↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
100/127

第100話:痛みの輪郭

「――よし、配信開始したよ、師匠」


 如月セナが、ノートパソコンの画面から顔を上げて小さく頷いた。

 俺の部屋のローテーブルの上には、セナが持ち込んだ配信用機材と、俺が淹れたばかりの温かい煎茶が並んでいる。


 今日の配信は、ここ数回続けている『七瀬遙の思い出アーカイブ同時視聴』の第三弾だ。

 記憶を失った俺が、かつての自分が配信した戦闘映像を視聴者と一緒に振り返り、何かしらの「リハビリ」に役立てようという、セナの発案による企画である。


「皆さん、こんばんは。七瀬遙です。今日は、第十層でのバジリスク戦を観ていこうと思います」


 俺はマイクに向かって、セナから指導された「少し高めの、愛想のいい女子高生の声」を意識して発声した。

 その瞬間、画面の右端を流れるコメント欄が、ものすごい速度で動き始める。


『待ってました!』

『伝説のピクニック回キター!』

『中層階にピクニック(重武装)に行くJK』

『今日のハルカちゃんも声が尊い』

『記憶リハビリ、順調?』


「おかげさまで、体調は悪くない。……ただ、自分の動きを客観的に観るのは、少し妙な気分だな」


 俺は苦笑しながら、セナが再生ボタンを押した画面に視線を向けた。

 モニターの中で、銀髪の少女――かつての俺が、第十層『中層階』の重苦しい空気の中を、愛銃のHK416を抱えて進んでいく。


「この時の装備だが、銃の重量バランスが少し後ろに寄っているな。クリアリングの際、銃口の跳ね上がりを抑えるために、左手の添え方が不自然だ」


 俺が冷静に分析を口にすると、コメント欄に草が生え始める。


『解説がガチすぎるんだよなぁ』

『銃口の跳ね上がりを気にするJK(16)』

『中身おっさん説が深まる解説』

『でも動きに無駄がなさすぎて美しい』


「そうでもない。……あ、ここだな」


 再生された映像に、エリアボスである『バジリスク』の変異種が出現した。

 全身を漆黒の鱗で覆われた巨大な蛇。その赤い瞳が、暴走状態(バーサーク)であることを示している。

 周囲には石化の邪眼にやられた冒険者たちが倒れており、生き残ったタンク職の男が一人、盾を構えて絶望的な防衛戦を行っていた。


 かつての俺は、迷うことなくバジリスクの正面へと滑り込んでいく。


「スライディングの軌道は悪くないが、腰のポーチから発煙筒(スモークグレネード)を抜くタイミングが、コンマ数秒遅い。手首のスナップも甘いな。これでは投擲の弾道が安定しない」


『スナップをダメ出しされる伝説のJK』

『スモークの投げ方に厳しい女子高生』

'でもこのスモークのおかげで石化防げたんだよね'


「ああ。バジリスクの石化視線を遮断するための、最低限の処置だ」


 映像のなかで濃密な白煙が広がり、視界が完全に遮断される。

 だが、かつての俺は、サーマルゴーグルを起動して熱源探知へと切り替えていた。

 煙の向こうでのたうち回るバジリスクの口内――鱗のない、唯一の弱点に向けて、HK416のフルオート射撃が正確無比に吸い込まれていく。


「……ここまでは、マニュアル通りの対処だ。問題は、この後だな」


 俺は、喉の奥がわずかに渇くのを感じた。

 かつての俺が、煙を突き破って跳躍する。

 空中で、背負っていた対物ライフルへと持ち替える。

 銃身の長い、12.7ミリ弾を使用する対物ライフル。その銃口が、バジリスクの頭部へと向けられた。


 ――撃てば、どうなるか。


 空中には、反動を逃がすための支えがない。

 その凄まじい衝撃は、すべて、少女の華奢な肉体が受け止めることになる。


「……あばよ」


 銀髪の少女が、引き金を引いた。


 ドォォォォン!!


 スピーカーから、鼓膜を震わせるような凄まじい発砲音が響く。

 次の瞬間、俺の右肩の奥が、カッと熱くなった。


「――っ」


 あの日、空中で引き金を引いた瞬間の、骨がきしむような衝撃。

 肺からすべての空気が一瞬で搾り出されるような、強烈な窒息感。

 そして、右肩の関節が、メキリと嫌な音を立てて外れかけたときの、脳を直接焼くような生々しい感覚。


 それらは単なる過去の映像ではなかった。

 俺の右肩が、その瞬間の衝撃波をなぞるように、内側からカッと熱くなる。

 口の中に広がる、鉄錆に似た血の味。

 荒くなる呼吸。


 俺は無意識のうちに、右手の指先で、自分の右肩の鎖骨のあたりを強く、強くさすっていた。

 皮膚の上からでも、あの日刻まれた傷の痕跡が、熱を持って疼いているのがはっきりと分かった。


「……痛かったな、これ」


 ぽつりと、掠れた声が漏れた。

 その瞬間、隣でキーボードを叩いていたセナの指先が、ピタリと止まった。

 セナは目を見開き、信じられないものを見るような目で俺の横顔を見つめている。


 俺自身、自分の喉の奥から出たその響きに、奇妙な違和感を覚えていた。

 いつもの「七瀬ハルカ」の、少し高くて愛想のいい声ではない。

 もっと低く、砂を噛んだように掠れていて、まるで――。


 マイクは、その異質な響きを完璧に拾っていた。


 一瞬、コメント欄の流れが、ぴたりと止まった。

 底知れぬ沈黙。

 そして、次の瞬間、爆発的な勢いでログが跳ね上がった。


『え?』

『今、誰の声……?』

『めちゃくちゃ低い声聞こえたんだけど』

『「痛かったな、これ」って言った?』

『ハルカちゃんの声じゃない……!?』

『おっさん!? 今、ガチのおっさんの声したぞ!?』

『中の人、戻ってきてる……?』


「あ、え、ええと!」


 隣にいたセナが、血相を変えてキーボードを叩き始めた。


「み、皆さん! 今のは、その、ハルカちゃんがちょっと喉を痛めてて! 風邪気味で、咳払いをしたのが変な風にマイクに響いちゃっただけで! ほら、ハルカちゃん、ね!?」


 セナが必死の形相で、俺に視線で合図を送ってくる。

 俺は、右肩に残る微かな熱い疼きを感じながら、深く息を吸い込み、乱れた呼吸を整えた。

 あるいはいつもの「七瀬ハルカ」の声に戻すため、喉の奥の感覚を慎重に手繰り寄せる。


「……ああ、すまない。少し喉の調子が悪くてな。お見苦しいところを見せた」


 俺がそう言うと、コメント欄は「なんだ、びっくりした」「風邪お大事に」「一瞬、ガチの特殊部隊のオヤジが背後にいるのかと思ったわ」と、セナの必死のフォローもあって、徐々に落ち着きを取り戻していった。


 だが、右肩の疼きは、しばらく消えなかった。


「……さて、バジリスクも倒したことだし、今日の同時視聴はここまでにしよう。皆、遅くまで付き合ってくれてありがとう」


 俺はカメラに向かって短く告げ、配信を切った。


 画面が暗転し、静寂が部屋を支配する。

 暗くなったモニターには、銀髪の少女の姿がぼんやりと映り込んでいた。

 その華奢な輪郭の右肩を、俺は無意識のうちに右手でさすり続けている。

 皮膚の奥で、あの日受けた衝撃の熱が、まだ微かに燻っているような感覚。


「師匠……」


 隣で、セナが何かを言いかけて、口を噤んだ。

 その瞳には、いつものマッドサイエンティストのような悪戯っぽさはなく、ただ、俺の右肩を見つめる静かな憂いだけが揺れている。


「……煎茶、冷めちまったな」


 俺はローテーブルの上の湯呑みに視線を落とした。

 わずかに残った冷たい茶を、一気に喉の奥へ流し込む。

 喉を通り抜ける冷気だけが、右肩の熱を少しだけ冷ましてくれるような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。