第72話:遅延配信の反逆
五日間で骨格を作り、二日で調整した。
合同会議から七日目の前日。学園上空には敵の観測ドローンが通常の二倍の密度で展開している。魔素嵐の前日は電波が荒れてドローンの飛行高度が下がる。読んでいた通りの動きだった。
「準備できた」
セナが研究棟の配信設備の前に立ち、端末のチェックを終えた。カメラが三台。録画済みの映像が二本。一本は偽ルートを映した候補生の訓練映像、もう一本は昨日撮った別素材だ。
「五分ディレイの仕様を確認しろ。送出タイミングがずれると意味がない」
「わかってる。遅延エンジンの設定は三重でロックかけてある。先に流れるのが偽ルート映像、二分後に本命の撹乱素材が混ざる。敵のアルゴリズムが両方を拾った時点で、観測リソースが分散する」
「どれくらい稼げる」
「ドローン群が誤誘導に気づいて再調整するまで、少なくとも三十分。そこが本命班の窓だ」
三十分。深層入口から目標地点まで最速で移動すれば二十分かかる。ギリギリの窓だった。
「もう一本の素材は」
セナが少しだけ間を置いた。
「今から撮る。師匠が出ないと意味がない。敵は"ナナセハルカの配信"を追跡してる。本人が別の場所に映っていれば、本命班の移動を隠せる」
内容は事前に田中と詰めてある。「ドジな新人JKが機材トラブルに振り回される」映像だ。
理屈は分かる。
「椅子に座ってもらえれば」
俺はセナが用意した椅子に座った。カメラが正面を向いている。配信画面には「ナナセ遙」のアイコン。
「師匠、背もたれにもたれて」
背もたれに体重を預けた。
「もっとだらーんと」
「これ以上崩すと姿勢が保てない」
「……じゃあ足をちょっとぶらぶらさせて。あと表情を緩めて」
俺は足を動かそうとした。
膝が、動かなかった。
正確に言えば、動いた。ただし腰幅に合わせてわずかに外側へ開き、両足のかかとを床に固定する、いつでも立ち上がれる姿勢に収まった。戦闘待機の姿勢だ。
「師匠」
「分かっている。今やった」
「やってない。完全に気をつけしてる」
俺は足先に意識を集中させ、揺らそうとした。五センチ動いた。脛の筋肉に、知らない角度の抵抗があった。二十年以上、足は常に「いつでも踏み込める状態」に置いてきた。それを崩すという動作が、脊髄のどこかで弾かれている。
「表情のほうは」
「今やる」
口元に力を送った。笑顔の設計を脳内で組み立てようとして、気づいた。普段の俺が「笑う」時の筋肉は、口角を上げるためではなく、口元を緩めて相手を油断させるためのものだ。用途が違う。
「……それ、獲物を見る顔だよ」
「笑っているつもりだ」
「わかった、もういい」
セナが録画ボタンを押した。
「このまま、カメラに向かってモニターの設定を触ってみて。どこを押せばいいか分からない感じで」
モニターのUIを開いた。七年ぶりの配信ソフトだが設定の場所は体が覚えている。だが設定を知っているまま触ると、手際が良すぎて使えない。
(……わざと外す必要がある)
俺はドロップダウンメニューを正しいタブより三つ隣で開き、首を傾けた。「なんで? どこ押すんだっけ」と口から出た。
セナが口元を押さえている。
「……それ、すごくいい」
「演技をしている」
「師匠が九分間そのままでいてくれれば完璧」
◇
録画が終わったのを確認して、セナが送出を開始した。
視聴者コメントが端末の隅に流れ始める。
『遙ちゃん機材トラブル草』
『横向きで九分ってどういう状況w』
『でもなんかゆるくてかわいい』
『やっぱ演出じゃん。神回予感しかない』
「……神回と言われているが」
「今は見ないで」
五分が経過した。
セナがモニターを指差した。学園上空で待機していた観測ドローン群が、偽ルート映像の示す方角へ進路を変え始めている。五分のズレが生む時間差の中で、敵のシステムは俺たちが流した偽情報を現実のものとして処理していた。
「本命ルートの上空は」
「空いた。今だ」
俺は立ち上がった。防護服に腕を通す。ベルトのバックルを一点ずつ確かめる。
廊下にはアーサーが装備を整えて待っていた。セナが端末を抱えて並ぶ。
「地上の通信は」
「九十秒ごとに確認する。途切れたら最後の中継点で止まる」
「よし」
ポーチの奥で、抑制薬の小瓶が一枚布越しに指に触れた。まだ使わない。
校庭の外れにある鉄扉を引いた。冷えた地下の空気が上がってくる。昨日より魔素が濃い。
降りる前に、アーサーが低く言った。
「師匠、配信のコメントがまだ流れてます。……『今日の遙ちゃんめちゃくちゃかわいい』と」
「黙れ」
扉を閉めた。地下の暗さの中に、三人分の足音だけが残る。




