第40話:大人たちの裏取引
通されたのは、協会本部の地下深くに位置する、特別会議室だった。
分厚い防音扉が重々しい音を立てて閉まる。
室内には窓がなく、無機質なLED照明だけが白く照らし出していた。
「……随分と物々しいな」
「笑い事ではありませんよ。ここは盗聴防止レベル5、国家機密を扱うための部屋です」
スチールデスクの向こうで、田中が深い隈を作った目で俺を睨んだ。
その机の上には、未整理の書類タワーが三つほど建設されている。
すべて、ここ数日で発生した案件らしい。
「体調は?」
「万全だ。病院食も悪くなかったが、やはりシャバの空気が一番だな」
「……そうですか。では、現実の話をしましょう」
田中はリモコンを操作し、壁面のモニターに映像を投影した。
映し出されたのは、見覚えのない外国人の男女が、日本の空港に降り立つ隠し撮り写真だった。
「これを見覚えは?」
「いや? 観光客だろ」
「CIAの現地工作員と、FSB(ロシア連邦保安庁)の『掃除屋』です。どちらも、昨日の便で入国しました」
俺の眉がピクリと跳ねる。
同業者か。それも、質の悪い部類の。
「彼らの目的は一つ。『南校舎の変異種戦で目撃された、銀髪の少女』の特定と確保です」
「……仕事が早いな」
「貴女の戦闘映像は、拡散されすぎました。ネット上では既に『CG説』や『ヤラセ説』が駆逐され、『実在する超人』として認識され始めています。もはや、ただの女子高生として平穏に暮らす道は断たれたと思ってください」
田中は淡々と、しかし残酷な事実を突きつけた。
脅しではない。
プロとして、現状の脅威度を提示しているのだ。
「そこで、政府上層部と協議した結果、貴女に一つの提案があります」
田中が新しい資料を滑らせてくる。
表紙には『認定探索者候補生運用計画書』と記されていた。
「……なんだこれ」
「貴女に新たな肩書きを与えます。『政府が極秘に育成していた、認定探索者候補生』。それが貴女の新しい表の顔です」
俺は資料をパラパラとめくった。
要するに、今の「謎のJK」という不安定な状態から、「政府公認の特別なJK」へとジョブチェンジさせようというわけか。
「表向きは試験運用中のエリート候補生。そう公表することで、貴女の異常な戦闘技術に正当な裏付けを与えます。……同時に、貴女は『若年層へのダンジョン教育の象徴』として、広報活動に従事してもらいます」
「つまり、お前らの飼い犬になれと?」
「飼い犬ではありません。『広告塔』です」
田中は苦虫を噛み潰したような顔で言った。彼にとっても、不本意なお役所仕事なのだろう。
「断る」
俺は資料を机に放り投げた。
「俺は自由にやりたいんだ。軍隊みたいな組織に縛られるのは、もう御免だ」
「……そう言うと思いました」
田中は動じなかった。
懐から、別の封筒を取り出す。
「ですが、今の貴女には後ろ盾が必要です。この契約を結べば、以下の特典が付与されます」
田中が指を折る。
「一つ。学業における特例措置。ダンジョン探索および配信活動を『公務』と見なし、無制限の公欠を認めます。出席日数不足による留年の心配はありません」
「……ほう」
「二つ。身辺警護の強化。海外諜報機関や悪質なストーカーへの対応は、公安警察が責任を持って行います。貴女の平穏な日常は、国家権力が守ります」
「悪くない。……だが、それだけじゃ俺の『自由』を売る対価には足りないな」
俺は腕を組んで背もたれに寄りかかった。
まだ弱い。
俺が求めているのは、もっと直接的な実利だ。
田中は一度目を閉じ、大きく息を吐き出した。
「ところで、貴女の以前の口座……『皇ハルト』名義の資産ですが、凍結解除を求めないのですか?」
「馬鹿を言うな。あのアカウントにアクセスした瞬間、各国の情報機関に俺の座標が共有される仕組みだ。金を引き出す前に工作員が先に来る」
「……でしょうね。我々としても、そこに関与して国際問題になるのは避けたい」
田中は納得したように頷き、そして最後の切り札を切った。
「では、三つ目。……税制優遇措置です」
俺の耳がピクリと動く。
「……なんだって?」
「本資格保持者がダンジョン内活動、およびそれに関連する広報活動――つまり配信で得た収益は、『国家防衛への多大なる貢献に対する報奨金』と定義されます」
田中は一度言葉を切り、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「すなわち――所得税、住民税、その他一切の税金が免除されます。全額、非課税です」
ガタッ!!
俺は勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。
非課税。
その甘美な響き。
俺の世代には、税金とは逃れられないものと刷り込まれている。
傭兵時代も、危険手当の半分近くはどこかに消えていった。
年金基金に至っては、利息もつかないまま三十年つまみ食いされた。
それが、全額返ってくる?
現在のチャンネル登録者は120万人。
今後発生するであろう、億単位の収益。
その全てが手元に残る?
「……田中さん」
「はい」
「日本の未来のため、微力ながら協力させてほしい」
俺は身を乗り出し、田中の手をガッチリと両手で握りしめた。
その握力に、田中が少し顔をしかめた。
「……交渉成立ですね」
「ああ、喜んで契約書にサインしよう。ペンはどこだ? 今すぐ書く」
「七瀬さん、目が怖いです」
田中は死んだ魚のような目で、力なく握り返してきた。
こうして俺は、ただの「凄腕迷子JK」から、国家公認の「最強JK探索者」へとジョブチェンジすることになったのだ。
すべては、老後の資金(と非課税の魅力)のために。
俺は心の中で、高らかに勝利の凱歌を上げた。
CIA? FSB?
知ったことか。
俺の年金を邪魔する奴は、全員排除してやる。




