↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
65/72

第65話:深層航路

 学園都市の地下深く。

 旧政府時代に建設され、のちに計画ごと放棄されたという長大な雨水幹線水路。

 水音とカビの匂い、そしてヘドロの悪臭が充満するミドルクラスのダンジョンにも似た暗渠の奥へ、俺たち三人は足を踏み入れていた。


「魔素濃度、規定値の三倍を突破。異常事態レッドゾーンだよ」


 携帯型の魔素測定器を見つめながら、防毒マスク越しのセナがくぐもった声を出した。彼女が抱えたタブレットの画面は、不吉な警告色である赤に染まり続けている。

 俺とアーサーも、軍用の重防護服とフルフェイスのガスマスクで全身を隙間なく覆っている。だが、それでも皮膚の表面にピリピリとした不快な静電気が走るのがわかった。

 文字通りの「毒の沼」の中を歩いているようなものだ。

 特に俺の場合は深刻だった。呪いで若返り、未成熟に縮んでしまった身体の奥底から、尋常ではない熱感と五十代の頃と同じような関節の軋みが断続的に襲ってくる。

 呪いの根源である魔素の海に浸かっているせいで、俺の細胞が過剰反応を起こしている証拠だ。


「……息が荒いです。これ以上の潜行は危険と具申します」


 先頭を歩き、盾を構えながら周囲を警戒していたアーサーが、肩越しに振り返った。その声には焦燥と、主の身を案じる生真面目な忠誠心が滲んでいる。

 俺は無言で首を横に振った。


「問題ない。この程度の環境、最前線じゃ日常茶飯事だ」

「それは解決策とは言いません、主君」


 アーサーの嘆息に、俺はガスマスクの内側で小さく皮肉な笑みを作る。

 前日に奪取した起動キーの複製機。そこに残されていた通信ログが指し示した座標が、この地下水路の奥にあった。名目は『深層物流航路』。

 ただの抜け道ではない。敵の中枢、すなわち「大扉」へと直結する兵站の動脈だ。

 途中、水路の壁沿いに太い電源ケーブルが這わされ、所々に真新しい軍用コンテナが積まれているのを確認した。中身は空だったが、つい最近までここで大規模な物資の輸送が行われていたことは間違いない。


「止まれ」


 俺が小さく声をかけ、三人は泥水の中に身を潜める。

 前方から響いてきたのは、水面を叩く低い足音だった。

 暗視ゴーグル越しに視線を凝らすと、四足歩行の異形の獣が二頭、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。魔素に当てられて変異した野犬か、あるいは敵が放った番犬か。

 だが、俺がアサルトライフルの安全装置を外すよりも早く、事態は動いた。

 獣の一頭が突然苦しげに喉を鳴らしたかと思うと、自らの体から噴き出した高濃度の魔素に耐えきれず、内側から弾けるように肉塊へと変わって崩れ落ちたのだ。


「……魔物が、魔素の中毒で自滅した?」


 セナが信じられないというように呟く。

 濃すぎる酸素が猛毒になるように、高密度の魔素はダンジョン由来の生物すら死に至らしめるらしい。

 残ったもう一頭の番犬も、俺たちに気づく前に泡を吹いて倒れ伏した。


「弾の節約にはなったが、嫌な歓迎だな」


 冗談抜きで、呪いの進行より先に俺たち自身の肺が腐り落ちかねない。

 この異常な空間を構築している『大元』は、すぐそこまで迫っているはずだ。


「師匠、見て」


 セナのヘッドライトが、行き止まりのコンクリート壁を照らし出した。

 水路の終端。だが、そこはただの壁ではなかった。壁の向こう側には、明らかに人工的な――それも旧政府の建築規格とは全く異なる、禍々しい紫色の光を放つ隔壁が穿たれていた。

 鋼鉄のシャッターのように見えるその表面には、何やら古びた文字が刻まれている。


旧式クラシックな魔力文字だね。『第零共鳴炉』……」

「稼働してるな」


 俺たちの言葉に、重苦しい沈黙が地下空間を支配した。

 隔壁の奥深くから、巨大な心臓の鼓動のような低い動作音が等間隔で響いてくる。

 ただの準備段階ではない。敵は俺たちの想定をはるかに上回る速度で、本点火の準備を完了させていたのだ。 ここから先は、もう戦場ではなく敵の胃袋の中だ。


「最悪のシナリオだ。大扉を開ける鍵穴は、すでに完成してる」


 俺は膝をつき、咳とともに込み上げてくる血の味を飲み込んだ。

 三十年前。部隊を全滅させられ、這々の体で逃げ延びたあの最深部の扉。その扉に手をかけるための巨大な装置が、すぐ目の前まで持ち込まれている。

 だが、今の俺たちでは何もできない。

 この魔素濃度では、防護服を着たアーサーや俺ですら、ここに踏みとどまれるのはせいぜい三十分が限界だ。爆薬を仕掛ける隙もなければ、学園の候補生からなる大規模な制圧部隊など、送り込めるはずがない。一歩踏み入れた瞬間に全滅だ。


「……時間が、足りない」


 俺はガスマスクのフィルター越しに、誰にともなく言葉をこぼした。


「師匠、このままじゃ……」

「ああ。正攻法じゃ手も足も出ん。だが、奴らが物理的なパイプラインを構築している以上、どこかに弱点はあるはずだ」


 俺はふらつく足に力を込め、立ち上がる。

 呪いの痛みが全身の骨を軋ませる。だが、痛いのはまだ生きている証拠だ。


「戻るぞ。大至急、この最下層への兵站ルートを遠隔から叩き潰す封鎖作戦を立てる」


 冷たい地下水路の中。俺たちは、呪いが削るタイムリミットを背中に感じながら、地上へと反転した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。