第38話:戦場の後、少女の誤解
鼻を突く消毒液の臭いと、埃っぽい毛布の感触。
遠くで聞こえるざわめきが、まるで水底から聞く音のように曇って聞こえる。
(……生きてるな、俺)
重い瞼を無理やりこじ開ける。
視界が白い。
蛍光灯の明かりが、網膜を焼くように痛い。
身体の節々が軋み、特に胸の奥が灼けるように熱い。戦闘による疲労だけではない。『若返りの呪い』が、許容量を超えた魔素活動に対してペナルティを課しているのだ。
「……あ、気がつきましたか? 七瀬さん」
視界の端から、心配そうな顔が覗き込んできた。
委員長の須藤だ。
その目は赤く腫れていて、今にもまた泣き出しそうだ。
「……ここは?」
「体育館です。……自衛隊とギルドが到着して、残敵を掃討しました。あの後、南校舎の生徒は全員、ここへ避難したんです」
そうか。終わったのか。
俺は安堵の息を吐こうとして、激しい咳き込みに襲われた。
「ケホッ、カハッ……!」
「だ、駄目です動いちゃ! 凄い熱があるんですから!」
須藤が慌てて俺の身体を支え、額に新しい冷却シートを貼ってくる。
その手つきは、まるで壊れ物を扱うように慎重で、そして献身的だった。
「……悪いな」
「謝らないでください。……謝らなきゃいけないのは、私たちの方です」
須藤が視線を落とす。
ふと周囲の気配に気づく。
体育館には多くの避難生徒がいるはずなのに、この一角――簡易パーティションで区切られた俺の周りだけ、奇妙なほど静かだった。
隙間から、無数の視線を感じる。
それは「奇異なもの」を見る目ではなく、何か「神聖なもの」を見るような、畏怖と感謝が入り混じった重い視線だった。
「あの、七瀬さん。私……誰にも言いませんから」
「……あ?」
「貴女が……軍の関係者だってこと」
俺は思考が停止した。
熱で頭が回らない中、彼女の言葉を反芻する。
軍?
いや、当たらずとも遠からずだが、今の俺はただのJKだ。
「あの動き、迷いのない指示。そして……その身体」
彼女の視線が、毛布から覗く俺の細い腕に向けられる。
包帯が巻かれたその腕は、確かに華奢すぎて、銃を撃つためのものには見えない。
「そんな小さな体で、あんな怪物と戦わされて……。薬か何かで強化されている反動で、こんなに苦しんで……」
須藤の声が震える。
彼女の中では、勝手なストーリーが出来上がっていた。
『軍によって改造された悲劇の少女兵器が、平和な学園生活を夢見て正体を隠している』
断片的な情報と、この異常な高熱が、その妄想に説得力を持たせてしまっている。
「いや、これはただの風邪というか、体質で……」
「わかってます! 隠さなきゃいけないんですよね。……普通のJKとして生きるために」
駄目だ、完全に「理解者」の顔をしている。
否定しようと口を開いた瞬間、体育館の入り口が騒がしくなった。
パーティションのカーテンが、乱暴に開かれる。
「――確保班、こちらだ。対象を回収しろ」
現れたのは、黄色い防護服に身を包んだ男たち。
その異様な出で立ちに、周囲の生徒たちが悲鳴を上げて後ずさる。
そして、その中心に立つスーツ姿の男――田中が、冷たい目で見下ろしていた。
「田中、お前……」
「喋らないでください、七瀬さん。……魔素の流出が止まりません」
田中は芝居がかった口調で言いながら、目だけで合図を送ってくる。
『周囲への被害を口実に隔離します』という合図だ。
「隔離用ストレッチャーへ! 急げ、彼女は『特異検体』だ。一般人に接触させるな!」
田中の指示で、防護服の男たちが俺をストレッチャーに乗せ、拘束ベルトを手早く巻き付けていく。
そのあまりに手慣れた動きが、周囲の誤解をさらに加速させる。
「おい、あれ……七瀬だろ?」
「防護服の人たちに連れて行かれるぞ……」
「やっぱり、普通の怪我じゃないんだ」
田中の過剰な演出のせいで、俺は『周囲に魔素汚染を撒き散らす特異体質』みたいな扱いになっている。
だが、これなら“隔離”は正当化できる。
説明は田中が飲み込む。俺は黙って寝ていればいい。
「待ってください!」
須藤が叫んだ。
彼女は防護服の隊員たちの前に立ちはだかり、ストレッチャーの上の俺と目を合わせた。
涙を拭い、決意を込めた瞳で。
「……絶対、また学校に来てくださいね。私、待ってますから。……みんなも、待ってますから!」
その言葉に、体育館の静寂が破られた。
南校舎で共に戦った生徒たちが、一斉に頷き、声を上げる。
「待ってるぞ!」「ありがとう!」という声が、搬送される俺の背中に浴びせられる。
俺は酸素マスクの下で、小さく溜息をついた。
(……買い被りすぎだ)
ストレッチャーが揺れ、体育館の扉を抜ける。
その去り際、誰かの呟きが聞こえた。
「……まるで、戦乙女だな」
その痛々しい二つ名が、呪いのように定着しないことだけを祈りつつ、俺の意識は再び泥のような眠りへと沈んでいった。




