第77話:崩れる天井、守る背中
床が割れた瞬間、足場が三方向に落ちた。
俺はセナの背後を庇おうとしたが、間に合わなかった。コンクリートの板が斜めに傾き、三人を別々の段差へ分けた。アーサーは右の瓦礫の上、俺は中央の崩落帯、セナは左奥の張り出した残骸の上。間に裂け目が走る。深さは目で測れない。
『セナを離すな』
『承知』
アーサーが大剣の腹で、落下しかけた鋼材を一本受け止めた。そのまま剣を支点にして、セナの段差まで横倒しに渡す。即席の足場になる。鈍い金属音が炉心室に重なって響いた。
『主君、こちらは俺が持ちます。前へ』
「了解した」
俺は崩落帯を蹴って、紫光の奥へ進んだ。管理者の影は炉心の脇へ向かっている。撃ち抜くより、扉の鼓動を遅らせるほうが先だ。
アーサーの判断は正しい。今は盾が要る。
◇
管理者を追う途中、視界が一拍だけ抜けた。
次の瞬間、俺は別の足場に立っていた。銃を構え直した形跡があり、薬室には一発が送り込まれている。覚えていない動きだ。
(記憶じゃない。動作のほうが抜けた)
半量の抑制薬では、ここまでが限界らしい。
考えるより先に、足が次の踏み込みへ移る。骨が覚えている動きが残っているのは助かるが、それで指揮は取れない。
いま頭で動けるのは、左の張り出しのセナだけだ。
「セナ、停止式は」
『組んでる! でも炉心の暴走パターンが想定外。式の係数が三分ごとに書き換わる』
「係数のテンプレを並列で持て。一個ずつ追ってたら間に合わん」
『……うん、やる』
炉心の脇で、管理者が振り向いた。
白い手袋の指先が、ゆっくり扉の輪郭へ伸びる。
あの動きを止める。理由は単純だ。あれが届けば、停止式は使う前に意味を失う。
俺は跳んだ。
崩落帯の鋼材を一本だけ足場に使い、管理者の脇へ滑り込む。膝の側面――硬度の低い場所へナイフを差し入れ、体重ごと床へ叩き伏せた。
手応えは薄い。狙った筋までは切れていない。それでも、扉へ伸びた腕は途中で止まった。
「現場の兵は、目に見える制御を壊す。さっき自分で言ったろ」
「規格外だな。やはり、君は」
「世辞より、痛み止めのほうが今は欲しい」
管理者の表情は崩れない。指先だけで床を叩き、別の合図を送ろうとした。
その腕の関節を、俺は捻り上げて止める。骨は折らない。死なれると、後で吐かせる相手がいなくなる。
◇
頭の上で、小型ドローンが一機だけ回り続けていた。本命班の作戦記録用にセナが残した最後の一機だ。
その映像が、遅延五分越しにキララの地上配信へ紛れ込んでいる、と田中から短い報告が届いていた。
崩れる天井。紫の光。銀髪の制服姿が、黒スーツの男を床に押さえつける構図。
視聴数の表示は、目で追えない速度で桁を上げているらしい。
『これ放送事故じゃないの』
『止めなくていい』
『止めるな。最後まで映せ』
観客がいるなら、舞台は使い倒す。
「アーサー、セナの足場、何分持つ」
『あと二分は持たせます。瓦礫の流れは読みました』
「セナ、二分でくれ」
『一分四十秒で出す』
管理者の腕の下で、白い手袋の指が一度震えた。
扉の輪郭が、わずかに緩む。
◇
セナが叫んだのは、ちょうど一分三十八秒後だった。
『できた! 停止式、走る形にした!』
「炉心に流せ」
『……それが、無理』
「無理?」
『遠隔投射が通らない。炉心が外部信号を全部弾いてる。式は中枢コアに直接接続しないと、起動しない』
黒い門の輪郭が、もう一度広がろうとしていた。
管理者が口元だけで笑う。
「言った通りだ。現場の兵が機械を壊しても、上は止まらない」
「上を引きずり下ろすのが、現場の仕事だ」
俺は管理者の頭を一度床に叩きつけ、意識を半分だけ落とした。完全に落とすと、起きるまでが長い。
「アーサー」
『はい』
「セナを連れて、退路を確保しろ。コア中枢へは俺が入る」
『主君――』
「議論は後だ。ここで足が止まれば、全員が炉に呑まれる」
アーサーが二秒だけ黙った。剣の柄を握り直す音がした。
『……了解。退路は俺が開けます』
崩れた天井の隙間から、紫の光が一筋伸びてきた。
その先に、中枢コアへ繋がる縦穴の入口が見える。
扉の鼓動は、そこから直接溢れていた。
(出来すぎだな。罠か、首魁の誘導か)
どちらにせよ、入る以外の手は残っていない。
俺は管理者の手袋を剥ぎ取り、内側に縫い込まれていた認証チップを糸ごと引き出した。指の腹で形を一度なぞる。
使うかどうかは、まだ決めていない。
ただ、最後の鍵にはなり得る。
ポーチの中、抑制薬の小瓶はあと半分。
残りを飲むかどうかは、縦穴の奥で決める。




