第66話:候補生卒業試験(実戦)
灰色の曇り空の下、市街地に不釣り合いなサイレンの音が鳴り響いていた。
学園都市の第三区画。普段は商業施設が立ち並ぶ大通りが、防壁パネルと土嚢によって完全に封鎖されている。
これは、ギルドと探索者学園が合同で実施する『大規模実戦テスト』だ。表向きは候補生たちの卒業試験だが、実態は違った。迫り来る大扉の開門に備え、全市民を巻き込まずに済ませるための、極めて切実な市民避難シミュレーションの総仕上げである。
「第三班、避難誘導ポイントBへの経路確保完了! これより要救助者役のダミー搬送に移ります!」
通信機から、砂混じりの緊張感のある声が飛び込んできた。
俺がかつて指導した、通称『落ちこぼれ小隊』の面々だ。以前は模擬弾の破裂音だけでパニックを起こし、泣きべそをかいていた連中だが、今は結城や雫といった面々を筆頭に、無駄口一つ叩かずに淡々と任務を遂行している。瓦礫(を模した障害物)の撤去から、重いダミー人形の搬出に至るまで、その動きに迷いはない。
「了解した。そのまま第二波のルート構築に備えろ。周囲の警戒を怠るな」
本部テントから指揮を執っているのは、エリート候補生の西園寺レオだ。
以前のような見下すような態度は消え失せ、各班の状況を的確に把握し、前線のリソースを過不足なく割り振っている。額に汗を滲ませながらも、その指示は簡潔で正確だった。
「……見違えたな。頼もしい小隊長じゃないか」
テントの隅で腕を組みながら、俺は素直な感想を漏らした。
レオは照れ隠しのように顔を背けたが、その表情には以前のような虚勢ではない、確かな自信が宿っていた。
落ちこぼれ小隊の連中も同様だ。魔法の火力や派手さでは相変わらずエリートたちに劣る。だが、泥臭く地味な「生存と救出」という実戦において最も重要な基礎タスクにおいては、今や彼らの方が完全に主力として機能していた。
学生気分は完全に抜け落ちている。彼らはもう、俺が背中を預けてもいいと思えるだけの、一人前の戦場要員だ。
もっとも、恐怖が消えたわけじゃない。
搬送班の映像の隅で、結城が一度だけ立ち止まった。
手袋越しでも分かるほど指が震え、担架の持ち手を握り直している。
『……七瀬さん』
通信に、かすれた声が入った。
『正直、今でも怖いです。逃げたいです。足、勝手に止まりそうになります』
「止まってもいい。次の一歩を出せ」
俺は即答した。
「怖くなくなる必要はない。怖いまま動け。それができる奴だけが、人を運べる」
数秒後、結城は小さく息を吸い、担架を持ち直した。
『……了解。搬送、続けます』
画面の中で、彼はもう一度走り出した。
悪くない。
勇気なんて綺麗な言葉より、震えた手で持ち直した担架の方が信用できる。
「よし、このラインなら試験終了まで確実だ。最後まで押し切るぞ」
レオがインカム越しに気合を入れ直した、その時だった。
『――緊急事態発生! 第三区画北端に未確認の熱源反応複数増大!』
通信担当のオペレーターが上げた悲鳴に近い声が、本部テントを切り裂いた。
レオが血相を変えてメインモニターを叩き割るような勢いで操作する。そこに映し出された防犯カメラの映像には、封鎖区画の分厚いバリケードを重機のように粉砕し、市街地へとなだれ込んでくる異形の群れが映っていた。
三つ首の猟犬。そして、全身を岩の鱗でびっしりと覆われた巨躯のオーク。
テスト用のホログラムや弱体化個体とは一線を画す、凶悪な魔素のオーラが画面越しにも伝わってくる。
「ま、まさか、本物の『共鳴獣』が直接……!?」
レオが顔面を蒼白にして立ち上がる。
ここ数日の異常な魔素濃度の上昇と、外周の防御網の綻び。それらが最悪の形で結びついた結果だとでも言うかのように、彼は完全に血の気を失っていた。
「総員、指示を聞け! ただちにテストを中止し、最寄りのシェルターへ――」
「ちっ……試験官の連中も、ずいぶんと金を持った遊びをするようになったな」
レオの切迫した命令を遮るように、俺は深くため息をつきながらアサルトライフルのボルトを引いた。
いくら卒業試験の総仕上げだとしても、あんな本物そっくりの大掛かりな魔物のダミーを街中に放つとは、ギルドの演出過剰も極まれりだ。万が一、あれのせいで候補生が転んで足を骨折でもしたらどう抗議するつもりだ。
「えっ……? な、七瀬さん……?」
「安心しろ。ギルドの予算の無駄遣いには、現地でキッチリ落とし前をつけてやる」
レオが本気で意味がわからないというような間の抜けた顔でこちらを見るのを尻目に、俺はテントを飛び出した。
◇
「ひっ……! 結城くん、下がって!」
避難経路のど真ん中。逃げ遅れたダミー人形を庇うように立ち塞がった雫たちに、巨大な岩オークが本物の丸太のような棍棒を振り下ろそうとした瞬間。
俺は直上にある五階建てビルの屋上から躊躇なく飛び降りた。
風を切り裂き、呪いに蝕まれた関節の悲鳴を歯を食いしばって堪えながら、重力加速度を完全に計算に乗せた両足でのドロップキックをオークの延髄――頭蓋と頸椎の隙間に正確に叩き込む。
「グギャッ!?」
不快な骨の砕ける音とともに、オークの巨体がアスファルトにめり込み、クレーターを作った。
着地の衝撃で華奢な足首が折れそうになるが、俺は構わず弾かれたように跳ね起きる。すかさず仰向けになった巨獣の首関節を抱え込み、万力のような力で容赦なく頸椎を捻り折った。
「な、七瀬さん!? 避難してください、ソイツは本物の――」
「本物そっくりだな。だが、関節の作りが少し甘いぞ」
俺は事切れた岩オークの死体を蹴り飛ばし、周囲から次々と迫ってくる三つ首猟犬の群れに向かって、一瞥もくれずに弾丸を叩き込んだ。
鼻梁、眼球、関節の隙間。急所だけを的確に短く撃ち抜き、時には飛びかかってきた一体の顎下へコンバットナイフを突き立てて、近接戦闘(CQC)で血飛沫を上げながら機械的に肉塊へと物理変換していく。
周囲に散らばる生々しい死骸。やはり最近のギルドの技術は舐められない。血の匂いといわく言い難い獣の悪臭、そして引き抜いたナイフに絡みつく内臓の生温かさすら、実物と全く区別がつかない。良い模擬演習だ。
(血の匂いも、臓器の温度も、実物と変わらない。だが考えてみれば当然だ。本物の素材から作れば、感触まで本物になる。むしろこの完成度で「警告役まで全員役者」として揃えているなら、今期のギルドの予算は相当なものだ)
それよりも、動きに殺気を隠しきれていない時点で三流のエキストラ(あるいは自律型ゴーレムの類)にすぎない。
「おい、お前ら! ボーッとするな! 採点基準に『パニックによる思考停止』の減点項目があるぞ!」
猟犬の死骸からナイフを引き抜きながら俺が怒鳴りつけると、絶望で固まっていた結城や雫たちが、ハッとして我に返った。
「わ、わかりました! 搬送再開します!」
「第二班、右翼のフォローに回れ! 防衛線を再構築するぞ!」
俺が次々と『ギルドが用意した精巧なエキストラ』を、表情一つ変えずに効率よく解体していく異常な光景に無理やり牽引されるように、候補生たちはパニックを起こすことなく、冷静に隊列を組み直し始めた。
魔法による的確な牽制射撃。負傷者を抱えながらの整然とした後退戦術。誰も、恐怖に足を止めて泣き叫ぶ者はいない。
悪くない手際だ。俺の口角が自然と上がる。
『……七瀬! ちが、違う、馬鹿野郎! 殺さないでくれ、それは本物ですッ!!』
しばらくして、通信機越しに青筋を立てたギルドの試験官の絶叫と泣き声が届くまで、俺は実に二十体近い共鳴獣を「ただの予算過剰な試験演出」だと思い込んだまま、無表情でミンチに変え続けていた。
試験官の声で俺がようやく動きを止めた時、五階からの着地の余韻が膝まで戻ってきた。ついでに、右肩の奥にじわりと熱が滲む。呪いの反動だ。このくらいは一晩で戻るはずだが、最近はその確信も薄れてきている。
◇
――その頃。都市外縁部、廃工場跡。
「あり得ぬ……あの『試験区画』になだれ込んだ第三波が、ものの五分で全滅させられただと?」
灰衣の司祭は、魔水晶に映し出された戦況分析の光を前に、苛立ちを隠せないでいた。
学園の候補生など、パニックを誘えば児戯にも等しいはずだった。だが、彼らは一切足並みを乱さず、魔獣の群れをあるべき手順で押しとどめ――その間に、一人の狂気じみた「傭兵」が、魔獣を狩り尽くしたのだ。
「……看過できんな。排除せねば、我らの大業の障害となる」
司祭は外套を翻し、暗闇の中に溶け込んだ。
学園戦力が実戦で機能するという予測外の誤差は、彼に強行手段への前線投入を決意させるに十分だった。




