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第56話:敵対的協力者

 対策本部の会議室は、徹夜明けのコーヒー臭で満ちていた。

 時刻は午前十時。

 停電襲撃の報告書、押収端末の残骸写真、旧研究棟の見取り図。

 机の上は紙の戦場だ。


 その中央に、アリス・シルバーバーグが座っている。

 拘束具は外れていない。手首に短い拘束ベルト、椅子の背後には監視員二名。

 笑顔だけは、いつも通り整っていた。


「再交渉をお願いしたいの」


 田中が目の下を押さえながら答える。


「昨日の停電襲撃の後で、よく言えますね」

「だからよ。あなたたちは“鍵”が足りない」


 アリスは机上の端末を顎で示した。


「K-04の解読キー。私なら通せる」


 アーサーが椅子を鳴らして立ち上がる。


「却下だ。敵を作戦卓に座らせるな」

「座らせたままにしてるの、あなたたちだけど?」

「口を閉じろ」


 空気が軋む。

 田中が間に手を出した。


「感情論は後です。条件を聞きます、アリス」


 彼女は指を二本立てた。


「一つ。解読キーを渡す代わりに、私の身柄分類を“拘束対象”から限定協力者リミテッド・アセットへ変更。

 二つ。作戦時の同行権。もちろん監視付きでいい」


 分かりやすい。

 自由が欲しいのではなく、現場への席が欲しい顔だ。


「目的は?」


 俺が聞くと、アリスは一拍置いて答えた。


「司祭を止めること。あれは私の組織にとっても、制御不能」


 アーサーが鼻で笑う。


「都合のいい寝返りだな」

「寝返りじゃない。利害の一致よ」


     ◇


 会議室の外で、三人だけで短い協議をした。

 ガラス越しに、アリスは無音で微笑んでいる。


「私は反対です」


 アーサーは即答だった。


「鍵が偽物なら、こちらの手の内を見せるだけ。仮に本物でも、あの女は地図と同じで“読む人間”で意味が変わる」


 田中は疲れた顔のまま頷く。


「論点は正しい。ただ、時間がありません。七日どころか、今夜動く兆候もある」


 俺は廊下の非常灯を見た。

 白い光が、昨夜の焦げ跡をうっすら照らしている。


「実利で決める。セナに鍵を検証させる」

「七瀬さん」

「本物なら使う。偽物なら切る。単純だ」


 アーサーが言葉を飲み込む。

 数秒後、短く吐いた。


「……責任は俺も負います。だが監視は三重に」

「賛成」


     ◇


 研究棟解析室。

 セナは即席の隔離環境を組み、外部回線を物理で切った。

 古いサーバー筐体のファン音が低く唸る。


「鍵、受け取った。文字列は128ブロック。見た目は乱数だけど……待って」


 セナの指が止まり、次の瞬間に加速した。


「塩値が一致してる。昨日拾った『K-04 / BELL / 7D / WAREHOUSE』の断片と、同じ癖」

「癖?」

「暗号実装者の手癖。改行コードの位置と、パディングの埋め方。偽装ならここまで揃わない」


 アリスが壁にもたれて笑う。


「言ったでしょ、本物だって」

「まだだ」


 俺は短く止める。


「復号結果が出るまで口を挟むな」


 セナが最終キーを打ち込む。

 画面に文字列が解凍され、地図データが展開した。


 PHASE BELL / NODE-BAY12

 湾岸物流区画 第七バース

 23:40 搬入予定

 中継核ユニット3基


 解析室の空気が、一段冷える。


「……来たな」


 田中が時刻を確認する。


「今夜二十三時四十分。猶予は半日以下です」


 セナがさらにウィンドウを開く。


「注記あり。“第一便は囮”」

「三基のうち、どれかが本命か」

「たぶん。ここだけじゃ断定できない」


 それでも十分だった。

 座標と時刻が取れた時点で、昨日までの霧は晴れている。


     ◇


 夕方。作戦室で最終決定を下した。

 ホワイトボードに、田中が新しい分類を書き込む。


 アリス・シルバーバーグ:敵対的協力者(監視付き運用)


「条件を通す。ただし制限を付ける」


 俺は指を折って告げた。


「単独行動禁止。通信端末は貸与品のみ。作戦中の発言権は提案まで、決定権はなし。

 一回でも裏切ったら、次は会議室じゃなく独房だ」


 アリスは肩をすくめた。


「合理的ね。嫌いじゃない」

「あと一つ」

「何?」

「盆栽棚に近づくな。半径三メートル以内も禁止だ」


 アーサーが咳き込み、田中が額を押さえる。

 セナだけが真顔でメモした。


「師匠、それは作戦規定に入れる?」

「入れろ。最重要事項だ」


 アリスが初めて小さく吹き出した。


「了解、ナナセ教官。あなたの聖域には触らない」


 笑っていても、目だけは冷たいまま。

 こいつは敵だ。使えるだけで、信用はしていない。


 田中が最終命令書を閉じる。


「表向きは候補生向け夜間演習。実態は湾岸区画への急襲です」

「全班、二十二時出発」


 窓の外はもう赤黒い。

 潮風の匂いが、学園の中庭まで薄く流れ込んでくる。


 予鈴は鳴った。

 次は本鈴だ。

 今夜、湾岸が動く。


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