第126話:盆栽の鋏で
キィィィィン――。
予備制御室の無機質なコンクリート壁に、超高周波の共鳴音が激しく反響していた。
俺が滑り込ませた古い剪定鋏の刃先は、透の青白い魔素障壁の『極小の隙間』を確実に捉えていた。
だが、透は即座に反応し、上半身をわずかに引いて刃先をかわす。
「……なるほど。魔素を介さない純粋な物理刃ですか。ですが、その程度の速度では、私には届きません」
透が左手を振り下ろし、高濃度の魔素の衝撃波が俺を襲う。
俺は身を翻してその衝撃波をかわすが、少女の華奢な肉体はすでに限界に近い疲労を訴え始めていた。
「主君!」
アーサーが身を挺して俺の前に割り込み、大剣の腹を盾にしてその衝撃を受け止めた。
凄まじい衝撃波が炸裂し、アーサーの巨体が床を数メートルも滑って後退する。大剣を支える彼の手首から、微かな血が滲んでいた。
「ハルト、こいつの防御、外側からじゃ破れないわ!」
アリスが、物陰からカバーを入れながら叫ぶ。彼女のサブマシンガンの銃身は、連射の熱で不気味に赤くなっていた。
俺は、呼吸を一つ、静かに整えた。
俺の目は、透の身体の表面を這い回る、あの青白い魔素の『紋様』の流動を、静かに捉えていた。
それは、奔放に伸び散らかった、真柏の枝のようだった。
主幹から四方に伸びる、無数の魔素のライン。
一見すると、隙間のない完璧な防護網に見える。
だが、その流動の交差点には、必ず、全体のバランスを維持するための『節』が存在する。
そして、その節の周囲には、主幹の栄養を無駄に吸い上げるだけの、不要な分岐が、ミリ単位の隙間となって確かに浮き上がって見えていた。
(――切るべきは、あの右脇の下の、交差した一枝だ)
頭で考えるより先に、俺の右肩の奥が、カッと熱くなった。
あの日、バジリスク戦で引き金を引いた瞬間の、骨がきしむような衝撃。
そして、中東の塹壕で、泥水を啜りながら、新兵のアーサーを蹴飛ばして生かした、あの日の泥の匂い。
脳裏の白黒の図面に、一瞬、生々しい『生命の色彩』が、奔流となって流れ込んできた。
――アーサー。
そうだ。お前はあの時、俺の淹れた冷めた煎茶を、美味そうに飲み干して笑っていた。
――アリス。
お前は、ロサンゼルスの冷たい雨の中で、俺の手のひらの硬さに、確かに救いを見出していた。
――レオ。結城。雫。響。
お前たちは、俺の泥臭い教練に泣きべそをかきながらも、俺の背中を追って、確かに自分の足で立ち上がった。
記憶の底から、彼らの名前と、共に過ごした日々の温かい温度が、一つずつ、確かに蘇り始めていた。
「……お前たちの設計図の、どこにも書かれていない、俺たちの日常だ」
俺は、一歩、踏み出した。
華奢な少女の足先が、床の瓦礫を音もなくかわし、透の死角へと滑り込む。
「無駄です、大尉」
透が、冷淡な視線を俺に向け、左手を振り下ろした。
だが、俺は彼の魔素の弾道を、首の傾きだけで完璧にやり過ごす。
そして、彼の懐へと、一気に潜り込んだ。
透の右脇の下。
魔素の『紋様』が交差し、一瞬だけ流動が滞る、あのミリ単位の『節』。
俺は、右手の古い剪定鋏を、その隙間へと、躊躇なく突き立てた。
魔素は纏わない。
ただの、研ぎ澄まされた鉄の刃先。
ズチュッ、と。
透の魔素の障壁を、鋏の刃先が、何の抵抗もなくすんなりと通り抜け、彼の肉体へと直接、深く突き刺さった。
「……な……っ!?」
透の硝子玉のような瞳が、今度こそ、驚愕に大きく見開かれた。
彼を包んでいた青白い魔素の『紋様』が、鋏を突き立てられた右脇の下から、ガラスがひび割れるような音を立てて、一気に乱れ始める。
「これが、俺の剪定だ、久野原」
俺は、鋏の柄をさらに深く押し込み、彼の魔素回路の『不要な枝』を、一気に切り落とした。
ポケットの中の端末が刻むカウントダウンは、すでに『10:45』を示していた。
セナの脳波が、強制同期の負荷に耐えられる限界時間まで、あと、十分。




