第50話:外交カード(ディプロマティック・カード)『盆栽の平和』
校舎裏の闇に、黒塗りのワゴン車が三台滑り込んだ。
時刻は午前二時四十分。
降りてきたのは田中と防護服姿の回収班。眠そうな顔だが、目だけは冴えている。
「……本当に確保してるじゃないですか」
「五名だ。全員生存。手荒な真似はしてない」
「そこだけは信頼しています」
「毎回この手際だ。正直、味方で助かっていますよ」
田中は拘束された連中の装備を確認し、眉間を押さえた。
偽造学生証、国外仕様の通信機、鎮静用パッチ、搬送用の簡易拘束具。
言い逃れが利かない一式だ。
「七瀬さん、アリスは?」
「そこ」
街灯の下、結束バンドで両手をまとめたアリスが、俺を睨んでいた。
髪は乱れているのに、姿勢は崩れない。肝が据わっている。
「あなた、いつも予定外ね」
「予定通りに攫われる趣味はない」
田中が短く息を吐き、部下に合図した。
回収班が五名を車内へ移す。抵抗はない。
車の扉が閉まる直前、アリスが俺にだけ聞こえる声で呟いた。
「……データは取らせてもらった。あなたの弱点もね」
「営業メールで頼む」
「ふふ。スパムで送るわ」
扉が閉まり、車は無音で去った。
◇
夜明け前。ギルド地下の会議室。
俺は紙コップのブラックコーヒーを啜りながら、田中の報告を聞いていた。
「身元はほぼ確定です。実働四名は民間軍事会社経由の外注。アリスはその連絡役兼オブザーバー。……どの国の案件かは、まだ言質が取れていませんが」
「取れるだろ。装備が親切すぎる」
「ええ。だからこそ、向こうはすぐ『民間の暴走』で切り離してきます」
田中は壁のモニターに資料を映す。
外交ルート、抗議文案、交換条件、予算申請。どれも面倒そうな単語ばかりだ。
「今回の件、こちらは二枚のカードを得ました」
「二枚?」
「一枚目。『未成年教育機関への越境工作』の証拠。これは強い。相手国に正式抗議し、今後の情報活動に制限をかけられます」
「もう一枚は?」
「七瀬さん、貴女です」
田中が疲れた笑みを浮かべる。
「貴女を守る名目で、こちらの予算と権限を拡張できる。公安、外事、ギルド監査部を一本化した専任ラインが作れます」
「便利な財布だな、俺は」
「否定しません」
俺はコーヒーを置き、椅子へ深く座り直した。
「じゃあ俺からも条件を出す」
「どうぞ」
「昨夜、寮への不法侵入で俺の私物管理が妨害された。精神的損害がある」
「具体的には?」
「盆栽の剪定が中断した。最高の集中が切れた。プロの仕事を妨害したんだ。相応の対価は支払ってもらう。……慰謝料としてな」
数秒、沈黙が落ちる。
田中は真顔のままペンを走らせた。
「……請求根拠は『生活基盤への侵害』で立てましょう。額は?」
「相場は知らん。だが安売りはしない」
「了解。外交交渉の付帯項目に入れます」
本当に入れるのか。
この人は時々、冗談と実務の境界が壊れる。
そこへ内線が鳴った。
田中はスピーカーモードにして通話を取る。
『こちら在日某国大使館。昨夜の件は、あくまで民間警備会社の独断です。我が国政府は関与していません』
定型文だ。
田中は淡々と返す。
「承知しました。では、独断で未成年教育機関へ侵入し、違法薬剤と拘束具を使用した者の身柄引き取り申請は、正式文書でどうぞ。装備番号と通信ログも添付しておきます」
相手が一瞬黙る。
次の返答は明らかに声色が変わっていた。
『……協議の場を設けたい』
「喜んで。場所は外務省。議題は二つ。再発防止と、被害補填です」
通話が切れる。
田中はすぐさま別回線を開き、外務・警察・ギルドの担当へ同報を飛ばした。
手際が早い。こういう時だけは頼りになる。
◇
その日の夕方。
田中から短いメッセージが届いた。
『第一ラウンド終了。相手は関与否定。ただし水面下で補償協議に応じる姿勢。こちらの対外予算、増額成功』
続けて二通目。
『追伸。貴女の慰謝料請求も通る見込みです。名目は「個人資産(盆栽)保全に対する妨害行為への補填」』
「……通ったのかよ」
俺は寮のベランダで、真柏の枝先を撫でた。
平和は金で買える時もある。少なくとも、交渉の席では。
だが同時に理解している。
国がここまで本気で動くということは、俺が「手放せない駒」になったということだ。
自由は増えた。責任も増えた。
小さな鉢へ水を落とす。
土が静かに湿り、葉がわずかに揺れた。
「……次は邪魔するなよ」
誰に向けた言葉か、自分でもよく分からない。
スパイも、国も、モンスターも。俺の平穏を脅かすなら等しく敵だ。
パチン、と小気味いい鋏の音が夜のベランダに響く。
今夜だけは、静かな剪定の続きができそうだった。




