第33話:崩壊の序曲(スタンピード開始)
その日、空の色はいつもより少しだけ鈍い灰色をしていた。
「……ふわぁ」
学園の屋上。昼休み。
俺はフェンスにもたれかかり、気の抜けたあくびをした。
平和だ。平和すぎる。
先日の『地下研究所襲撃事件』から数週間。
この間、俺たちは表向き普通の学生として過ごしていた。
アーサーは「有給消化」と称して相変わらず入り浸っているし、セナは研究所跡地から持ち帰ったデータの解析に没頭している。
裏では田中たちが必死に隠蔽工作に走り回っているらしいが、学園内はあくまで平穏だった。
そう、表向きは「何もなかったこと」になっている。
「あ、ここにいた! もう、遙ちゃんってば!」
屋上の扉が開き、クラスメイトの女子たちが駆け寄ってきた。
手には購買のパンやお菓子を持っている。
「一緒にランチしようって言ったのにー」
「ごめん、ちょっと考え事」
「またぁ? 遙ちゃんってたまに凄く遠い目をするよね。……まさか、恋?」
キャアキャアと盛り上がる女子たち。
俺は苦笑いで誤魔化しながら、彼女たちの会話に耳を傾ける。
最近流行りのコスメ、新しいカフェ、そして――。
「そういえば、なんか最近、空気重くない?」
「わかる! なんか静電気が多いっていうか、ピリピリするよね」
「魔素予報でも『注意報』が出てるし、嫌だなぁ」
……彼女たちの直感は正しい。
魔素濃度が上昇している。
それも、徐々にではなく、不自然な波形を描きながら。
(……来るな)
俺の『危機察知』が、朝から警鐘を鳴らし続けていた。
肌にまとわりつくような、嫌な湿り気。
戦場特有の、血と鉄の匂いが混じった風。
――ウゥゥゥゥゥ――!!
突然、不協和音が日常を切り裂いた。
校内放送のチャイムではない。
もっと低く、腹の底に響くような音。
その直後、スマートフォンが一斉に鳴り響く。
『緊急速報。緊急速報。ダンジョン都市第3エリアにおいて、大規模な魔素変動を観測。市民の皆様は直ちに――』
普段なら、田中の部署が水面下で処理し、こんな警報が鳴る前に事態を収拾しているはずだ。
だが、これはエリア全域への緊急放送。
つまり、奴らの防衛ラインが突破され、市民に被害が出る段階まで事態が悪化したということだ。
「え、なにこれ」
「嘘、エリア緊急警報!?」
「第3エリアって……ここじゃん!」
女子たちの顔から血の気が引いていく。
窓の外を見ると、遠くの通りで爆発煙が上がっているのが見えた。
黒い煙。
そして、その中から飛び出してくる無数の影。
「キャアアアア!!」
「モンスターだ! モンスターが出たぁ!!」
校庭にいた生徒たちが悲鳴を上げ、校舎になだれ込んでくる。
空にはワイバーンの群れ。
地上にはオークやゴブリンの大軍勢。
「……始まったか」
俺は冷静に呟き、立ち上がった。
『人為的なスタンピード』。
やはり、あの研究所の一件はただの実験だったのだ。
本番は、ここから。
「遙ちゃん、逃げなきゃ!」
「シェルターに行こう!」
震える手で俺の腕を掴むクラスメイト。
俺は彼女の手を優しく、しかし強引に解いた。
「先に行ってて。……忘れ物を取りに行く」
「えっ!? 今そんなこと言ってる場合じゃ……!」
「すぐ追いつく。……行って!」
俺が少しだけ声を張り上げると、彼女たちはビクリと肩を震わせ、頷いて走り去った。
一般人を巻き込むわけにはいかない。
俺は屋上の給水塔の裏へと回った。
そこには、例の『取引』の一環として、田中が極秘に設置させた『備蓄用ロッカー(耐火金庫)』がある。
ダイヤルを回し、扉を開ける。
中には、制服ではなく、俺の『本当の姿』が眠っていた。
タクティカルベスト。
漆黒のコンバットスーツ。
そして、愛用のHK416とナイフたち。
「……待たせたな、相棒」
俺は制服のリボンを解き、ブラウスを脱ぎ捨てる。
露わになった肌を、ロッカーから取り出した漆黒のインナー(ボディスーツ)で覆い隠す。その上から、使い慣れたタクティカルベストを装着した。
『新人JK・七瀬遙』の時間は終わりだ。
ここからは――。
「……せっかくのランチタイムを、よくも邪魔してくれたな」
俺はゴーグルを装着し、屋上のフェンスを蹴って虚空へと踊り出した。




