第79話:閉門
光が消えた瞬間、アーサーは縦穴へ飛び込んだ。
大扉の閉鎖反転による反作用で、中枢空間が内側から崩れていく。鋼板、コンクリート、配管、無数の破片が縦穴の底へ落ちていく。
主君の落下から十二秒。アーサーは大剣を壁面に突き立て、刃を支点に滑降した。火花が壁を削り、鋼の悲鳴が縦穴に響く。
『……魔素ノイズで……位置取得が……』
無線越しのセナの声は、雑音に塗り潰されかけていた。
「捕捉した。下層、深度六十メートル」
崩れた鋼材の上、小さな影が片腕だけを伸ばして引っかかっている。意識はない。
アーサーは降下の最後の三メートルを跳び、片手でハルトの腰を掴んだ。もう片方の手で大剣を盾代わりに振り上げ、上から落ちてくる鋼材を逸らす。
退路は、上ではない。崩落で塞がっている。
「セナ、横の枝坑に旧排水管が走っているな」
『……ある。西側の壁、二メートル下。でもサイズが』
「主君なら通る」
アーサーは大剣を捨て、ハルトを抱えたまま壁を蹴って枝坑へ滑り込んだ。
管の幅は六十センチ。
成人男性の体格では入らない。だが、若返って小さくなった主君の体は、間違いなく通る。
アーサーは入口でハルトの体を反対側へ押し出した。
「セナ、回収用のドローンを管の出口へ。俺は東の補強通路から戻る。十分後に合流する」
『主君を……必ず連れて帰って』
「承知」
通信が一度途切れ、また繋がった。返事は要らなかった。
◇
地上、対策本部。
田中は、潰した煙草の箱を三つ目に手をかけて、結局袖口へ戻した。やめると言って三年経つ。今日でまた延びた。
メインモニターに、学園都市上空の魔素濃度マップが映っている。紫の渦が、ゆっくり薄まっていた。
「全国五都市の共鳴反応、減衰開始」
「大阪、名古屋、福岡。残二都市も同様。自衛隊、被害は予測値の四割で止まりました」
部下たちの報告が短く重なる。
田中は隣のサブモニターへ視線を移した。キララの配信が映っている。市民の大半は、まだ「ライブ演出」だと信じていた。コメント欄の流速は、海外の言語が幾重にも重なって読める形を保っていない。
別回線に通知が入った。
『首魁の影、衛星追跡では捕捉できず。地下深層から地上に出た形跡なし』
田中はその文面を一度だけ読んで、閉じた。
逃げ切ったか、地下に潜ったか。資金網は壊滅させた。設備は回収済み、または焼却済み。今夜のうちに動ける足は、もう残っていないはずだ。
今夜の優先順位ではない。
「七瀬さんの回収を最優先で。アーサーの東通路ルートに人員を回せ」
「承知」
田中は手元のメモを伏せた。書きかけの「終結報告書」。書ける項目と、まだ書けない項目を、線で分けてある。
書けない側の欄に、ひとつだけ短い文字が残っていた。
――七瀬遙、状態未確定。
◇
病室、午前四時。
ハルトは、白い天井の下で動かない。
セナはベッドの脇でタブレットを見つめていた。バイタルは安定している。心拍、呼吸、体温。数値だけ見れば、眠っているだけの患者だ。
問題は、別のグラフのほうだった。
記憶保持率の進行ログ。直近四十八時間で十八ポイント低下。Lv3到達後の典型的な減衰カーブを、設計図をなぞるように辿っていた。
「……ねえ、師匠」
返事はない。
点滴の管が、わずかに揺れた。
「全部、終わったよ。大扉、閉まった」
セナは、自分の声がほんの少し震えたことに気づいた。
直す気にはなれなかった。
病室の窓から、東の空が薄く明けていく。紫色の滲みは、もうない。久しぶりに、普通の朝焼けだった。
扉の外、廊下のベンチでアーサーが膝を抱えて座っている。剣は持っていない。腿の上に空の手だけが置かれていた。
勝った。
誰もそう言わなかった。
◇
ハルトの瞼が、午前四時十二分に一度だけ震えた。
セナはタブレットを置き、ベッドの脇に膝をついた。動いたのは瞼だけだった。
次を待ったが、続きはなかった。
セナはタブレットの記録欄に、慎重に短く打ち込んだ。
眠っているだけの可能性、と、もう目覚めない可能性。
両方を、未確定のまま残す。
窓の外、白さがゆっくり広がっていく。
誰も、まだ呼吸を整えきれていなかった。




