第119話:管理者の素顔
非常用の赤いインジケーターが、暗闇の中で等間隔に、血のような光を規則的に点滅させているコンクリートの通路。
俺たちは、足音を完全に消したまま、その奥へと進んでいた。
キィィィン、と。
鼓膜を直接引っ掻くような、不快な高周波の駆動音が闇の奥から響いた。
通路の天井から、三台のセキュリティドローンが、青いセンサー光を撒き散らしながら滑り降りてくる。
「敵影、三。……ドローンね」
アリスが、暗視ゴーグルの奥の目を細め、サブマシンガンを構えた。
「いや、撃つな。……音を立てれば、他の防衛ラインが活性化する。取引に応じたとはいえ、相手はウロボロスだ。こちらの戦闘データが完全に吸い上げられる前に、施設全体のシステムを強制ロックダウンされるわけにはいかない。アーサー、アリス、俺の指示通りに動け。……三、二、一、今だ」
俺の合図と同時に、アーサーが巨体に似合わぬ無音の跳躍を見せ、大剣の平を使って、左側のドローンのセンサーレンズを正確に叩き割った。
アリスは、右側のドローンの駆動用プロペラへ、ナイフを正確に突き立てて回転を強制停止させる。
そして、中央の一台。
俺の『危機察知』が、そのドローンが警報信号を発信しようとする、コンマ数秒前の魔素の集束を捉えていた。
俺は、一歩。
華奢な、しかし脳内のイメージ通りに滑り込む白い足先。
ポケットから抜き放った剪定鋏の刃先で、ドローンの魔素アンテナの根元――魔素を中和するための微細な金属端子を正確に挟み込み、一気に切断した。
バチ、と小さな静電気の火花が散り、三台のドローンは警報を発することすらできず、ただの鉄屑となって床へと崩れ落ちた。
アーサーがそれを、金属音が響く前に素早く手で受け止め、壁際に静かに並べる。
「……相変わらず、嫌になるほど無駄がないわね」
アリスが、呆れたように小さく息を吐きながら、ナイフを回収した。
「無駄な枝を刈り落としただけだ。……行くぞ」
俺たちは、さらに奥へと進んだ。
いくつかの通路を抜け、防衛システムを最小限の動きで無力化しながら進むこと、約十分。
突き当たりに、周囲のコンクリート壁とは明らかに材質の異なる、重厚なチタン合金製の扉が現れた。
扉の横のインジケーターが、俺の首筋から送信されている『戦闘最適化データ』を検知し、静かに青く点灯する。
プシュー、と。
気圧差を調整する冷たい空気が吹き出し、重厚な扉がゆっくりと左右にスライドした。
その向こうに広がっていたのは、巨大なドーム状の空間だった。
壁一面を埋め尽くす、青白く明滅する魔素共鳴モニター群。
その無数の画面には、日本全域の魔素等高線データ、そして学園都市の防衛マップが、リアルタイムで刻々と更新されながら映し出されている。
そして、その空間の中央。
巨大なサーバーラックに囲まれたコンソールデスクの前に、一人の男が静かに立っていた。
整った、しかし一切の感情を綺麗に削ぎ落としたような、無機質な目をした男。
仕立てのいい黒いスリーピースのスーツを身に纏い、その立ち姿は、戦場の司令官というよりは、冷徹な企業の執行役員のようだった。
「ようこそ、皇ハルト大尉。……いや、今は七瀬遙さんとお呼びすべきでしょうか」
男が、静かに振り返った。
その声は、驚くほど低く、そして抑揚を完全に排していた。三十年前に、あの薄暗い天幕の中で、ストーブの火を挟んで対峙した『久野原幸夫』の声と、背筋が凍るほどよく似ていた。
「久野原透。……お前が、ウロボロスの首魁だな」
俺がそう告げると、男――久野原透は、薄い唇の端をわずかに吊り上げた。
「ええ。私は久野原透。……三十年前に死亡したとされる、久野原幸夫の養子であり、唯一の弟子です」
透は、ゆっくりと両手を広げ、周囲のモニター群を示した。
「私は、義父の遺した『魔素適応計画』を、この世界に正しく実装するための『管理者』に過ぎません。……個人的な怨念も、世界への復讐も、私にはありません。ただ、この歪んだ世界の設計図を、義父の遺志に従って、正しい秩序へと書き換える。……それだけが、私の目的です」
透の言葉には、狂気も、熱狂もなかった。
ただ、淡々と業務を遂行する機械のような、絶対的な冷徹さだけがそこにあった。
ふと、俺の目が、彼の左胸ポケットを捉えた。
仕立てのいいスーツのポケットから、かすかに、古い革製の手帳の角が覗いていた。
三十年前、久野原幸夫が常に持ち歩き、実験データを書き留めていた、あの手帳。
透は、それに一切触れようとはしなかった。だが、その手帳がそこにあるという事実だけが、彼の冷徹な仮面の下に、一点だけの人間の残滓を、歪んだ執着を、静かに証明しているように見えた。
「身勝手な設計図だな。……そのために、セナの脳を人質に取り、俺の五十二年を観察記録の最初の数行として処理したのか」
俺がそう告げると、透は、光を通さない硝子玉のような平坦な視線を、俺へと向けた。
「皇ハルト。……君は、誤解している」
透は、静かに一歩、こちらへと歩み寄った。
「君の五十二年は、奪われたのではない。……義父が仕組んだ、人類の魔素適応における『最も完成された実験第一号』として、正しく設計され、記録された歴史なのです。……君の若返りの呪い、その真実を、今から教えて差し上げましょう」
透の冷たい声が、青白いモニターの光に満たされた空間に、静かに響き渡った。




