第16話:国家公務員はこりごりです
路地裏で対峙する、俺と国家安全保障局の田中。
彼は名刺を差し出しながら、柔和な笑みを浮かべている。
だが、その目は笑っていない。
俺の動きを完全にロックオンしている目だ。
「……断る」
俺は即答した。
田中の眉がピクリと動く。
「条件も聞かずに、ですか? 報酬は弾みますよ。それに、あなたの戸籍や年金の問題も、我々なら解決できます」
甘い誘い文句だ。
普通の人間なら飛びつくだろう。
だが、俺は知っている。
「国」という組織が、一度飼い慣らした犬をどう扱うかを。
「私は以前、公務員をしていた」
俺は遠い目をして言った。
「上からの理不尽な命令。現場を知らないキャリア組の机上の空論。使い捨てにされる駒。……もう、うんざりなんだよ」
俺の脳裏に、かつての戦場での記憶が蘇る。
守るべきものを守れず、政治的な理由で見捨てられた仲間たちの顔。
引退を決意した最大の理由は、体力の衰えではない。
組織への失望だった。
「……なるほど。深いトラウマがおありのようだ」
田中はサングラスの位置を直した。
「ですが、今回は違います。あなたはフリーランスの協力者として……」
「同じことだ。首輪の色が変わるだけだろう」
俺は田中の言葉を遮った。
そして、彼に背を向ける。
「私は今の生活が気に入っている。盆栽に水をやり、たまにダンジョンで散歩をする。……この平穏を邪魔するなら、相手が国だろうと容赦はしない」
俺は少しだけ殺気を放った。
田中が息を呑む気配がする。
彼は数秒の沈黙の後、ふぅ、と息を吐いた。
「……わかりました。今日のところは引き下がります」
田中は名刺を引っ込めた。
「ですが、これだけは覚えておいてください。世界はあなたを放っておかない。いずれ、選択を迫られる時が来ます」
「その時は、自分の意志で選ぶさ」
俺は振り返らずに歩き出した。
背後から、田中の呟きが聞こえた。
「……やはり、本物の『伝説』は手強いですね」
◇
帰宅した俺は、どっと疲れを感じてソファに倒れ込んだ。
ストーカーに、国のエージェント。
今日は厄日だ。
「……癒やしが必要だ」
俺はベランダに出た。
そこには、俺の愛する盆栽たちが並んでいる。
彼らは何も言わず、ただ静かにそこに在る。
その緑を見ているだけで、荒んだ心が洗われていくようだ。
「ふふ、お前たちは裏切らないな」
俺は黒松の葉を優しく撫でた。
だが、この平穏も長くは続かないことを、俺は予感していた。
田中が言っていた「選択の時」。
それが近づいている気がする。
俺は止まった。
黒松の鉢を確かめる。土は湿っている。問題ない。
こいつは裏切らない。
田中が何を言おうと、この平穏だけは守り抜く。
……そう、決めていた。




