」
「いつ知ったのかは、覚えていないが」
「それでもいいよ」
窓の外で、夕方の風が一度、強く吹いた。
棚の鉢の葉先が、揃って同じ方向へ傾く。
俺は鋏のケースを、もう一度棚から取り出した。
「練習する」
「鋏? 銃?」
「鋏。今は、それでいい」




