第61話:30日戦争
グラウンドに整列した候補生たちの息が白く濁っている。
早朝六時。探索者学園の『朝礼』は、今日から『作戦前会議』という物々しい名前に変わった。
校庭の陸上トラックには、国防軍から借り受けた焦げ茶色の装甲輸送車が何台も列をなしている。かつて花壇があった場所は無惨にも均され、分厚い防弾シートで覆われた仮設の弾薬テントへと作り変えられていた。
見慣れた平和な学び舎は、たった一晩にして、血と油の匂いがこびりつく臨時防衛司令部へと様変わりしていた。
「……背中が痛い」
朝礼台の袖で、俺は首の後ろを揉みほぐしながら呟いた。
若返ったはずの肉体だが、呪いの進行が加速しているせいか、徹夜明けの関節が妙に軋んで重い。五十代だった頃の、雨が降る前日に決まって襲ってきた嫌な神経痛を思い出す。
となりのセナが、タブレットから顔を上げずに呆れた声を出す。
「師匠、十六歳の女子高生は『背中が痛い』じゃなくて『肩凝ったー、マジやばい』って言うんだよ」
「どっちでも通じるならいいだろ。俺は若者言葉の辞書じゃない。それより、あのガキ共の編成案はどうなった?」
「できてる。はい、これ」
渡された端末の画面には、全候補生を細かく三つの部隊に分けたリストが表示されていた。
『救助』『制圧』『偵察』。
それぞれの魔法適性や、これまでの演習時のパニック耐性などを考慮した、極めて実戦的な割り振りだ。
「よし。俺から説明する。マイクを貸せ」
俺は朝礼台の中心に立ち、マイクを握った。
ざわついていた数百人の候補生が、一斉にこちらを見る。
その視線には明確な恐怖と緊張があった。昨夜の局地的な『予行起動』を経験し、彼らもここがもう安全な学校の延長ではないと、嫌でも理解させられている。
学生気分を抜くための、気の利いたスピーチなど傭兵の仕事ではない。必要な事実だけを叩き込む。
「全員よく聞け。今日からお前たちの時間割は破棄する」
ノイズ混じりのマイクの音が、冷たい朝のグラウンドに響く。
「今後、お前たちを三つの班に再編する。第一は『斥候』。第二は『火力支援』。第三は『衛生兵および後方搬送』だ。……西園寺」
「は、はい!」
最前列で背筋を伸ばしていたレオが、声を上擦らせて返事をした。
「お前は火力班の分隊長だ。前線を支えろ。後方搬送は結城、お前らに任せる。パニックを起こして暴れる民間人の運搬は、想像以上に重労働だ。腰痛には気をつけろよ。俺みたいになるな」
「よ、腰痛……!?」
結城が眼鏡をずらしながら困惑の声を漏らす。
レオたちを含め、列の中の学生たちも顔を見合わせ、何やらヒソヒソと囁き合っていた。
(……しまった。また古臭い単語が出たか)
マイクを塞ぎ、隣のセナを小突く。
「おい、通じてないぞ」
「当たり前だよ。普通に『タンクとアタッカーとヒーラーに分けますよ』ってゲーム用語で言えば一発で通じるのに、なんでわざわざ昭和の戦争映画みたいな言い回しするの。あと腰痛の心配って何」
セナが深い深いため息をつき、俺からマイクを奪い取った。
「えーと、つまり! 索敵班、攻撃班、救護班の三つに分かれて動くってことです! 各自のスマホに割り当てリストを送ったから確認して!」
ピロン、ピロロンと、グラウンド中で一斉にポップな通知音が鳴り響く。
学生たちは慌ててスマホを取り出し、「あ、マジだ」「俺、攻撃班なんだけど」と納得したように頷き始めた。
俺は腕を組んで鼻を鳴らした。
腑に落ちない。俺の説明のほうが正確で実践的だったはずだ。現代の若者は画面の中の文字しか信じないのか。
『――警告。警告』
俺が釈然としない気分で息を吐き出した直後。
唐突に、学園の屋外スピーカーから無機質な機械音声が鳴り響いた。
同時に、グラウンド上の空気が、不気味な『黄ばみ』を帯びる。昨日の夕方に嗅いだのと同じ、濃密で吐き気を催すような魔素の匂いだ。
『学園都市内、三カ所において局地的な疑似ゲート反応を検知。第4区画、第7区画、および第12区画において、魔素濃度が急上昇中』
グラウンドが水を打ったように静まり返る。
誰もが、血の気が引いた顔で空を見上げていた。
田中の声が、俺の専用イヤホンに飛び込んでくる。
『本部の田中です! 敵の波状攻撃です、三カ所同時! 近隣のギルド戦力はすでに外周の防衛に回されています。学園に回せる応援は……』
「いらない。こっちの手持ちの戦力だけで当たる」
俺はセナの手から乱暴にマイクをひったくった。
朝礼台から、動揺で固まりかけている候補生たちを力いっぱい睨み据える。
「聞いたか、お前ら! さっそく一時間目の授業の開始だ! 各班、五分以内に装備を整えて指定の装甲車に乗れ! 遅れた奴は置いていく!」
一拍の静寂の後、グラウンドが爆発したような騒ぎになった。
だが、それはかつてダンジョン演習で見せたような、無秩序なパニックではない。
レオが金切り声に近い声で周囲をまとめあげ、結城や雫たちが救急キットの入った重いコンテナを抱えて車両へと走り出す。五十代のおっさんの腰痛の心配をされていた若者たちが、完全な『実戦部隊』として動き始めていた。
日常と戦場の境界線が、今、完全に消え去った。
俺は背負っていたアサルトライフルのボルトを引き、薬室に弾が素直に送り込まれる冷たい金属音を確かめた。
『七瀬さん』
通信越しに、田中が普段の飄々とした態度を消して、疲労を滲ませた声で言う。
『情報班の予測が出ました。今回の三カ所の反応は、ただの威力偵察です。……本当に厄介なのは、この反応から予測される次の波です』
「いつだ」
『四十八時間以内。今度の規模は、昨日の比じゃありません。局地的な防衛戦力の限界を超えます』
つまり、三十日後の本番を待たずして、敵は手元の駒を次から次へと投げ込んで削りにくるつもりらしい。
息をつく暇すらない、文字通りの総力戦だ。
「……了解した。死神の予定表に文句を言っても始まらん。まずは目の前の火を消す」
通信を切り、砂埃を上げて発進していく装甲車を見送る。
四十八時間。
二日後だ。
俺はふと、学園の隅っこで朝日を浴びている、お気に入りの五葉松の鉢植えに目をやった。
(……このままだと、週末の肥料やり、またすっぽかすことになるな。せっかくいい樹形に育ってきたのに)
血生臭い戦場へ向かう直前だというのに、死の恐怖よりも真っ先に盆栽の心配が頭をよぎる。
歳のせいといえばそれまでだが、我ながら平和ボケもいいところだ。いや、単にこの異常な状況から逃避したいだけかもしれない。
「師匠、行くよ!」
「ああ、今行く」
セナの声に呼ばれ、俺は自重気味に嘆息した。
これ以上、老体に鞭を打つような真似はご免だが、やるしかない。
俺は軋む背中を軽く伸ばし、重い足を引きずって指揮車両へと乗り込んだ。




