第22話:取引(自由の代償)
指定された場所は、ダンジョン都市の地下にある会員制のバーだった。
俺が店に入ると、奥の個室に一人の男が座っていた。
無造作な髪、くたびれたスーツ、そして鋭い眼光。
田中だ。
「……よく来たね。逃げるかと思っていたよ」
田中はウィスキーのグラスを揺らしながら言った。
「逃げても無駄だろう。盆栽を人質に取られたらな」
「人聞きが悪いな。あれはただの挨拶だよ」
俺は田中の向かいに座り、出された水を一口飲んだ。
そして、単刀直入に切り出す。
「用件は何だ。俺を逮捕しに来たのか?」
「まさか。我々は君のような優秀な人材を求めている。逮捕なんて野暮なことはしない」
田中はタブレットを取り出し、テーブルに置いた。
そこに表示されたのは、戸籍データの偽造画面と、ギルドの特別ライセンス発行手続きの画面だった。
画面には『七瀬 遙』という新しい名前と、16歳の少女の顔写真が掲載されている。
「取引をしよう。……君が欲しがっている『公的な身分(七瀬遙)』と、『自由なダンジョン探索権』。これを用意する」
「……代償は?」
「君の今の活動(配信)をそのまま続けることだ。ただし、いくつかの条件付きでね」
画面の端には、D-Tubeの保留収益と、例の管理口座の残高も表示されていた。
ギルドの監視付きとはいえ、積み上がった金額は笑えない桁になっている。
田中はそこを指で軽く叩いた。
「この口座も、七瀬遙名義の正式な管理口座として扱えるようにします。出金制限は残りますが、生活費と装備費の範囲なら即日承認できる」
「旧口座は?」
「皇ハルト名義の資産は、今は触らない方がいい。君自身も分かっているでしょう」
当然だ。
死人の口座を動かせば、役所だけでなく、かつての敵や海外の情報屋にも「グレイ・ゴースト生存」の狼煙を上げることになる。
金を取り戻す前に、盆栽ごと生活を焼かれる。
田中が指を3本立てた。
「1つ。配信の遅延設定を受け入れること。君の戦闘能力は高すぎる。万が一の事態が起きた際、リアルタイムで拡散されるとパニックになる。5分の猶予をくれれば、こちらで情報規制ができる」
「……言論統制か」
「安全管理と言ってほしいね」
俺は舌打ちした。5分の遅延。
コメントの反応が遅れる程度ならいい。問題は「検閲の時間」を与えてしまうことだ。
もしダンジョン内で俺が不都合な真実(国やギルドの暗部など)を暴いたとしても、5分あれば配信を遮断し、事実を揉み消せる。
俺の最大の防御策である「社会的な目撃証言」を封じられた形だ。
「2つ。ギルド主催の『短期特別講習』に参加し、教官や生徒の護衛任務を兼任すること。君を監視下に置くための建前だが、外部には『特待生の特別任務』として処理する」
「……護衛対象がいるのか?」
「いる。……『如月セナ』という少女だ。この国の未来に欠かせない頭脳だよ」
如月セナ。
聞いたことはないが、重要人物らしい。
「3つ。……これが一番重要だ」
田中が身を乗り出し、声を潜めた。
「『発信源』を炙り出してほしい」
「……発信源?」
「君の配信機材から、不正な暗号通信が出ているのを傍受した。君は気づいていたか?」
俺は眉をひそめた。
やはり、あのチップのことか。
「……てっきり、あんたらの仕業だと思っていたが」
「心外だな。我々はもっとスマートな手を使う。……あれは、我々が以前からマークしている『特定の組織』の手口だ」
「組織?」
「ああ。君の力を利用しようとしている連中だ。奴らは君に興味を持っている」
田中は真剣な表情で続けた。
「君が『新人JK』として派手に暴れれば暴れるほど、奴らは尻尾を出すはずだ。……君は囮だよ、グレイ・ゴースト」
俺はため息をついた。
囮。
かつての現役時代に、何度やらされたか分からない役割だ。
だが、断ればどうなるか。
盆栽はおろか、俺自身の自由すら奪われるだろう。
「……いいだろう。その取引、乗った」
俺は頷いた。
田中は満足げに笑い、グラスを掲げた。
「交渉成立だ。……ようこそ、こちらの世界へ」
「勘違いするな。俺はただ、平穏な老後を守りたいだけだ」
こうして、俺は『5分遅れの配信者』および『極秘護衛任務付きのJK研修生』という、何とも奇妙な肩書きを背負うことになった。
自由の代償は高くついたが、少なくとも最悪の事態(逮捕・口座凍結の継続)は免れた。
店を出ると、外は冷たい雨が降っていた。
俺は傘も差さずに歩き出した。
明日からは、いよいよ『アカデミー』での生活が始まる。
「……学校、か。数十年ぶりだな」
俺の呟きは、雨音にかき消された。




