↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
69/71

第69話:呪いの閾値

 校舎東棟の第一通路。共鳴獣が三体、押し込まれていた。


 俺はナイフを逆手に構え、壁を背にして呼吸を整えた。後方でセナが端末を握っている。前方でレオの班が残り二体を牽制している。俺が担当するのは最も大きな一体――七十キロ超のトカゲ型変異種だ。正面の弾丸は岩鱗に弾かれる。首裏の鱗接合部を狙う。踏み込む角度は右から――


 次の瞬間。


 俺は廊下の奥に立っていた。


 右手のナイフに血が付いている。足元に三体の死骸が転がっていた。


「師匠……?」


 後ろの壁際でセナが固まっている。レオは開いた口を閉じられずにいた。


(何秒、経った)


 腕時計を確認する。三分十七秒。


 俺は戦い続けていた。だが、覚えていない。


 レオが足音を忍ばせて近づいてきた。


「あの……七瀬さん。三体目を仕留めた後、名前を呼んだんですが、返事がなくて」


「そうか」


「目が、少し……」


「続けろ。搬送ルートの確認が先だ」


 レオが何かを言いかけて、飲み込んだのが気配でわかった。


     ◇


「戦闘ログ、引っ張った。確認する?」


 対策本部に戻ってすぐ、セナが静かに聞いた。


「見せてくれ」


 画面の中で俺は、まるで別人のように戦っていた。


 壁を蹴って跳び、トカゲ型の首裏へナイフを正確に差し込む。着地しながら振り向き、迫ってきた猟犬の眼窩へ銃口を押し込んで引き金を引く。三体目は最後尾から回り込み、顎の下へ膝を差し込んで絞め落とす。三分十七秒の間、一切の無駄がない。


 見覚えのない動きではなかった。確かに俺の動きだ。だが俺は、これを「やった」記憶がない。三分十七秒分の身体の記憶が、どこかにこぼれ落ちている。


(問題は、次に欠落が起きる場面だ。ナイフを構えた瞬間かもしれない。指示を出している途中かもしれない)


「前にナイフを置き忘れたのとは、種類が違う」


 セナが言う。俺から言い出すより先に言葉にしてくれた。


「あれは記憶の欠落。今回は、動いている間の意識が途切れてる。Lv3移行の典型的な症状だよ」


「次はいつ起きるか、予測はできるか」


「できない。負荷がかかれば起きる可能性が上がる。それだけ」


 俺は腕を組んだ。


「最悪の場合、指揮の記憶が飛ぶ。そうなれば指示系統が崩れる」


「……そう」


「だが、前線を退けば、今の学園の戦力では対処できない部分が出る」


 その言葉が宙に漂ったまま、静止が続いた。


「主君」


 振り向くと、ドアの前にアーサーが立っていた。いつから聞いていたのか。その顔には、俺が見たことのない種類の硬さがある。


「俺が代わります。前線は任せてください。主君は本部で指揮だけを」


「お前に代わりはできない」


「できます。俺の剣なら――」


「戦力の問題じゃない。敵は俺を中心に戦術を組んでいる。俺が引けば敵は再調整する。その隙に死者が出る」


 アーサーが拳を握る音がした。


「……それが合理的だとしても、俺は主君に倒れてほしくない」


「倒れる気はない」


 どちらも動かなかった。十秒ほど、部屋の空気が固まった。


「二人とも」


 セナが割り込んだ。「続けていい。でも今じゃなくていい話は、あとにして」


 アーサーが長い息を吐き、剣の柄から手を放した。


 俺はタクティカルポーチから小瓶を取り出し、テーブルに置いた。


「最終日まで、これは使わない」


「でも――」


「使うかどうかは俺が決める。ただし、お前が『今だ』と言ったら、俺はもう一度考える。それでいいか」


 セナがしばらく俺の顔を見ていた。


「……わかった。私が言う。師匠が決める」


「それでいい」


 俺はポーチに小瓶を戻した。


 廊下の奥から、レオたちが戻ってくる足音が聞こえた。

 セナは端末を開いたまま、何かを打ち続けている。今夜の呪い進行ログの更新だろう。アーサーは部屋の隅に立ち、出口に目を向けていた。剣の柄には触れていない。

 不安がないとは言わない。ただ、それぞれが次の手に向き直っていた。


 俺は地図を広げ、明日の防衛ラインを引き直した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。