第60話:勝利の代償
ニュースキャスターが、無機質な声で原稿を読み上げている。
『――昨夜、湾岸物流区画および学園都市周辺で発生した大規模な通信障害と微小な次元震について、政府は本日の会見で「新型防衛施設の実証訓練中に起きた、軽微な設備の不具合」であったと発表しました。現在、周辺のインフラは完全に復旧しており、市民生活への影響は……』
ギルド本部、地下防音会議室。
壁掛けの液晶モニターを、田中がリモコンで消した。
長方形のテーブルの上には、昨夜回収した共鳴塔の焦げた回路の残骸と、分厚い報告書がいくつも積まれていた。コーヒーの空きカップが乱雑に置かれ、徹夜明けの重い空気が部屋全体に沈殿している。
「見事な大本営発表だな。広報部の連中は、小説家にもなれるんじゃないか」
俺が皮肉を言うと、田中は疲れた顔のまま、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「外交特権と予算を交渉のテーブルに乗せるためには、必要な建前ですよ。それに、今回はただの隠蔽ではありません。昨夜の“事故”の対処実績と、押収した物証をもって、我々『特務監査部』の権限拡張と、防衛予算の増額が正式に承認されました。他省庁からの横槍も、当面は防げます」
それは確かな前進だった。
今までのように、ゲリラ的な現場判断だけで動く必要が減る。学園の設備や候補生を、名実ともに『実戦部隊』として運用できる裏付けが取れたということだ。
「お役所仕事にしては早かったな」
「時間がありませんから」
田中が胃のあたりを押さえて、重溜息をついた。
徹夜ですでに限界近いんだろう。俺も人のことは言えないが。
同席していたアーサーが腕を組み、セナが手元の端末を操作して画面を切り替えた。
「セナの解析と、アリスからの供述、そして昨夜のデータ。全てが同じ結論を指しています」
田中がホワイトボードに一枚の地図を貼り出した。
それは学園都市を中心に、無数の赤い線が放射状に伸びる予測図だった。黒幕『ウロボロス』の最終目標である大扉の存在予想図だ。
「敵の目的は、大規模な儀式によるゲートの完全開放。昨夜の予行起動は、その土台作りに過ぎません。本命の起動式が行われるのは……三十日後。これ以上は、先延ばしにできません」
三十日。
敵の尻尾すら掴めなかった状況からすれば、明確なタイムリミットが判明したのは大きな「勝利」だ。
だが、期間が短すぎる。
都市全体を巻き込むような儀式を止めるには、今の学園の戦力ではあまりに心許ない。
それに……問題は俺自身の身体だ。
昨夜の無茶のせいで、身体の奥に巣食う『呪い』が、確実に俺の時間を削り取っているのがわかる。寝不足のせいだけじゃない。五十肩よりタチの悪い気だるさが抜けない。
昨日のような綱渡りを続ければ、三十日持つかどうかも怪しい。
「……アーサー」
「はっ」
背後に控えていたアーサーが、過剰なくらい姿勢を正した。
「今日から学園のカリキュラムを全部実戦仕様に組み替える。教官ごっこは一旦中止だ」
「承知いたしました。我が剣に懸けて、彼らを一人前の戦士に鍛え上げましょう」
アーサーの返事には迷いがない。
だが、それだけでは足りない。
「それから、レオ」
部屋の隅で黙って立っていた金髪の少年が、肩をビクリと揺らして顔を上げた。
その瞳には、かつてのエリート気取りの傲慢さは欠片もなく、昨夜の死線を越えた者特有の鋭い光が宿っている。
「お前は学生側のまとめ役だ。パニックを起こす奴から死ぬ。指示系統を三つに割って、最悪の場合でも機能する……ええと、なんだ。ちぇーん・おぶ・こまんど、を作れ。落ちこぼれ小隊も遠慮なく使え」
舌を噛みそうになったが、なんとか言い切った。最近、上が作成する横文字だらけの資料には疲れる。
レオは横文字には慣れているのか、俺の拙い発音は全く気にした様子もなく、深く頷いた。
「……分かっている。もう、誰一人として取りこぼしはしない」
レオが力強く頷いた。
あいつは一度、自尊心をへし折られ、泥臭い戦いを経験した。ただ机に座っていただけのエリートより、今のこいつには実戦を任せられる。
「田中さんは、引き続き上層部から金と装備を引っ張ってきてくれ。医療キットやレーションもだ。三十日間、出し惜しみはなしだぞ」
「はいはい、ご期待に沿えるよう、胃薬のストックを増やしておきますよ」
田中が自嘲気味に笑った。
それでいい。各々がやるべき枠組みは決まった。
一通りの指示を終え、会議は解散となった。みんな疲労困憊だ。俺も早く帰って熱い緑茶でも飲みたい。
それぞれが足早に部屋を出て行く中、俺は自分の席から立ち上がろうとして――ふと、腰の違和感に気づいた。
(……あれ?)
腰のベルトに手を伸ばす。
いつもなら、そこに予備のタクティカルナイフを吊っているはずだ。
だが、革の鞘の感触がない。
装備の点検は息をするのと同じレベルで染み付いている。ナイフを忘れるなど、新兵時代ですらあり得ないミスだ。
「師匠?」
出口へ向かっていたセナが、足を止めて不思議そうな顔でこちらを振り返った。
「どうかした?」
「……いや、ナイフをどこに忘れたかと思ってな」
誤魔化すように言うと、セナの顔が少しだけ強張った。
「ナイフなら……さっき、休憩室のテーブルに置いたままにしてたよ? 私が回収して、そっちのケースに入れておいたけど」
セナが指差した先。
俺の足元にあるタクティカルバッグのサイドポケットに、見慣れた刃の柄が顔を覗かせていた。
「……そうか。助かる」
短い礼を言い、俺はバッグを拾い上げた。
セナは何か言いたげに口を開きかけたが、結局なにも言わずに部屋を出て行った。
誰もいなくなった会議室で、俺は自分の右手を見つめる。
忘れたのではない。
『休憩室にナイフを置いた出来事』そのものが、記憶からまるごと抜け落ちていたのだ。
呪いの進行。
若返る肉体と共に、五十二年間の記憶が少しずつこぼれ落ちている。
戦場で記憶が飛べば、文字通り死に直結する。俺のミス一つで、学園のガキどもが全滅するかもしれない。
無意識に舌打ちが漏れた。
「……参ったな」
誰もいない空間で、ぽつりと呟く。
タイムリミットを掴む対価として、俺自身の時間が削られている。
三十日。それまで持てばいい。
(……いや、三十日って盆栽の肥料あげるタイミングどうだったかな)
頭の片隅で、そんな場違いな懸念が過ぎる。
記憶が曖昧になる前に、水やりの当番表だけでもセナに渡しておくべきかもしれない。
盆栽の手入れは、ただの趣味ではない。
枝を見て、枯れた葉を落とし、針金の角度を確かめ、昨日と今日の差を指で測る。
その手順を辿っている間だけ、俺は戦場の亡霊ではなく、皇ハルトという一人の人間に戻れる。
もしその順番まで忘れ始めたら、俺はたぶん、自分が何を守りたかったのかも見失う。
「……当番表だけじゃ足りないな。剪定の手順も書いておくか」
俺は首の後ろを揉みほぐしながら、重い足取りで会議室を出た。
徹夜明けの身体には、自販機の微糖コーヒーくらいしか楽しみが残っていなかった。




